My dear baby bird




―1―




 天馬の別荘から帰宅した夏組が寮の扉を開ける。出迎えたのは、一緒に車で帰ってきた千景と密以外のMANKAIカンパニーのメンバーだ。玄関には見事に全員が勢ぞろいしている。

「――天チャン、平気ッスか!?」
「カズも体調悪くしてないか心配ネ……」
「夏組のみんなも大丈夫かな」

 涙目の太一が言えば、心配そうな顔をしたシトロンが続く。穏やかながら憂いを含んで問いかけたのは紬だ。

 詳細は千景から聞いていた。
 彗星を見にいくのだと言って、夏組は天馬の別荘へ向かった。道中で入った情報は、行方のわからなかった通り魔事件の犯人が、どうやら別荘に向かっているらしいというものだ。
 悪い予感は的中し、犯人である警官は天馬を襲った。撃退することはできたので、天馬に怪我はないとは聞いていたけれど気が気ではなかった。
 それに、一成や夏組のことも心配だったのだ。犯人を撃退できたとは言っていたけれど、一成を襲った人間であることは違いない。千景や密のことなので、一成と接触させるようなことはしないだろう。
 ただ、とても近い場所に犯人がいたことは事実なのだ。襲われた時のことを思い出してしまうのではないかという心配があった。
 加えて、他の夏組に関しても、別荘へ出掛ける日の朝ひどいパニックを起こしていたという事実がある。
 一体何がきっかけだったのかは誰にもわからない。ただ、顔面は蒼白で、呼吸すらままならない様子は明らかにただごとではなかった。
 唯一の幸運は、一成だけが平静を保っていたことだろう。一人ずつを抱きしめて落ち着かせてやり、どうにか混乱を脱することはできたけれど、あの様子を知っているカンパニーのメンバーは危惧していたのだ。
 天馬が襲われるなどというショッキングな事態に見舞われて、夏組が再びパニックを起こしてしまうのではないかと。

「心配かけて悪かったな。オレなら大丈夫だ」

 全ての不安を吹き飛ばすような、力強い声で答えたのは天馬だ。真っ直ぐと太一を見つめて、「問題はない」と言い切る。
 太一はほっとしたように息を吐き出して、こくりとうなずく。軽やかな声で続いたのは一成だった。

「ロンロン、心配してくれてベリサン~☆ でも、オレも全然問題ナッシングだからねん!」

 ぴかぴか光る明るい笑顔で言い切る様子は、まったくいつも通りだった。先月ナイフで刺された上、その犯人とニアミスした人間だとは思えないほどの気楽さである。
 ただ、一成の場合意図してそうしていることは、言葉を向けられたシトロンも理解している。

「それなら良かったネ! これでワタシも、アグラを高くして眠れるネ~!」
「たぶんそれ枕じゃね!?」

 冗談めいた響きで交わされる会話は明るい。いたっていつも通りだと、何も心配することはないのだと暗に告げるような響き。
 二人の会話を耳に入れつつ、ゆっくりと口を開いたのは椋だった。

「あの、ボクたちも大丈夫です!」

 ぐっと拳を握り締めて、真っ直ぐと紬へ言葉を届ける。
 別荘へ出かける日の朝、パニック状態を起こした自分たちのことを知っているから心配しているのだと、わかっていたからこそ。何一つ心を痛める理由などないのだと伝える真摯さで言った。

「別にオレたちは危険な目とか遭ってないし」
「うん! 千景さんと密さんのおかげだよね! 二人ともすっげーかっこよかった!」
「サンカクいっぱいあげなきゃ~!」

 椋の言葉に答えるように幸が続き、九門がキラキラと目を輝かせて言い、三角ははっとした顔で告げる。その様子はいつもの彼らと変わることはなく、特別無理をしているようではないようだった。
 玄関先に集っていた面々は、夏組の様子にひとまずほっとした空気を流す。
 現時点で問題がないから今後も大丈夫だと言い切ることはできないけれど、少なくとも今の彼らに異変がないことは間違いないのだろう。
 夏組の言葉を聞いていた監督は、真っ直ぐと彼らへ向き直る。
 一報を聞いた時は気が気ではなかった。だけれど今、こうして自分たちの前に元気な顔を見せてくれている。その事実を確かめながら「おかえり、みんな」と告げれば夏組は何だかとても嬉しそうに笑った。
 それから監督は、今までずっと夏組の後ろにいた千景と密にも声を掛ける。カンパニーのメンバーも同じように労をねぎらい、夏組も再度礼を口にした。
 当の二人は何でもない顔をしているだけだったけれど、心からの言葉を受け取ってくれていることは誰もが理解していた。

 玄関先で立ち話をしていても仕方ない、と誰かが言い出してめいめいが談話室へと流れていく。千景と密もあとに続くし、夏組も当然そうするつもりだった。
 しかし、途中で天馬は足を止めた。
 見慣れたMANKAI寮の玄関。慣れた調子で靴を脱いで部屋へ上がっていく夏組の背中。その中の一つを、天馬は呼び止める。

「三角」

 凛とした声だった。夏組が全員、思わず天馬を見つめるくらい。揺るぎない決意と澄みきった意志を宿している。
 呼びかけられた三角は、くるりと振り返って天馬を見つめる。その瞳に、不思議そうな色はなかった。届けられた声に何もかもを理解しているような顔をしていた。
 天馬は三角の視線を受け止めて、ゆっくりと言った。一言ずつを、丁寧に抱きしめるような声ではっきりと。

「――ただいま」

 天馬は覚えている。自分の中に存在する二つの記憶の内、一成が死んでしまった過去は強く刻み込まれて決して消え去ることはない。だから、寮から出ていった日のことだって覚えている。
 夏組は一成の葬儀後、三角を残して寮を出た。六人がそろった景色はなくなって、みんなバラバラになってしまった。天馬も逃げ出すように寮をあとにして別荘へと向かった。
 天馬を見送ってくれたのは三角と監督で、あの時交わした言葉を天馬は覚えていた。

(てんま、ただいまって言ってね)

 夏組を一人ずつ見送った三角は、ここでちゃんと待っている、と言った。そして、たった一つの願いを口にした。寮からいなくなってしまう夏組に向けて、心からの願いを口にした。
 いつかまた、みんなは寮に帰ってくる。そしたら、ずっと待っていた自分に「ただいま」と言ってほしいのだと告げたのだ。
 一成の葬儀後、天馬が寮に戻ったのは今日が初めてだ。
 他の夏組は一足先に寮へ戻っていたし、その時に三角が「おかえり!」と出迎えてくれたという話なら聞いている。だから、それぞれの「ただいま」は届いたはずだ。
 事実としては、一成は今も生きている。その現実に則るならば、天馬も夏組も寮を出ていないのだから、三角と交わした言葉は有効ではないのかもしれない。
 だけれど天馬は言いたかった。きちんと三角に言ってやりたかった。一成が死んだ記憶を抱えた自分から、同じ痛みを抱えてそれでもここで待っていると言ってくれた三角に。
 三角はじっと天馬を見つめたあと、ふにゃりと相好を崩した。いつものふわふわとした笑みに、ほんの少しの悲哀と傷を混ぜて。それでも、天馬の思いを全身で受け止めて。

「おかえり、てんま」

 やわらかな声が届いて、天馬は深く息を吐き出した。
 一成が助かった過去で、自分はきちんとここへ戻ってきたことを知っている。201号室で生活していたし、何度もこの玄関を行き来していたのも確かな記憶だ。
 だけれど、それでも、ようやくここへ帰ってきたのだと思った。
 その事実を噛み締めるように天馬が立ちつくしていると、不意に明るい声が飛び込んだ。世界中の明かりを全部集めて、闇夜を照らすような。まばゆさに、やさしさを灯した声だ。

「ねね、すみー、オレもオレも!」

 天馬の隣に立った一成が、ピンと片手を挙げて言う。大きな口を開けて、楽しそうに、とっておきの冗談を口にするみたいな響きだ。
 だけれど、天馬も三角も、恐らく椋も九門も幸も理解している。明るい笑顔の裏にある、どこまでも真摯な思いを全員余すところなく受け取っている。
 一成は笑顔を乗せた唇で、ゆっくりと言った。真っ直ぐと三角を見つめて、どこまでもまばゆくて、何よりもやさしい輝くような声で。

「ただいま!」

 きらきらと光が散るような声だった。それを聞く三角は、天馬は、夏組は理解する。ずっと知っていたけれど、心で体中で、自分自身の全てで目の前の事実を受け取る。
 帰ってきた。この場所に、みんなで暮らしていたこの寮に、一成は帰ってきた。
 退院してから後、一成と寮で生活していた記憶はもちろんある。だけれど、一成が死んでしまった世界のことも、夏組は全員覚えているのだ。
 だから、誰に見送られることもなく寮を出て、そのまま帰ってこなかったことも知っていた。だけれど今、一成は帰ってきたのだ。自分たちのところまで、いつもの日常まで。
 一成がどんな気持ちで「ただいま」と口にしたのかはわからない。単純な挨拶のつもりで大した理由はないのかもしれない。
 しかし、一成のことだ。天馬と三角の間で交わされる言葉で、声で、まなざしで、きっと理解したのだ。これはきっと、自分がいなくなった世界での何かに根差しているのだと。
 同時に、己のすべきことを察したのだろう。失った傷を未だ抱え続けるというのなら、不在の悲しみは消え去っていないのなら、確かに自分はここにいるのだと告げるような気持ちで、「ただいま」と口にした。

「うん! かず、おかえり!」

 感極まるような声で言った三角は、衝動に身体を突き動かされるようにして一成へ突進する。そのままぎゅう、と抱きつけば一成は軽やかに笑って三角の体を抱きしめた。

「おかえり、おかえり、かず!」

 ぎゅうぎゅう抱きしめながら三角は言って、その度一成は嬉しそうに「ただいま」と答えている。その様子を見つめる天馬は、最後のピースがはまった音を聞く。
 欠けてしまったたった一人。六人の夏組から失われた、最後の一人が、ようやくここに帰ってきた。オレたちのところに、帰ってきたのだ。