夏と神様 30話





 ぱちり、と瞬きをしたあと、天馬と一成はお互いの顔を見つめる。何も言わなくても、言いたいことはわかっていた。違和感は消えた。全部思い出した。

「これは、あいつらの分だ」
「うん。二人だけで来たから、みんなへのお土産だねって――」

 そこまで言ったところで、一成は口をつぐむ。天馬もはっとした表情を浮かべるのは、全てを思い出したと同時に、現状を理解したからだ。
 MANKAIカンパニー夏組として、たくさんの舞台に立ってきた。それこそが自分たちの記憶だと思うからこそ、現状との差異を認識すれば慌てるしかない。

「待って待って、オレ芝居してないんだけど!?」
「オレだって、コメディ一切やってない」
「てか、みんな何してる系? テンテン以外の記憶がない」
「そもそも、MANKAIカンパニーちゃんとあるのか……?」

 口々に言い合うのは、どこをどうひっくり返しても他のMANKAIカンパニー劇団員の記憶がないからだ。
 天馬は欧華高校を卒業していたものの、太一のことも十座のことも記憶にない。芸能活動に忙しくて学校にあまり通っていなかっただろうか。
 一成は一成で、高校時代綴に会っていなかったし、大学でも後輩として万里を見かけた記憶はない。それぞれ別の場所に進学したのか、一成の交友関係に入っていないのか。
 そして、天馬も一成も他の夏組とは一切出会っていなかった。当然だろう。だって自分たちは、MANKAIカンパニーに入っていない。
 あの場所で、偶然の出会いから集った。もしも入団していなければ、きっとお互い知らないままだった。年齢も生活する場所もバラバラなのだ。どこかで出会う可能性は低くて、偶然カンパニーに入らなければ、この世界に生きていることすら知らなかった。それはきっと、今みたいに。

「――えっと、まず今の状況整理しよ」

 何だか泣きたい気持ちになったけれど、一成は努めて明るく言った。天馬だって、夏組と出会っていないという事実にショックを受けてはいた。ただ、このままうなだれているわけにはいかない、と一成の言葉に相槌を打った。
 MANKAIカンパニーに所属していた、ということを二人は一つも疑っていない。だから、今この状況がおかしいのであって、正しいのは夏組の自分たちという自覚がある。
 それなら、MANKAIカンパニーとのつながりがどこで途絶えたのかを探ればいい。夏組としての最後の記憶がどこなのか。二人して付き合わせていけば、答えは案外すんなりと出る。
 それに、薄々予想はついていたのだ。ここを訪れた時の違和感だとか、そもそも強烈に刻まれている祭りの日の出来事のせいで。
 二人で夏祭りへ出掛けた。いつも訪れている神社の前で、話をしていた。突然雨が降り出したと思ったら、聞こえるはずのない鈴の音がした。戸惑っていると、お互いの姿が見えなくなり、神社がガタガタと揺れ出した。最後に見たのは、勢いよく開く格子扉と、目もくらむ強い光だった。
 二人して記憶をすり合わせて、同じ場所に辿り着く。最後に見たものは二人とも同じだったのだ。一成は眉根を寄せて言う。

「何かホラー展開だったけど、原因あれだよね? まさかの異世界転生してる?」
「異世界ってほどじゃないが……別世界ではあるよな。カンパニーに入ってなくて、あいつらにも会ってない」
「だよねん。別ルートって感じ」

 何もかもが大きく違った世界というわけではない。むしろ、ほとんど同じといっていい。現代の日本で、天鵞絨町だって存在している。天馬も一成も年齢や境遇に違いはない。
 ただ一つ、重大な違いはMANKAIカンパニーとの接点が皆無という点だろう。丁寧に痕跡を消していくように、それぞれの人生にはMANKAIカンパニーが関わらない。連なるものさえ、ほとんどないと言っていい。唯一の接点は、互いの存在だけだ。それを噛みしめるように、天馬はつぶやく。

「お前にだけは会えた」

 他の誰も自分の人生に関わっていない。それでも、たった一人だけ。MANKAIカンパニーとはまるで関係のない場所で、確かに出会ったたった一人。どんなルートでも必ず巡り会うみたいに。まるで何かに導かれるみたいに。まるで、お互いを選んだみたいに。
 その事実に、ドキリと心臓が高鳴った。天馬だけではない。一成も同じだ。
 MANKAIカンパニーとの関わりがないからこそ、よけいに強く思った。何も知らなくても、出会った自分たち。出会わないはずの世界で、ちゃんと彼を見つけた。その事実は、ずっと思っていたことを強く裏付ける。
 たった一人だ。一人を選べと言われたら、必ず彼を選ぶと言えた。特別なひと。他の誰でもない、オレのたった一人。
 はっきりそれを認識するのと同時に、あの祭りの夜に意識がつながる。
 たった一人の特別なのだと、告げようとした。あふれた想いが形になるのは今この時だと、わかっていた。
 景品のブレスレットが二人の頭には浮かんでいた。あの時も、今も手にしたお互いの色を宿したブレスレット。緑とオレンジ。交換しようと言って、それぞれの色を受け取り合った。あの時言えなかったことがある。
 そんな場合じゃない、と理性は言っていた。カンパニーや夏組のこと、これからすべきことは山積みなのだ。この状況をどうにかしなくてはいけない。だから、今こんなことを考える時ではないとわかっていたのに。同じくらい、どうしようもなく理解していた。
 天馬と一成は、お互いを見つめた。紫色の力強い瞳。きらきらと光る緑色。あざやかな色彩を受け取り合えば、何を考えているのか手に取るようにわかった。
 だって、あの夜感じていたのだ。お互いの気持ちなんて、とっくに知っていた。あとは言葉にするだけだ。

「一成」

 天馬はそっと名前を呼ぶ。熱さを宿した響きで、凛とした強い意志で。一成はうなずくように「テンテン」と言葉を返した。それだけで充分だった。天馬は大きく深呼吸をして、言葉を続けた。

「お前に言いたいことがある。今はそんな場合じゃないのかもしれない。だけど、伝えられる時に伝えたい」
「うん。いきなり別世界飛ばされちゃうかもだし、言いたいことは言っておかないとねん」

 冗談めいて答えるけれど、限りない本心だ。天馬だって同じ気持ちだから、今告げることにしたのだろう。
 あの夜、もう少しでちゃんと伝えられた言葉がある。あと少しで、全てのピースがはまるはずだった。それなのに、突如として全てが奪われた。
 だから、今度こそ消えてしまわないように。思いがけない事態に巻き込まれて、気持ちを伝えることが許されなくなる前に。今すぐに、大事な人へ心の全てを伝えたかった。
 天馬は一つ息を吐いて、姿勢を正す。ベンチに腰掛けた体が少し動いた。弾みで、並んでいた景品の内大きな鈴が転がった。りん、りん、と音を立てるけれど天馬は気にしない。そのまま、思いを告げようとした時だ。
 がさり、と木々の揺れる音がした。とっさに二人とも音のする方へ顔を向ける。
 暗がりの木々の間から、見知った顔が現れる。すらりとした体躯に少し長い黒髪。小柄で色白。金色の瞳が光っている。現れたのは、燦飛と皓望だった。


 燦飛と皓望は、真っ直ぐ二人を目指して歩いてくる。ベンチに座る二人の前に立つと、強い声で言った。硬質で、切実な響きがあった。

「だめだ」
「言っちゃだめだよ」

 告げられた言葉を、天馬と一成は真正面から受け取る。ずっとこの声を聞いていたような気がする。昔から隣にいた記憶だってある。だけれど、それは本来のものではない。燦飛も皓望も、MANKAIカンパニーで過ごした二人の世界には存在しなかった。
 だからきっと、本当の記憶ではないとわかっている。それでも、同じ時間を過ごしたことが全て嘘だと言い切ることもできずにいる。
 天馬と一成が向けるまなざしを、燦飛と皓望は受け止める。戸惑いも混乱も理解した上で、告げる言葉は一つだった。たった一つの懇願。二人に言うべきことは、ずっと前から決まっている。

「言ってしまったら、もうここにはいられない」
「この世界で、もう守ってあげられない」

 二つの声はまるで性質が違う。それなのに、たった一つの声のような響きをしていた。天馬と一成から視線をそらさず、丸ごと心を取り出す切実さで続ける。

「この場所なら安全だ。俺が今まで通り、天馬を守る」

 燦飛は言う。ベンチに座る天馬だけを見つめて、他の何にも目もくれず。実際、燦飛にとって天馬以外に意味はなかった。たった一人だけが全てだ。

「一成を傷つけるものは何もないよ。絶対幸せにする」

 きっぱり告げた皓望も、一成しか見ていない。当然だ。皓望にとって、一成以外の存在は何の価値もない。皓望が大事にするのは、一成一人だけだ。
 燦飛と皓望は、真剣な顔で告げる。すがるように、懇願するように、たった一人に誓う響きで。
 声の高さも強さも強弱も違う。向ける相手だって別人だ。それなのに、傾ける心は同一で、一言一句違わない。怖いくらいに強い目で、金色の光を宿したまなざしで、同じ言葉を告げる。

「きみがその一人を選びさえしなければ、世界はまるごときみを愛してあげられる」

 それはこの世界の、唯一絶対の事実だった。大事な人の子を自分のものにするため、二柱の神様は世界を作り上げた。大切に庇護して、何もかもから守れるように。世界の全部で大事な一人を愛せるように。
 ずっと上手く行っていたのだ。人の子は健やかに真っ直ぐ、何もかもから愛されて時を重ねた。そうなるように仕向けていたから当然だ。
 本人たちも気づいていない欠けた部分を、知らない隙間を守っていられれば、ずっとそうして世界は機能する。人の子の心に自分たちが入り込むことさえできれば、この世界はいつだってたった一人を愛していける。
 それなのに、彼らは互いを見つけてしまった。欠けた部分を、求めていた半身を、魂の番を。たった一人に出会って惹かれ合って、心を通じ合わせようとしている。そうなれば、自分たちは弾き出される。満たされてしまえば、神様を必要としない。
 だから、ずっと恐れていたのに。

「――思い出しちゃったんだね」

 悲しそうに一成を見つめて、皓望は言葉をこぼした。
 何も言わなくてもわかる。世界を作った存在なのだ。一成が、天馬が、今までと違っていることくらい、すぐに気づいた。少しずつできていたほころび。さらに大きく広がっているのは、本来生きている世界を思い出したからだとわかっていた。

「――ここに神社があっただろう」

 ちらりと視線を動かした燦飛が、ぽつりとつぶやいた。
 全てを思い出したなら、もう隠す必要はなかった。人間のフリをして、近くにいた時間は何よりも大切で楽しかった。ただ、それも終わりだ。正体を明かして全てを伝えるしか、もう方法はないとわかっていた。

「俺たちは、あの神社で祀られていた。血縁という概念はないけれど、人の子の言葉を使うなら兄弟といったところだろう」

 淡々と言った燦飛は、傍らの皓望へ視線を向ける。皓望も燦飛を見た。しかし、互いのまなざしに親愛の類は一切なかった。
 血縁ではない。ただ同じ時期に同じ場所で祀られた。誰より近しくて、いつでも一緒だった。かろうじて別の意識を保っているだけで、本当はきっと同一の存在なのだ。兄弟と便宜上名づけるとしても、ほとんど同じ存在と言ってよかった。

「俺は太陽の化身、金烏」
「僕は月の化身、玉兎」

 熱のない声で二人は言った。単なる事実を羅列するだけの言葉は、だからこそやけに力を持っていた。ただ名乗るだけだ。それなのに、天馬も一成も身動きが取れない。
 燦飛も皓望も、二人を害するつもりは一切なかった。しかし、神の名乗りだ。ただそれだけで、圧倒的な力が場を支配する。
 何も言わない二人に、二柱の神様は言う。淡々と、落ち着いた声で、狂おしい熱を抱えながら、今日までの日々を語る。
 太陽と月の信仰として祀られた神様だった。小さな神社が作られて、人々は手を合わせた。しかし、次第に人が来なくなり、意識はほとんどなくなっていった。また誰かが手を合わせてくれたら、と思いながら少しずつ人は来なくなって、もう消えるだけだと思っていた。
 そんな時に、きみがあらわれた。

「手を合わせてくれた」

 燦飛と皓望が声を合わせた。無表情にも近かった顔が崩れて、泣きそうに目を細めた。あふれでる心が声になる。どうしようもない愛おしさが形になったのだと、殴りつける強さで理解する。そういう声をしていた。

「神社の掃除してくれたでしょ。きれいになって嬉しかったな」
「飲み物を供えてくれた。ずいぶん喉が渇いていたんだ、とあの時知った」

 嬉しそうに神様は告げる。小さな神社を訪れた二人がしてくれたこと。本人たちには些細なことだっただろう。大した意味はないとわかっている。それでも、一つ一つがどれほど力になったか。きみがいてくれたから、消えずにここに生きているのだと知っている。

「絵を描いてたね。あの絵が好きだったんだ」
「芝居の練習をしていただろう。堂々とした姿が好ましかった」

 笑みを浮かべて続けたのは、あの神社で二人の過ごした日々だ。知らないところで、ずっと二人を見守っていた。
 天馬と一成。やって来るのが嬉しくて、顔を見せない日が悲しかった。ずっとここにいてほしいと思った。離れずそばにいたいと思った。他の誰にも渡したくなかった。どこにもいってほしくなかった。ずっとずっと、自分だけの存在でいてほしかった。
 ずっと前から決まっていたように、この子がほしい、と思った。自分のものにするためにできることをしようと思った。だから、こうして世界を作って、こちらへ連れてきた。自分だけのきみにするために。
 それは確かに叶ったのだ。たった一つの例外に出会うまでは。

「この世界に、きみは要らない」

 皓望が言った。初めて天馬へ視線を向けて、邪魔なものを切り捨てる目で。

「想いを告げるきみは要らない」

 燦飛が続いた。たった今一成に気づいたような素振りで、関心一つないまなざしで。
 二柱の神様は言う。すでに興味はなくなったのか、相手への視線を外して自分自身のたった一人に向けてだけ。この世界の理。たった一つの真実。この場所を守るための手段。
 思いを通じ合わせてはならない。心を通わせてはならない。二人は結ばれてはならない。たった一つの約束だ。それさえ守れば、世界は何も壊れない。
 告げた神様は、畳みかけるように言葉を並べた。懇願のような切実さは、たった一人に懸ける誓いだ。一人のために世界を作り上げた神様からの、混じり気のない言葉だ。

「ここは僕たちの世界だ」
「俺たちの自由になる世界だ」
「ここでなら、幸せが約束されている」
「世界の全てできみを愛するよ」

 二柱の神様は声を合わせて言った。天馬と一成。たった一人。この子しか要らない。きみだけがほしい。きみだけがすべてだ。

「だって、きみは神様のいとし子だから」

 目を細めて、やわらかく笑って。心の全てを取り出すように、燦飛と皓望が告げる。
 その言葉は、あまり真っ直ぐ天馬と一成に届いた。どれほどまでに、強く、強く想われているのか。理性や理屈ではなく、ただ全身でわかってしまう。これは、この言葉は、どこまでも純粋な心からの言葉だ。
 荒唐無稽な話だということは、天馬も一成も理解している。
 本来の道ではないとはいっても、一緒に過ごしてきた記憶を持っている。ごく当たり前に日常生活を共にしてきた相手が、自分たちは神様だと言うのだ。二人で過ごした神社に祀られた神様。たった一人の自分にしたいと、世界を作ってこちらへ連れてきたなんて。
 馬鹿みたいな話で、何を言っているんだと笑い飛ばせばいい。そう思うのと同時に、どうしようもなく理解している。――ああ、これは全て本当のことなんだろう。
 だって二人にとって、MANKAIカンパニーは揺るぎない。夏組として過ごした日々も、みんなで立った舞台も、何もかもを覚えている。自分の記憶がどれか、と尋ねられたら迷うことなくMANKAIカンパニーでの日々だと答えられる。
 それなのに、今ここで生きる自分たちの記憶にMANKAIカンパニーの面影は一つもない。お互い以外の誰と出会うこともなく、MANKAIカンパニーの存在すら知らずに今日までを生きてきたのだ。
 今ここにいる自分たちの辿った道は、本来の形とまるで異なっている。こんなことのできる存在が、ただの人間のわけがなかった。
 それに、二人は燦飛や皓望に対する違和感を覚えていた。
 公演のロケ現場。テレビ局の楽屋。突然現れて、天馬も一成ももう会いたくないと言っている、なんて告げた。あれは、二人をこれ以上近づかせないための手段だったのだろう。それを告げるために現れた。
 あの時感じた違和感。何かがおかしいと全身が叫んでいた。強烈な感覚を覚えているからこそ、人間ではないという言葉には妙な説得力があった。
 それに、たとえ本来の道ではないとしても。今日までともに過ごした経験が告げている。今までの日々が教えている。目の前の二人は、自分に嘘を吐かない。必要なことは隠しても、決して嘘は吐かない。だからきっと、この告白は真実なのだ。
 当たり前のように、二人は納得してしまった。荒唐無稽な、馬鹿げた話だと言うこともできたのに。ただすんなりと、神様だという言葉を受け入れてしまった。
 同時に、この神様が今まで共に過ごしてきた存在であることも理解していた。だからもう、怖くはなかった。
 たとえ、この世界を思い通りに動かせる、世界を創造した絶対的な神様だとしても。同じ時間を分かち合ってきた相手だ。友人であり特別な相手だった。わかっているから、言葉はするりと形になった。

「――運がいいってよく言われたんだ。尊敬してる監督にたまたま出会えたとか、インタビュー記事を見たプロデューサーが、ちょうど探していた役にぴったりだってオファーが来るとか」

 神様だと告げられて、天馬の頭に浮かぶものはいくつもあった。八高燦飛という存在が、どれほど自分を大事にしてくれたのか、天馬は何一つ疑わない。だからきっと、幸運は燦飛が連れてきたのだと思った。

「――見てみたかったけどずっと展示されなかった絵が、たまたま展示会に出てくるとか、描きたい絵があったけど天候的に絶対無理のはずがばっちり見られることが何回もあったよ」

 一成も続いたのは、皓望が神様だからこそもたらされたものに思い至ったからだ。ラッキーだったねん、なんて言った時、きっとそこには皓望の力が働いていた。因幡皓望という存在は、いつだって一成の願いを叶えようとする。