今日の佳き日に




 すると、二人と入れ替わるように上手から現れたのは三角と九門だった。二人とも黒いローブを着ており、跳ねるような足取りで舞台の中央に進み出る。

「あの人、喜んでくれたかな~」
「オレじゃまだ上手く魔法使えないから、ありがと!」

 のんびりした口調で三角が言うと、九門がぱっと明るい笑顔で言葉を返す。さらに、力強い響きで「恩返ししなくちゃだもんね!」と続いた。ただ、すぐにしょんぼりした雰囲気になると、九門がぽつぽつとつぶやく。

「木の上の方まで登ったら降りられなくなっちゃったんだ。人間に変化すればよかったのかもしれないけど、疲れて力が出なくてさ……」

 遠いまなざしで、あらためて記憶を取り出しながら言うのは、今日に至るまでの経緯だ。
 三角と九門は、魔法使いの修行をしている黒猫だ。魔女の元から旅立ち、相棒として暮らしている。黒猫の姿や人型など様々なスタイルで生活しているものの、ある日黒猫として木に登った九門は、木から降りられなくなってしまった。
 相棒である三角はその日街から離れていたし、すっかり疲れていたせいか、人間に変化することもできない。九門はただ、ニャーニャーと鳴いているしかできなかった。
 そんな時に通りがかったのが一成で、木の上の九門に気づくとすぐに助けてくれた。あのままでは凍えていたかもしれないし、カラスなどに狙われる可能性もある。一晩木の上で過ごしていたらどうなっていたかわからないので、九門にとって一成は大恩人である。
 三角が戻ってきた時、九門は一部始終を話した。三角にとっても、相棒を失わずに済んだという意味で一成は恩人である。こうなれば、きちんと彼に恩返しをしなくては、と決意するのも自然だった。どうにか恩返しをしたいと、九門と三角はずっと機会をうかがっていた。
 すると、ようやく訪れたチャンスが今日だった。黒猫として周囲をうろついていると、教会の庭を散策していた一成が「黒猫二匹とかラッキー!」と言って近づいてきた。
 一通り九門と三角を構い倒したあと、それまでの笑顔を潜めて一成はつぶやいた。ぽつりと小さく、それでいてどこまでも真剣な表情で。だから三角と九門は、注意深く耳を傾けた。ここが恩返しのしどころだと思ったのだ。
 その時のことを思い浮かべながら、九門は言った。一片の曇りもない、ぴかぴかと明るい笑顔できっぱりと。

「いつかなくす日が怖いなら、最初からなかったことにしちゃえばいいんだよね」

 教会の庭で、一成はこぼしたのだ。これから結婚式があるのだと告げて、幸せで仕方ないから同じくらいに怖くもなるのだ、と。大事で大切な人がいる。この世界でたった一人の特別で、宝物みたいな人。その気持ちが強くなればなるほど、いつかなくしてしまう日が来てしまったら、と思うと怖くなってしまうのだと。

「うん。大事な人がいなかったら、なくさなくて済むから怖い思いをしなくていいね」

 おだやかな笑顔で、三角もうなずく。相棒を助けてくれた恩人が怖いと言うなら、その気持ちを消してあげようと思った。怖いものなんて、全部なくしてしまおう。それが恩返しになるに違いない。だから三角は、迷うことなく魔法を掛けることにした。

「大事な人を忘れる魔法なら、一番得意なんだ!」

 九門はまだ使える魔法が少なかったし、何より三角の得意な魔法がぴったりだった。だから三角は自分の魔法を掛けた。
 魔法の杖を取りに戻り、黒猫から人型に変化して一成を訪ねる。教会から連れ出したあと、魔法の杖をふるって、一成の記憶から一番大事な人を消し去ったのだ。
 これできちんと恩返しができたぞ、と三角と九門はご機嫌である。喜んでいるかな、見に行ってみようか、とわくわくした様子で上手へと向かっていく。九門はスキップでも踏むような足取りで舞台袖へ消えた。背中を追いかける三角も、にこにこ楽しそうだ。
 ただ、完全に舞台から退場する寸前、ふと立ち止まる。それまでの笑顔を消して、心細げな心配そうな表情でつぶやく。

「でも、強く心が動くと思い出しちゃうかもしれないから、心配だなぁ」

 それだけ言うと、すぐにまた笑顔を取り戻して九門を追いかけていった。同時に舞台が暗転し、しばしの暗闇に覆われる。



「天馬くんに会うだけ会ってほしいんだ」
「でもオレ的にはテレビの向こうの人だしさ~」

 舞台が明るくなるのと同時に、下手から出てきたのは椋と一成だった。椋はずっと、一成と天馬を会わせようとしているものの、一成は消極的な姿勢を見せているらしい。

「すごい役者だっていうのはわかったけど、全然思い出せてないし……。いざ会ったって、お互い困っちゃうよ」
「でも、天馬くんのことかっこいいって言ってたよねカズくん。天馬くんに会えたら嬉しいんじゃないかな」
「それはめちゃくちゃテンアゲ!」

 椋は持っていたスマートフォンで、天馬についての情報を一通り一成に知らせていた。今まで出演していた番組関係はもちろん、夏組として一緒に撮った写真やムービーを見せれば、一成は「うわめっちゃかっこいいじゃん」と感想を口にした。
 たとえ天馬のことがわからなくなったとしても、そこは一成である。天馬の顔が好みであることは変わらないと踏んだ椋は、実物に会えばどうにかなるのでは、と思っていた。

「それに、呼び方も『“テンテン”ってしっくり来る』って言ってたよね。直接会ったら、きっと全部元通りになるよ」

 力強く椋は言うものの、一成は何とも言えない顔で渋っていた。確かに天馬はかっこいいと一成は思っているし、「テンテン」という呼び名もなじんだ。椋のスマートフォンに残っていた写真からも慕わしさが感じ取れた。きっと深い関係があるのだろう、と一成とて理解している。それでも、簡単にうなずけなかった。

「だってこれから結婚式っしょ!? さすがに覚えてないまま強行突破はないと思うけど、全然その自覚ないのに結婚相手に会うとか、もうちょい心の準備必要だって」

 ただ友人として顔を合わせるだとか一緒に遊びに行くのであれば、一成も「会うだけ会ってみようかな~」と思っただろう。
 しかし、椋から聞いた話では、これから行われるのは自分と天馬の結婚式である。人生におけるたった一人だと、お互いを思い定めたからこそ今日がある。生半可な気持ちではなく、覚悟や決意の結果だったはずだ。しかし、一成はその辺りの記憶がすっかり抜け落ちている。

「この状態で会うとか、テンテンだって気まずいっしょ……」

 人生で最高の日になるはずが、相手は自分のことをすっかり忘れているのである。ショッキングな出来事すぎるし、一成だって相応の気持ちを返せないことには胸が痛む。お互いショックを受けるだけの事態になりかねないと予想していた。

「そっか……そうだよね……」

 一成の言葉に、椋はしょぼんと肩を落としてつぶやく。一成は慌てて「むっくんのせいじゃないし!」と言い募ったのだけれど。椋はか細い声で、弱々しく言葉を落とす。

「ごめんね、カズくん……ボクが全然気が利かなくて無神経で年季が入りすぎてさび付いたネジみたいに気が回らないからもう天馬くんに連絡しちゃったんだ……」
「潤滑剤使ったら結構ネジって回るようになるし――え?」

 椋に対してフォローの言葉を掛けていた一成は、ぴたりと動きを止める。流れるような言葉にスルーしかけたけど、今むっくんなんて言った?
 慌てて詳細を問おうと思った。しかし、そんな時間は一成に与えられていなかった。口を開きかけた一成が声を発するより早く、「一成!」という声が響く。
 同時に、上手から現れるのは真剣な表情を浮かべた天馬だった。強いまなざしに、安堵や喜び、心配をにじませて一成を見つめている。後ろからは幸もやって来て、椋に「連絡ありがと」と声を掛けていた。
 一成の顔色がさっと変わる。胸中に浮かぶのは焦りや困惑。やばい、テンテンに会っちゃった。何も思い出せてないのに顔を合わせるのは気まずすぎる。よぎった思いが、ありありと顔に出ていた。
 一成はとっさにきびすを返し、下手へと走り去ろうとする。しかし、事態を察知した天馬は俊敏に動いた。瞬く間に距離を詰めると、逃げ出そうとした一成の腕をつかんだのだ。身動きを封じられて、一成はあっさり天馬に捕まった。

「一成、逃げるな」
「いやいや。だってオレ、今何も覚えてないんだよ。テンテンとの思い出だって、何にもわかんないし……」

 強く腕を引かれて、必然的に一成は天馬と真正面から相対することになる。強いまなざしを向けられた一成は、困ったような笑みを浮かべて言う。
 椋から事情は聞いているから、事実として仲がいい友達であることも相思相愛の恋人だったことも、人生の伴侶として互いを選んだことも知っている。
 しかし、今の一成にはそこに至るまでの思い出が何一つない。結婚相手だと言われても戸惑うしかないし、その反応は天馬だって快いものではないはずだ。だから距離を取るべきだ、と一成は思っている。

「結婚相手って言われても、オレ今、テンテンに対する気持ちも覚えてない。この人が特別だって、大好きな相手だって思えないんだよ」

 そんな人間を相手にしたくはないだろう、と一成は言うしかない。
 今までの気持ちも思い出も覚えていない。たった一人の特別がそんな風に変わってしまった。別人ではないからこそ、違いを強く意識してしまうだろう。それはきっと天馬の負担になる。心からの言葉を告げる一成を、天馬は真剣な表情で見つめている。
 どんな嘘もごまかしもない、真っ直ぐなまなざしだ。心の奥底まで届いて、何もかもを抱き留めていようとするような。何も覚えていないはずなのに、一成の胸は騒ぐ。
 いつだって、天馬はこんな風に自分の心を見つめてくれたのだと、一成は思う。根拠はないけれど、ただの事実として理解した。記憶ではなく、体の全てが訴えていた。天馬がどれほど深く一成を大事に思っていてくれるのか。真剣さに隠しようもない慕わしさと、力強い愛情をにじませたまなざしで見つめられれば、否応なく天馬の気持ちを理解する。
 だからこそ、離れなければと一成は思う。同じ気持ちを返せないなら。今までの積み重ねた時間をなくして、返すべき愛情を天馬に渡してやれないなら。天馬に大切にされるのは、今ここにいる自分ではないはずだ。

「テンテンのことが好きだって、特別だって言えないんだよ」

 だから一旦距離を取った方がいい、と続けようと思った。しかし、それより早く天馬は言う。真正面から一成を見つめて、何にも負けないまばゆさで、宣誓する力強さで。

「それなら、もう一回オレを好きにさせる」

 きっぱり答える様子は揺るぎない。予想外の言葉に一成が、ぽかんとして天馬を見つめると、天馬は瞳に確固とした光を宿して続ける。太陽よりもなお強く、辺りを照らしていくような。天馬の持つまばゆさの全てを込めて誓うように。

「お前が忘れたなら、何回でもオレを好きにさせる。オレのことを、お前は必ず好きになる」

 疑い一つない言葉だった。太陽は東から昇って西へ沈むのだ、という事実を語るような口調で、天馬は言う。あまりにも堂々とした物言いに、一成の唇からは言葉がこぼれる。

「すげー自信じゃん……」

 そのつぶやきに、天馬は面白そうに「当然だろ」と答える。それから、唇に笑みを浮かべて続けた。
 さっきまでの力強く何もかもを照らし出すものではない。ただやわらかく、辺りを全て包み込んでいこうとするような。きらきらとした光が降りそそいで、満ちていくような。そんなほほえみで、天馬は言った。

「オレはお前の愛も気持ちも心も、一つだって疑わない。一成が一成なら、何度だってお前はオレを好きになる」

 やさしいまなざしを浮かべた天馬は、そっと手を動かした。一成の頬に触れて、手のひらで包み込む。体温がじわりと広がって、一成の心臓はひときわ大きく音を立てた。何一つ覚えていない。それなのに、伝わる温みに胸が高鳴る。天馬の言葉が耳に響いて、胸の奥まで染み込んでいく。
 天馬は紫色の瞳を細めて、一成に告げる。きらきらと、どんなものよりもまぶしい輝きで。世界中の何よりも美しく、明るい光を真っ直ぐ向けて。心からの言葉を告げる。

「一秒ずつ、毎日オレが一成を好きになるのと同じだ」

 あまりにも揺るぎない愛の言葉だ。天馬の気持ちを丸ごと手渡されたのだとわかった。何があっても、どんなことがあっても。天馬と一成がお互いを見つけたなら、必ず二人は愛し合う。天馬にとってそれは単なる事実なのだ。
 無邪気な笑みを浮かべた天馬は、心底嬉しそうに手のひらをそっと動かした。包み込んだ頬をやわらかく撫でる、その仕草。指先が、ゆるやかな動きが、広がる温もりが、一成のことが好きなのだと、天馬の全てが伝えていた。好きだ。大事だ。特別だ。大事にしたい。おれのすきなひと。
 真正面から天馬の気持ちを受け取った一成の顔は、見る間に赤くなっていった。動揺と混乱と恥ずかしさで瞳は潤んでいるし、耳の先まできれいに染まっている。演技でも何でもなく、一成が天馬の剛速球ドストレートに翻弄されていることは、はた目にも明らかだった。
 普段はどちらかと言えば、一成の方が好きだ好きだとアピールするし、愛情表現は豊かだ。だからなのか、相手からの真っ向勝負にはとことん弱いのが一成だった。
 天馬の言葉は、仕草は、全身から放たれる全ては、見事に一成の心を撃ち抜いていた。芝居上の逡巡だとかためらいを吹き飛ばすには充分な説得力だったし、何よりも。こんなに強く心が動いたなら。間違いようもなくはっきりと揺さぶられてしまったら。
 押さえつける鍵なんていともたやすく破られる。なかったことはできないくらい、はっきりとよみがえる。全てを忘れる魔法なんて、強く心が動くのと同時に解けてしまうと伝わった。
 一成は何度か口を開閉させて、天馬へ何かを言おうとしたらしいけれど、結局言葉にならない。それどころか、顔をきれいに赤く染めたままうつむいて、ふるふる震え始めるので天馬は「大丈夫か?」と声を掛ける。具合でも悪くなったのでは、と思ったのだろう。
 当の一成は、十数秒沈黙を流す。それからぱっと顔を上げると、突進するように天馬へ抱き着いた。

「テンテン、かっこよすぎ! 大好き!」
「――思い出したのか?」

 この反応はもしかして、と天馬が尋ねると一成は勢いよく答える。天馬に抱き着いて、ぎゅうぎゅう力を込めながら。

「ばっちり! テンテンがめっちゃかっこいいことも、宇宙一のオレのダーリンってことも、これから結婚式ってことも思い出したよん!」

 きっぱり告げられた答えに、天馬はほっと息を吐き出す。何度だって一成を振り向かせてやると決意はしていても、今までの思い出が消えてしまわなくてよかった、と安堵していた。天馬は抱き着く一成の背中を撫でながら「何があったんだよ」と尋ねた。

「えっとね、まだ時間あるからって教会の庭散歩してた時に、猫ちゃんに会ったんだけど……」

 そこまで言ったところで、一成は一瞬言葉を途切れさせた。しかしすぐさま、「あ、あの時の猫ちゃんたち!?」と声を上げる。
 抱き着いていた体を離した一成は、舞台上から観客席の隅を指さした。するとそこには、ローブに身を包んだ三角と九門が立っている。一成が「おいで、おいで~」と声を掛けると、顔を見合わせたあとゆっくり舞台の方へ近づいてくる。
 二人がやってくるのを待つ間、一成は天馬に「あの猫ちゃんが木の上で降りられなくなってるところ助けたんだよねん」と天馬へ説明している。いつも二匹で行動している黒猫で、仲良しなんだよねんと一成は屈託がない。
 三角と九門は様子をうかがうそぶりを見せつつ、舞台に上がってくる。恩人であるということで、警戒心は持っていないのだろう。ただ、どうして呼ばれたのか、という意味のいぶかしさはあるらしい。戸惑う空気を漂わせたまま、一成のもとへ近づいてきて目の前で立ち止まった。
 一成はローブに身を包んだ九門と三角に向き合うと、そっと声を掛けた。

「もうすぐ式だから、何かちょっとセンチメンタルな気分になって……幸せすぎていつか終わっちゃうんじゃないかって思うと怖いって話したよね」

 身支度を整えて、結婚式が始まるのを待っていた。ずいぶん早く用意は終わったけれど、開始まではまだ時間があった。だから、ふと思い立って庭を散歩していた。
 結婚式を一成は心底楽しみにしていたし、天馬と結婚式を挙げられるなんて、と一成の気持ちはふわふわ浮き立っていた。しかし、いざもうすぐ式が始まるのだと思うと何だか一成は落ち着かない気持ちになっていた。直前になってマリッジブルーがやってきたのか。これから始まる幸せを思えば、同時に終わりについて考えてしまったのだ。
 わざわざ相談して、誰かに不安を与えたくなかった。それでも誰かに聞いてほしい気持ちもあった。だから、偶然出会った黒猫に一成は心情を吐露した。
 その時と同じように、黒猫と相対した一成は言葉を続ける。真っ直ぐ視線を向けて、やわらかな口調で、それでいて力強く。

「あの時は最後まで言えなかったけど……本当はね、怖くてもテンテンと一緒なら大丈夫って言いたかったんだ」

 黒猫へ話しかけている途中で、一成は教会のスタッフに呼ばれた。すぐに行かなくてはならず、黒猫には「ごめんね」と言って庭をあとにしたのだ。帰ってくると黒猫の姿はすでになく、一成はずっと気にしていた。尻切れトンボになってしまって、肝心なことが言えなかったからだ。
 だから今、一成は言う。あの時伝えられなかった言葉の続きを、一成の気持ちを聞いてくれた黒猫に向けて。

「怖いことがゼロになったわけじゃないし、いつかなくすかもって思ったら確かに怖いけど。でも、テンテンがいるなら平気なんだ」

 そう言う一成は、凛とした決意を宿していた。黒猫に告げた言葉に嘘偽りはない。大事だからこそ、いつか終わってしまうことが怖かった。それでも、確かに言えることがある。

「怖いことも、苦しいことも、きっと二人なら乗り越えられる。テンテンとなら、傷つく痛みも傷つける怖さも知って、それでも二人で歩いていけるんだ」

 目の前の黒猫を見つめた一成は、ふわりと笑った。心の奥底からあふれでてくる愛おしさが、思わず形になったような。天馬に向かう気持ちがこぼれていくような。そんな声で、一成は言う。

「だって、オレのたった一人は、オレの特別は、いつだってテンテンだから」

 緑色の目を細めて、白い歯をこぼして告げられた言葉。何があっても、怖くても、特別な人を知っている。たった一人と一緒なら、どんな道だって歩いていけると一成は信じている。
 それは天馬への揺るぎない信頼だったし、強い愛情でもある。黒猫に告げた言葉から一成の気持ちが真っ直ぐ伝わって、天馬は衝動のまま動く。一成の手を握ると「オレもだ」と答えたのだ。
 天馬の特別は、この世界のたった一人はもう決まっている。この人だと心が叫ぶ。一成を選んだ。一成が特別だった。だから、共に人生を歩むと決意している。
 天馬の答えに、一成はふわりと笑う。それから、ぎゅうっと手を握り返した。隣の温もりを、大事な人を決して離すまいと誓うように。
 それから一成は、ぱっと表情を変えた。ひらめいた!という顔で天馬に向かって言う。

「黒猫は幸運を運んでくるっていうし、この子たちにも式に参加してもらうとかどう?」
「まあ、オレとしては一成の本音を聞けたって点で、こいつらには感謝もしてるから構わないが――猫は入れるのか?」
「リングドッグありだから、オッケーなんじゃね」

 そう言って、三角と九門に結婚式に参加してほしい、と言えばしばし考えたあとこくりとうなずく。やった!と一成が喜んで、どんな風に参加してもらおうか、なんて言い合っていると、背後から声がかかった。
 今まで事態を静観していた幸で、「そんなにのんびりしてる時間ないんじゃない」と言う。その言葉に、天馬と一成ははっとした表情を浮かべる。結婚式開始まで時間があるとはいえ、今回のゴタゴタでだいぶ時間を使っているのだ。確かに、悠長にしている場合ではないだろう。

「とりあえず、主役二人は先に行ってた方がいいでしょ。あとはオレたちがやるから」
「うん! 猫さんたちのことも任せて!」

 幸の言葉に椋も大きくうなずいて、九門と三角も椋のそばに近寄る。その様子に、一成と天馬は「ありがとねん!」「ありがとな」と声を掛けてから、一歩踏み出す。
 ただ、そのまま舞台袖へはけるのではなく、舞台を降りて観客席へ歩いていく。つないだ手を離すことなく、観客席の間をゆっくり通って出入り口に辿り着く。二人は一度立ち止まると、くるりと振り向く。観客席に一礼をしてから扉を出て行った。
 舞台上の四人は、天馬と一成が扉の向こうへ姿を消したことを確認したあと、横並びになる。目配せをして、深々お辞儀をして終幕を告げた。同時に、観客席からは拍手が沸き起こる。