秋桜と揺れる日々




 201号室で、天馬は大きくため息を吐いた。
 寮までの帰り道、結局一成と上手く話はできなかった。せっかく一緒に帰れたのに、何を言えばいいかわからなくなってしまったのだ。すっきりしない気持ちを抱えたまま、ぎこちなくいくつか会話をしただけで寮に着いてしまった。
 部屋着に着替えた天馬は、再び大きく息を吐く。部屋に幸はいないから、「辛気くさい」と眉をしかめられることがないのは幸いだったのだろう。
 天馬の視線が自然と向かったのは、201号室の窓辺。壁際には入寮した際に運び入れた棚が設置され、その上のスペースはインテリアが飾られている。天馬の視線は、そこに置かれた空っぽのガラス瓶に向いている。
 ついこの前まで、このガラス瓶にはコスモスを飾っていた。花瓶代わりに「おしゃれな感じでよくね!?」と言って、一成が持ってきてくれたガラス瓶だ。
 一緒に訪れた自然公園で、お互いの花を選んだ。あの時一成が「テンテンのコスモスだよん!」と言って、渡してくれた花を一輪挿しの要領で飾っていた。
 なるべく長く持つように丁寧に手入れをしたものの、時間には勝てない。コスモスは思ったよりも長く咲いていてくれたものの、次第にしおれて散ってしまったのだ。
 だからもう、瓶には何も入っていない。ただ、一成がせっかく持ってきてくれたものだと思うと、すぐに片付けてしまうのももったいないような気がしてそのままにしている。

 一成からもらったものは、何だって大事にしたかった。花瓶代わりのガラス瓶もそうだし、一成に描いてもらった絵は特に大切にしまっている。
 あの日、コスモス畑で一成が描いていたスケッチ。ある程度のところまで描いたあと、「色も付けたいよねん」と言って寮で仕上げをすることにしたのだ。
 数日後一成は天馬の部屋を訪れて、夕暮れのコスモス畑の絵をプレゼントしてくれた。オレンジ色に染め上げられた中、あざやかなピンク色の海が揺れていて、風の音まで聞こえてくるようだった。
 天馬は「ありがとな。嬉しい」と言って、絵を受け取った。部屋に飾ることも考えたけれど、誰かに見せるのももったいない気がして、ファイルに入れて棚にしまってある。ときどき取り出して眺めていると、幸に「何にやにやしてんの。気持ち悪い」と言われるけれど。

 空っぽのガラス瓶や、一成にもらったコスモス畑の絵。頭に思い浮かべた天馬は、少し考えたあと201号室を出た。
 このまま一成に連なるものを思い出し続けていても、もやもやした気持ちは去らないだろうと思った。それなら、直接一成と話をすればいいのだ、と天馬は結論を出す。
 ざわつく胸もすっきりしない気分も、一成と上手く話せなかったことに起因しているなら、あらためてちゃんと話をすればいい。何より、さっき話せなかった分もっと話がしたい、と思って天馬は談話室に向かった。

 談話室は帰宅した学生や大人たちでにぎわっている。部屋へ戻るメンバーもいるけれど、大半は和気あいあいと雑談に興じているのだ。その中のグループの一つに、一成の姿を見つけた。ソファに座って、綴や臣と話をしている。

「つづるん的には、どっちの方が世界観に合ってる系?」
「まあ、どっちかって言われたら右ですかね。やっぱり爽やかな感じ出したいんで」

 机の上に広げた紙へ交互に目をやってから、綴が答える。一成は「やっぱそっか~」とうなずく。

「こっちのシックな感じも、これはこれでいいと思うぞ。原作の持つ雰囲気がよく出てる」

 同じように見ていた臣が言えば、一成は「おみみに言われると嬉しい~」とテンション高く言う。ただ、すぐに苦笑を浮かべて続けた。

「もらった写真が解像度低めでさ。頑張っていろいろ加工してみたらこんな感じになったんだよねん」
「……ああ、そうか。この時は俺も写真は撮ってなかったな」

 そういえば、といった顔で臣がつぶやく。そのやり取りを見つめる天馬は、机の上に広がっているのは、どうやら春組旗揚げ公演「ロミオとジュリアス」のフライヤーデザイン案らしい、と察する。
 最初の公演での写真撮影は支配人である伊助が行っており、臣は携わっていなかったのだ。その言葉に、一成はこくりとうなずいてから言った。

「デザインのオンライン講座受けてるから、せっかくだしロミジュリ公演のフライヤー作ってみたいなって思って!」

 一成がカンパニーに加わったのは、夏組旗揚げ公演からだ。その時からフライヤーを手掛けているので、春組旗揚げ公演には当然関与していない。
 秋組旗揚げ公演でも、一成はぞんぶんにその手腕を発揮して臣とともに魅力的なフライヤーを制作した。冬組旗揚げ公演でも強力なタッグを組んで、公演を彩るフライヤーを作るつもりだ。だからこそ、春組だけ手掛けていないことが気になったらしい。

「おみみとつづるんの意見も聞きながら、フライヤー作ろうかなと思ってさ~。さわやかな感じっていうなら、彩度もちょっといじって……」
「他の写真もいいかもしれないな。綴としては、特に見せたいのはどの辺りなんだ?」
「象徴的な場面っていう意味でも、咲也と真澄の見せ場って意味でも、やっぱり殺陣のところっすかね」

 一成の言葉を皮切りに、臣や綴もあれやこれやと自分なりの意見を口にする。
 デザイナーとしての立場ではないながら、綴は脚本を書いているし臣も多くの写真を撮ってきている。それぞれ、役者とは異なる表現者のフィールドを生きていることは同じだ。
 自分の知っているものを持ち寄って、フライヤーという一つの形にしていこうとしている様子が見て取れる。
 天馬は声を掛けるタイミングを失って、三人の様子を見つめていた。
 机に広がったデザイン案を前にして、どうすれば「ロミオとジュリアス」という作品をより魅力的に伝えられるか、と熱心に話し合っている三人。
 綴は脚本家として作品に込めた内容を、臣は写真によって切り取った意図を。一成は二人の意見を参考にしながら、デザインという形に落とし込んでフライヤー案を提案している。

「『ロミオとジュリアス』の世界観を、ばっちり表現したいよねん」

 真剣なまなざしで言えば、臣も綴もうなずいている。それは役者としてではなく、もっと別の場所で生きる表現者としての顔だ。フォトグラファーとして脚本家としてグラフィックデザイナーとして、カンパニーに関わっているからこそ、見える一面だ。

「ゆっきーにも意見聞きたいんだよね~。デザインの方向性的にも、ゆっきーの意見はマストっしょ」
「そうっすね。幸の衣装でだいぶキャラクター性もはっきりしましたし」
「赤と青の使い方がすごく上手いからな」

 三人はここにいない衣装担当の名前を挙げて、いかにしてあの衣装が世界観に大きな貢献を果たしているか、と話している。三人とも自分たちのフィールドならではの視点を持っていて、それぞれの才能やスキルが如実に表れていた。
 カンパニーで役者として舞台に立っているけれど、それ以外の点でも大いに活躍しているのがこのメンバーなのだと天馬はよく知っている。今ここにはいない幸を含めて、役者と兼業しながらしっかりとカンパニーの力になっていてくれるのだ。
 交わされる会話を聞く天馬は、あらためてそれを実感する。
 綴の脚本、幸の衣装、臣の写真、一成のデザイン。彼らの持つスキルから発せられる言葉は力強く、役者としてのものとは違った側面を持っている。
 それぞれがお互いの持つものを尊重し合いながら、よりよいものを作り上げていこうと熱心に話し合う様子は、何だかやけにまぶしく見えた。
 遠い位置で三人を見つめる天馬は、声を掛けるタイミングを失ってただ唇をつぐんでいた。
 彼らの話は、役者とは違う表現者としての言葉だ。天馬とて、役者としての立場であればいくらでも意見は言える。しかし、それ以外の表現者として何かの能力があるかと言われれば、首を振るしかないのだ。
 天馬は脚本も書けないし、衣装だって作れない。満足な写真も撮れなければ、デザインを形にすることもできない。役者と兼業しながら確かな貢献をしている彼らとは、あまりに立場が違うのだ。
 そんなことを気にする人間ではないと、天馬だってわかっている。とんちんかんなことを言ったって笑うことはないだろうし、役者としての言葉もきちんと受け取ってくれるに決まっている。

 わかっているのに、天馬は三人の会話に入れなかった。
 寮までの帰り道、胸に芽生えたもやもやが一段と大きくなった気がした。ざわざわして落ち着かない。自分たちのフィールドで、熱心に語り合う姿を頼もしいと思いこそすれ、不安や不快に感じる要素なんて一つもないのに。
 楽しそうな笑顔で、コメントの一つ一つにあいづちを打って、目を輝かせて熱心に聞き入る姿に、だってオレはそうなれないのだ、と思ってしまった。
 一成はきらきらしたまなざしで綴の話を聞き、臣の言葉に大きくうなずく。交わされるのは専門的な話で、天馬にはいまいちピンと来ない。
 もしもこれが舞台の話であれば、役者としてのふるまいの話であれば、天馬だってわかる。しかし、芝居とは違う表現者としての話は天馬に縁遠い。目の覚めるような意見も言えないし、一成の役に立つことはできないだろう。
 日常生活において、一成の力になっている自負はある。いつも気に掛けているから、困っているならすぐ助けになることができるし、必要とあれば金だろうと物だろうと援助するのは当然だった。一成自身、天馬のことを「恩人」だと言ってくれるし、独りよがりの行為ではないはずだ。
 舞台の上でだってそうだ。長年芝居の世界で生きてきた天馬は、カンパニーでも抜群の演技力を誇る。メンバーに対しての助言を行って、芝居をさらに良くしようとしてきた。
 一成に対しても当然同じようにしてきたし、演技に関しては特に頼られていると言っていい。ストリートACTに誘えば一成は喜んでついてくるし、寮内でちょっとしたエチュードを仕掛けられることもある。
 公演期間外でも芝居に取り組んでいるし、一成の演技が少しずつ上達していくのを近くで感じられることも嬉しかった。本人も演技力がついてきたことを実感して、「テンテンのおかげだねん」なんて笑っていた。
 日常生活なら。舞台の上でなら。芝居なら。天馬はカンパニーの誰よりも一番に、一成の力になってきたつもりだったし、間違ってはいないだろう。一成が求めるもの以上のことを、いくらでも渡してこられたはずだ。
 しかし、今の天馬はただ口をつぐんで三人を見つめているしかできない。役者とは違う表現者の顔をして交わされる会話。今ここにいるのは、役者ではなく、脚本家であり写真家でありデザイナーなのだと、まざまざ思い知らされる。
 ひけらかしたり、鼻に掛けたりしているわけではないのだから、素直に話に混ざればいいのだということくらいわかっている。だけれど、どうしたって天馬は役者でしかない。三人が持つ、他のフィールドの表現者という立場で、同じ目線で語ることはできないのだ。
 芝居のように一成の力にはなれないのだ、と天馬は思う。
 きらきらした目をして、臣や綴の言葉に感心して「なる~!」「そういう表現もアリかも!」なんて言われるような、目新しい意見も出てこない。「さすがつづるん!」「おみみ、ナイスアイデアすぎ!」と言って、信頼と好意を宿したまなざしを向けられることもない。
 役者以外の表現者としてのスキルを天馬は持っていないのだから当然だ。そんなこと、充分わかっているのに、胸のもやもやが去らない。それどころか次第に大きくなって、一つの言葉になっていく。

(そこにいるのは、オレでいたかった)

 思って、はっとする。自然とあふれるように出てきた言葉に、心臓がドキドキと鳴る。何を言ってるんだ、とは思わなかった。それどころか、自分の気持ちがより強く明確になって天馬は理解してしまう。
 一成は、きらきらとしたまなざしを綴や臣に向けている。幸を相手にした時もそうで、彼らの持つ芝居以外の表現者としての側面に限りない尊敬の念を持っているからだ。役者としてだけではなく、異なるフィールドで活き活きと活躍する姿に、敬愛を抱いているのだろう。
 芝居をする天馬にも同じ顔を向けてくれることは、わかっていた。それでも、天馬は思ってしまった。
 綴や臣だけではない。たとえば、真っ先に声を掛けられる太一や、ずいぶん仲良くなった美大の公開講座を共に受けている相手。そんな人たちの前でも、きっと一成はまばゆい笑みを浮かべるのだ。
 人のいいところを見つけるのが上手くて、いつだって寄り添ってくれる人間だ。そんな一成は天馬の知らない顔で、嬉しそうな表情を誰かに向ける。そんなこと当たり前でしかないのに、胸がざわついて仕方ない。
 だってそこにいるのは、一成の向けるものを受け取るのは。他の誰かじゃなくて自分がいい、とはっきり思ってしまった。
 湧き上がった気持ちに、天馬は戸惑うしかない。声を掛けようと思っていたけれど、今言葉を発したら何が飛び出すかわからない。頭を冷やすべきだ、と判断した天馬は慌てて談話室をあとにした。