一億光年の恋 最終話
彗星を見よう、と一成が言った。
夕食も食べ終えて、夜も深まった時間帯だ。元々そのために来ていたということもあり、もちろん誰もノーとは言わない。
星を見るならどこがいいか、と管理人に尋ねれば洋館の裏庭はどうでしょうかという返事だったので、徒歩5分ほどの道のりを歩いていく。
千景と密も一緒についてきてくれたのは、何だかんだで面倒見がいいからだろう。
MANKAI寮までは車があれば日帰りができる距離だ。夏組は宿泊の予定だけれど、運転手である千景は一旦帰宅して翌朝迎えにくることもできるし、密はそのまま帰ってしまっても構わない。
だけれどそうしなかったのは、夏組の安全を考えてのことだということくらいわかっていた。万が一のことを考えて、ここに残ると決めてくれた。
決して口にはしないけれど、そういう人たちなのだと夏組は知っている。
「テンテン、ちゃんと起きてる~?」
洋館に向かう道すがら、一成が面白がるような響きで尋ねる。何を指しての言葉なのか、天馬は理解している。
あれから、夏組は管理人夫妻の居住地である離れへ向かった。そこでこれからのことを話している時、天馬は限界を迎えてその場にへたりこんだ。恐らく、緊張の糸が切れたのだろう。
一成たち夏組はもちろん、密や千景、井川と管理人夫妻は大いに慌てた。しかし、具合が悪いわけではなく、睡魔に負けそうだということを理解してほっと安堵する。
一成のことが心配で眠れなかっただけではなく、その後に起こった出来事も拍車をかけたのだろう。今に至るまでの心労を考えればもっともだというわけで、離れの一室を借りて天馬を寝かせることにしたのだ。
「昼過ぎには起きたし、夕飯前にはお前と洋館まで行っただろ」
若干不貞腐れたような物言いになってしまうのは、何となく気恥ずかしかったからだ。
眠気に負けそうになりながらも、一成の手だけは離さなかった記憶はある。だからなのか、一成はずっと天馬の枕元にいてくれたらしい。
目覚めた時は、今までのことが全て夢だったんじゃないかとぞっとした。
しかし、すぐ近くにいた一成が、ほっとしたように「よく眠れた?」と尋ねてくれたので、一成が生きている現実を噛み締めることができたのだ。
それから一成は「テンテンの寝顔かわいかったよん」と満面の笑みで言うので、微妙な顔をすることにはなったけれど。
「そだねん。テンテンと散歩するの楽しかったよん」
一番星が輝く頃、天馬は洋館へ向かった。壊れてしまったあの時計を確かめるためで、自分一人で行こうとしたのだけれど、それに気づいた一成が「オレも行っていい?」と尋ねたのだ。
断る理由はなかったし、一成と同じ時間を過ごせることが嬉しくて、天馬はこくりとうなずいた。一成は嬉しそうに笑って「テンテンと散歩とかテンアゲ!」と屈託がなかった。
「密さんがあとからついてきてたらしいけどな」
「全然気づかなかったよねん。さすがヒソヒソ」
二人だけの散歩のつもりだったけれど、実は密がついてきていたことは帰ってきてから知った。護衛をしてくれたのだろう。
一成は「ラブラブしてるところ見られたかな~」と呑気に笑うけれど、天馬は誓って何もしていない。
いざ思いが通じ合ったところで何をどうすればいいかわからない、ということもあるけれど。
洋館に赴いたのは、時計のことを確認したかったという理由なので、いささか神妙な気持ちだったということもある。一成もそれは当然わかっていたので、単なる軽口だということは天馬も理解していた。
一成との会話で、自然と頭に浮かぶものがある。ほんの数時間前。一成とともに、あの部屋で時計を前にした時のことを天馬は思い出していた。
◆
天馬が寝ている間に警察が来ていたようで、斧などは押収されており残っていなかった。割れた硝子や散乱していた木片も綺麗に片付けられて、破壊された時計だけが無残な形で二人を迎える。
飴色の光に満たされた部屋で、天馬と一成はアンティークソファに並んで腰かけた。二人とも何も言わない。沈黙の落ちる室内では、風に揺れる梢の音がよく聞こえた。
「――テンテンが寝てる時に、この時計の話色々聞いたんだよん」
話の接ぎ穂を探るように、一成が口を開く。いつもの笑顔に似ていたけれど、静かな雰囲気をたたえている。
一成が眠る天馬のそばにずっといた間に、他の夏組はあれこれと管理人から時計の話を聞いていたらしい。部屋を訪れて一成にその話を教えてくれたので、大よその内容はきちんと把握しているようだ。
「星合の時計って名前はさ、全体的に宇宙モチーフだからっていうのもあるんだけど、実は隕石加工して作られた時計だからなんだって! びっくりじゃね?」
管理人曰く、銀河を思わせる文字盤の一部には実際の隕石が使用されているらしい。いつの時代に落ちたものなのか定かではないけれど、宇宙の彼方から運ばれてきた星の欠片が時計には宿っていた。
だからこそ、星を冠する名前がついたのだろうと思われているけれど、名前の由来はそれだけではなかった。
笑顔を一転させると、一成は視線を落として言葉を続ける。痛ましそうな声をこぼした。
「それから、この時計を作った職人さんが恋人を亡くしてるんだって。その、亡くなった恋人っていうのが星を見るのが好きだったから、星をモチーフにした時計を作ったんじゃないかって言われてるみたい」
その話自体は、確かな記録として残っているわけではない。ただ、時計を入手した際に聞いた話として伝わっているだけだ。だから、実際にそんなことがあったのだと言い切ることはできない。
それでも、一成をはじめとした夏組はその話に心を痛めた。亡くしてしまった大事な人。もう二度と会えない。触れることも声を聞くこともできない。その喪失は、決して他人事ではなかった。
「星合って、七夕の夜のことらしいんだけどさ。一年に一回だけでもいいから会いたいって思って作ったのかな」
ぼんやりとした声で一成は言った。
亡くなってしまった恋人。星が好きだったという相手を思った時、きっと夜空の星になったと考えた。そして、一年に一度会うことのできる彦星と織姫になぞらえて、せめて――と願ったのかもしれない。
「――そうだな。もう一度会いたいって、何があってもいいから会いたいって、願ったと思う」
天馬の唇からは自然と声がこぼれた。どんな形でもいい。荒唐無稽で馬鹿げた話でもいい。何だっていいから会いたいと望んだ人を知っている。
恋人を亡くした職人も同じ思いを抱いて、時計を作ったのかもしれない。今はもういない。どこを探したって二度と会うことのできない大事な人を想いながら。
天馬も一成も何も言わない。だけれど、同じ気持ちを抱いていることは、声にしなくても伝わった。
事実かどうかはわからない。それでも、自分たちに起きた出来事に理由をつけるとするなら、きっとそれはこの話に起因しているのだと、すとんと納得していた。
時計に込められた願いと天馬が抱いた願いが呼応して、夢みたいな出来事は現実になった。過去と現在の時間をつなげて、声を聞いて顔を見て、新しい結末を迎えることができたのだ。
単なる夢想だと断じてしまうこともできる。だけれど、天馬も一成も、理性や常識ではなくただ理解していた。
時計に伝わる言い伝えは本当だった。共に語られる話もきっと事実だからこそ、二つの願いが重なって奇跡を起こしたのだ。
「だから、過去の時間とつなげてくれたんだねん」
一成の唇からぽとりと落ちた言葉は、とても静かで丁寧だった。天馬はその声を聞きながら、今日までのことを思う。
一成がいなくなってしまった。世界のどこを探したって、どこにもいない。何でもいいから会いたかった。声が聞きたかった。もう一度名前を呼んでほしかった。笑顔を見たかった。会いたいと願った。
この部屋で電話をかけたのは単なる偶然だった。だけれど、まるで引き合うようにここへ辿り着いて、一成に電話をかけた。そしてつながったのは、過去の時間を生きる一成だったのだ。
天馬は何度も電話をかけた。夜にしかつながらないけれど、もう一度顔が見られること、笑っていてくれること、名前を呼んでくれること、目の前で生きていてくれることが嬉しかった。
天馬はそっとスマートフォンを取り出す。ここへ来た意味を思い出したからということもある。だけれど一番は、電話をかけたいと素直に思ったからだ。
一番星はすでに出ている時刻だった。夜と言って差し支えないだろうし、この時間に電話をかければいつも9月の一成が出てくれたのだ。
天馬は一つ息を吐き出して、じっと画面を見つめる。
まだ電話はつながるだろうか。条件は今までと同じで、ただ一つ違うのは時計が無残に壊れていることだけだ。果たして、電話は9月の一成につながるだろうか。
思いながら、一成の名前を選び、通話ボタンをタップする。今まで何度も繰り返してきた動作だ。数秒経ってコール音が聞こえたと思った次の瞬間、部屋には着信音が響いた。
隣に座る一成が、ポケットから自分のスマートフォンを取り出した。画面には着信の文字と天馬の名前。
一成は少しだけ考えてから、通話ボタンを押す。「テンテン?」と名前を呼べば、天馬のスマートフォンからも同じ声が流れた。
同じ部屋の、近い距離。天馬の電話がつながる先は、隣に座る一成のスマートフォンだった。
電話を切った天馬は、理解する。
きっともう、過去の一成に電話はつながらない。壊れた時計にそう思っていたけれど、どこかで「もしかしたら」と期待していた。だけれど、現実は純然たる事実を突きつけた。
もうこの電話は、二度と過去にはつながらない。
天馬はただ静かに、その事実を受け止めていた。
つながりが断たれてしまった、と思う。だけれど、ショックや悲しみとはほんの少し違っていた。喪失感はあるけれど、それよりも天馬の胸に宿るのは9月の一成に向ける申し訳なさだった。
きっと一成は電話を待っている。だけれど、未来の天馬や夏組と言葉を交わすことはもうできないのだ。
それどころか、誰一人この記憶を持たない場所に放り出してしまうのだと知っている。一成はそれすら全部、自分だけの宝物だと大切にしてくれるけれど。
天馬は過去の一成に向けて、どうかここまで来てくれと思う。未来からできることは、きっともう祈ることだけだ。
たった一人で記憶を抱えたまま、過去に放り出してすまない。だけど、9月の世界をちゃんと生きて、10月まで来てくれ。そしたら、ちゃんとお前を抱きしめられるから。
過去の一成が未来まで歩いてきた結果を天馬は知っている。隣の一成へ視線を向けると、「電話つながんないね」と寂しそうにつぶやいた。
悲しそうな横顔に何かを言わなくては、と思うけれど。それよりはやく、一成が立ち上がった。時計の前に立つ。
銀河のような文字盤には穴が空き、内部のゼンマイが露出している。精緻な星座の絵は粉々に砕け散り、原型を留めていない。
針も吹き飛び、文字盤から入ったヒビは周辺にも及んで無残な姿に変わり果てている。
芸術品のような趣さえあったのに、もはや面影すらなかった。ただのガラクタで、粗大ゴミとして捨てられていてもおかしくない姿だ。
しかし、一成は恭しい手つきで時計に手を伸ばした。
何かとても大切なものに触れるような仕草で、そっと時計を撫でる。穴の空いた文字盤を、砕けた星座の絵を、丹念に辿るように指先を滑らすと、ぽつりと声をこぼした。
小さな声だった。だけれど、この上もなく美しい響きで、一成は「ありがとう」と言った。目の前の時計に向けて。心からの言葉を、胸のうちからあふれていく思いを、美しい時計に告げる。
――時間をつなげてくれて、テンテンとオレをもう一度会わせてくれて、ありがとう。
◆
裏庭は洋館の北側に位置している。応接間に隣接したサンルームからの出入りが基本となっているということで、管理人から鍵を預かって洋館へ入った。
応接間には、深紅のカーペットや華やかな壁紙、存在感のあるソファやテーブルなどの調度品が品よく収まっていた。その中の、背もたれの大きなソファにふらふらと引き寄せられていったのは密だ。
千景は呆れていたものの、今日一日ずっと活動し通しだったことは間違いない。密の働きは認めているようで、「仕方ない」とため息を吐いた。
応接間から裏庭の様子を見ることはできるから、と言って千景と密は夏組を裏庭へ送り出した。
密がソファで寝ているからとか、彗星なら見たからね、という千景の言葉も嘘ではないのだろうけれど。これは彼ら二人なりの気遣いなのだと、夏組は気づいている。
詳しい話をしたわけではなくても、いつか交わした夏組の約束のことを、聡い二人はどこかで感じ取っているのかもしれない。
6人は密と千景の気持ちを受け取った。感謝の言葉を伝えて、サンルームの扉を開ける。裏庭へ出た。
洋館から漏れる明かりと、庭の片隅にそっとたたずむ外灯が、辺りをぼんやり照らしていた。こぢんまりとしながら、丁寧に手を入れられていることがわかる空間だった。
地面は小さな葉をつける緑で覆われ、隙間を縫うように煉瓦の飛び石が小道を作っている。辿っていけば、木製のガーデンベンチが置かれていた。
近くには煉瓦で作られた花壇があり、ヤブランは紫色の花をつけた穂を揺らし、みずみずしいアイビーは周囲に蔦を這わせている。
昼間に比べて気温は下がっているけれど、まだ本格的な寒さには遠い。6人は煉瓦の小道を踏み、裏庭の中心へと歩いていく。
背の高い木はほとんどなく、アオキやアセビなどの低木が庭の周囲を囲っている。裏庭には視界を遮るものが少ないおかげで、空がよく見えた。
「北西方向はあっちの方角だねん!」
周囲へ視線を向けた一成が、弾んだ声で言う。指し示す方向へ他の5人が目を向ければ、夜空の中ほどには美しい尾をたなびかせた彗星が一つ。
明らかに他の星とは違った様子に夏組はわっと歓声を上げた。「よく見えるね!」「すごい」といった言葉が並び、天馬もしみじみと言葉を吐き出す。
「彗星見たのなんて初めてだな」
ほとんど独り言のような言葉だった。誰かに向かって言ったわけではないから、答えなんてなくてもよかったのだけれど。隣にいた一成はきちんと声を拾っていた。
「テンテンの初めてだねん! まあ、肉眼で見える彗星ってレアだしね~」
明るい笑顔で言った一成曰く、彗星自体は度々地球に接近しているものの、肉眼で見えるものばかりではないという。望遠鏡がなくてもこんな風に見える彗星は珍しい類のものなのだろう。
「彗星って、どれくらいの明るさになるとかも予想つかないから、今回こんな綺麗に見えるのめっちゃラッキーだよねん」
今夏組の目の前にある彗星――カロン彗星は今まで何度か地球に訪れているものの、あまり目立つ彗星ではない。予想ではここまで美しい尾を持つとも、綺麗に見られるとも思われていなかったらしい。だからこそラッキーだった、と言っているのだ。
一成は明るい笑みを浮かべると、軽やかに言葉を紡ぐ。
「オレもカロン彗星の記録全部調べたわけじゃないんだけど、たぶん今までで一番明るいんじゃないかって、むっくんも言ってたよん!」
楽しそうに一成が言えば、呼ばれた名前に反応して椋が振り返る。
「なになに?」と明るく九門が問いかけて、幸や三角も視線を向ける。一成がニコニコと嬉しそうに、「むっくんがカロン彗星のこと色々教えてくれたじゃん?」と続けた。
「今度彗星が見えるって聞いて、オレも色々調べたけどあんまり情報出てこなかったのに、むっくん色々知っててマジすげー!って感動したもん」
天馬が寝ている間に一成のもとを訪れた夏組は、様々な話をしたらしい。その一つとして、椋が口にしたのが今目の前に輝く彗星のことだった。椋は一成の言葉に、恐縮したように首を振る。
「そんな……! ボクはたまたま本を読んだからで、すごいのはここの図書室だよ……!」
この洋館に滞在していた記憶を持つ椋は、図書室の存在を知っていた。今回も管理人の許可を得て図書室を訪れた際、彗星についての書籍を何冊か見つけたという。
蔵書内容は収蔵しているアンティーク品にまつわるものがほとんどだ。宇宙や天体の書籍は、恐らくあの時計に関係するのだろうと、椋はいくつかの書籍に目を通した。
その時に見つけたのが、今地球を訪れているカロン彗星についての本だったのだ。
「カロン彗星って、あんまり有名ってわけじゃないんでしょ。それなのに、本とかあるなんてちょっと意外」
幸が意外そうに言葉を落とす。彗星の話はある程度椋から聞いていたようで、知名度の低いものであることは知っていたのだろう。
一成もうなずいて「そそ。話題にならない彗星だったから、情報とかほとんど見つからなかったんだよね~」と嘆いている。椋はその言葉にうなずいて、そっと唇を開いた。
「うん。1900年代の初めくらいかな。一部が地球に落下したって話はあったけど、運良く被害とかはなかったんだ。だから、あんまり大きく取り上げられることもなかったみたい」
落ち着いた口調で椋が言う。際立って大きな彗星でもなければ、明るい光を放つわけでもない。特別な事件を起こすこともなく、ただ通過していくだけの彗星だ。
話題性にはいささか欠けるため、取り上げる書籍がそう多くないこともうなずける。むしろ、小冊子といった具合の薄いものだとは言え、一冊本が出版されていただけ運がよかったのだろう。
「大まかな概要と、今までに地球へ接近した時の記録とかが書いてあったよ。大体はそこまで明るいものじゃなかったみたい」
椋は一通り内容を読みこんだものの、そこまで詳細な記録があったわけではない。あまり目立つ彗星ではないので専門の研究者はいないのだろう。
アマチュアの天文家の記録をまとめたもの、といった趣が強い。前々回までをさかのぼって、当時の記録が記述されている程度だった。
特筆すべきこともそう多くはない。時期や方角、彗星の様子などが淡々と記述されていた。
カロン彗星は以前も核が分裂して、一部が地球へ落下している。その時のことはある程度詳細に記されていたものの、やはりそこまでの明るさを記録したとは書かれていなかった。
「たぶん、今回の明るさは本当に予想外だったんじゃないかな」
しみじみとした口調で椋が言えば、三角が笑みを浮かべて答えた。やわらかな雰囲気をたたえて、夜空を見上げながら。
「みんなで見ようねって言ってた彗星だから、特別になったのかも!」
カロン彗星自体は、天文に詳しい人間くらいしか認識していなかったはずだ。知る人だけが知っている彗星として、ひっそりと地球を通過していくのだろうとほとんどの人間が思っていた。
夏組は一成から聞いていたので、事前に存在を知っていたにすぎないのだ。
しかし、カロン彗星は予想外の明るさを持って夜空を渡っていく。
流れ星と違って、一瞬で消えていくわけではない。特定の方角に、ずっとその姿を見せていてくれるのだ。人々の話題に上るには充分で、近日点を通過して以降は明らかにカロン彗星を取り上げるメディアが増えた。
結果として、毎日のように「今日の彗星情報」が伝えられるようになり、いっそう多くの人たちが空を見上げることになったのだ。多くの人の記憶に残る彗星になることは間違いない。
三角の言葉を聞いた九門は、明るく言った。心底楽しそうに、ワクワクとした笑顔で。夜にも負けない強い光を放つみたいに。
「何か嬉しいよね! 一緒に見ようって約束してた彗星が、歴史に残る大彗星になるかもって言われるの!」
多くのメディアでは専門家の意見が多々取り上げられており、大多数の見解は歴史的な彗星となるだろうというものだ。今後の歴史においても必ず名前が挙げられるに違いない。
しかし、一成から存在を知らされた時に、そんな気配は微塵もなかった。
ささやかな彗星だったとしても「みんなで見よう」と約束した時から、夏組にとっては特別な彗星だ。どんなに小さくても、メディアに取り上げられなくてもその事実は変わらない。
だけれど、予想外に明るい彗星となり、多くの人たちの口に上るようになった。歴史的にも名前を残す彗星になるだろうと言われている。
それは、何だか自分たちが特別に思う彗星をたくさんの人が大切にしてくれるようで、嬉しいようなくすぐったいような、そんな気持ちになるのだと九門は言う。
椋は顔を輝かせて「うん! 嬉しいよね!」と答えるし、三角はニコニコ笑顔でうなずいた。幸は「ま、悪くはないんじゃない」と言うけれど、唇には確かな笑みを刻んでいる。
「――オレたちにはぴったりだろ」
少しだけ考えてから、天馬はつぶやく。
夏組全員で見ようと言った彗星だ。明るく光り輝くことも、たくさんの人の口に上ることも、歴史に名前を残すことも。
まばゆい光を放ち、多くの人に笑顔を届けて、空高く駆け上がっていく自分たちには、きっと何よりふさわしい姿なのだ。
天馬の言葉を、夏組は嬉しそうに聞いている。6人の夏組の姿を思い描いて、彗星と重ね合わせてぴったりなのだと言ってくれる。それこそが天馬なのだ。
「だよねん、テンテン!」
喜びが弾けるような、まばゆいほどの笑みで一成は言った。天馬は、降り注ぐ光があんまり綺麗で思わずまばたきを繰り返す。
一成はそれすら何だか楽しそうに受け止めて、軽やかに言葉を続けた。
「今日はばっちり晴れてるし、星見るのにいい場所だし、舞台は完璧って感じだよねん」
真っ直ぐと視線を夜空へ投げた一成は言う。
今夜は天気の崩れもないため、彗星が隠れてしまうこともない。ひと気のない森の中は、人工的な明かりもなく空気も澄んでおり、天体観測には適した環境がそろっている。
星を見るための条件としては申し分がないのだ。一成の言葉に導かれるようにして、夏組も視線を動かした。
宝石を散りばめたような、星の輝く夜空だ。北西の方角――こと座の近くには、大きな羽根を広げるような尾を持つ、一際明るい彗星が輝いている。
「本当に、すごく綺麗に見えるね……!」
きらきらと瞳に輝きを浮かべて、椋が言う。溜め息のようにこぼされた声は、心からの感嘆なのだろう。
満天の星の中でも、一際大きく輝いている。尾を引く姿はどの星とも違っていて、夜空の主役は自分だと主張しているようにも見えた。
「めっちゃでっかいし、流れ星とはやっぱ全然違うね!」
九門の声は、ワクワクした響きに彩られている。彗星はまばゆい光を放ちながら、長い尾を引いて夜空に燦然と輝いている。
彗星の尾は、夜空にかかったカーテンのように淡いグラデーションを描いていて、見慣れた夜空をまるで違うものに変えていた。
「宇宙モチーフもいいけど、彗星デザインもいいかもね」
口元に笑みを浮かべた幸は、何だか楽しそうだった。彼の頭にはきっと、彗星から得たインスピレーションがいくつも閃いているのだろう。
強く輝く星とそこから伸びる長い尾は、きらきらとした輝きを見る者に与えるのだ。
「あのしっぽのほう、ちょっとサンカクかも~!」
指差した三角が嬉しそうに言えば、一成が「めっちゃ大きなサンカクだねん!」と朗らかに答える。後ろに行けば行くほど彗星の尾は広がっていくので、見ようによっては三角形に見えるのは確かだった。
「何かちょっと、羽根っぽい感じだよねん」
真っ直ぐと夜空を見上げる一成は、しみじみとした口調でつぶやいた。
彗星と言って思い浮かぶのは、強く輝く星から一直線に伸びる長い尾だろう。直線的に、一筆で描いたようなものが一般的なイメージだ。
しかし、今天馬たちが見つめる彗星は、長く広がった尾を持っている。白から薄い青へグラデーションを描いていることもあいまって、羽根が夜空に浮かんでいるようでもあった。
「こんな彗星もあるんだな」
天馬はあまり天体に詳しいわけではないので、彗星と言っても一般的に想像されるものくらいしか思いつかなかった。
しかし、目の前の彗星はそれとは違い、羽根を持って空を舞っているようにも見えるのだ。想像の彗星とはまるで違っていて、だけれど、思っていたよりもっとずっと綺麗だった。
それは他の夏組も同じなのだろう。「意外だよね」やら「オレも知らなかった~」やら、あれやこれやと、今目の前にある彗星についての感想が裏庭を飛び交っている。
きらきらとした輝きを宿して、誰もが彗星を見上げている。
三角はやわらかな笑顔で、九門ははつらつとした表情で。幸は好奇心をまなざしに乗せて、椋は宝物を抱きしめる素振りで。天馬は真っ直ぐとした笑みを浮かべて、一成は全てを愛おしそうに見つめながら。
「あっちの、尾のほうにある星はなんて星かな」
「結構明るいよね。彗星とそろっていい感じかも」
椋が夜空を指差して言えば、幸が興味深そうに言葉を紡ぐ。三角や九門も加わって、星空を見上げながら言葉を交わし合っている。その光景を目に映した一成は、静かにつぶやいた。
「――みんなで見られてよかった」
小さな声だった。いつもの明るさはどこにもなく、だけれど、端々にはにじむような光を宿している。ささやきのようにかすかで、心の内側が思わずあふれて声になったようだ。
きっと、誰かに聞かせる言葉ではないのだろう。一成の心の、一番奥からやってきた。自分だけでそっと握りしめているような、内側からこぼれた独り言だ。しかし、隣にいた天馬は確かにその声を拾い上げた。
思わず胸が詰まって、天馬はぎゅっと眉を寄せた。
ささやかれた言葉があんまり綺麗で。心からの喜びを噛み締めるみたいで。それこそが一成の願いなのだと、間違いなく叶えてやれたのだと、改めて思い知ったからだ。
夏組みんなで彗星を見ようと言った。確かに叶えられるはずの約束だったのに、一成はいなくなってしまった。世界中のどこを探してもいなくて、6人で見るはずだった彗星は5人でしか見られなくなった。
その現実はあまりに残酷で、叶えられない約束はどうしようもなく悲しかった。
だけれど今、夏組は6人で彗星を見ている。
椋がいて、幸がいて、三角がいて、九門がいて、天馬がいて、一成がいる。誰一人欠けることはない。間違いなく6人で、彗星を見上げている。あの時の願いは、交わした約束は、今確かにここで叶えられたのだ。
天馬は小さく息を吐き出して、隣に立つ一成へ視線を向けた。
きらきらとした光を宿したまなざしで、愛おしさをほほえみに乗せて、星を見上げる夏組を見つめている横顔。
いなくなってしまった大切な人。もう二度と会うことはできなくて、触れることも好きだと告げることも永遠にできないはずだった。だけれど、今ここに、隣に立っていてくれる。
天馬は一成の手を、そっと握った。ここにいるのだと、消えていないのだと確かめたくて。一成は一瞬びっくりしたように目をまたたかせたあと、天馬へ顔を向ける。
数秒じっと見つめたあと、照れたように笑って握り返してくれる。その事実に、天馬の胸には喜びが満ちていく。
手のひらから伝わる確かな温みが、握り返す力強さが、ここに生きていると教えてくれる。一成は確かにここに、天馬の隣で生きている。
これがオレの幸福だ、と天馬は思う。
棺に眠る冷たさでもなければ、過去からやってくる光を今目にしているのでもなく。遥か彼方の、何億光年も先から届く遠い光ではなく。今ここで、隣で手をつないでいられることの幸福を知っている。
「――次の彗星だって、夏組みんなで見られるだろ」
胸がいっぱいになりながら、天馬はぽつりと言葉を返す。ここで終わるわけじゃない。彗星はまた、未来にも地球へやってくる。それなら、これから先の未来だってまたみんなで彗星を見るのだ。
「57年後か~。確かに見られる可能性は高いよねん」
くすぐったそうに一成は言って、オレたちおじいちゃんじゃん、と楽しげだ。どんなおじいちゃんになってるのかな、という言葉はイタズラっぽさを秘めている。
しかし、すぐにしんとしたまなざしを浮かべて、口を開いた。心からの言葉を、誓いを懸ける真摯ささえともなって。
「絶対きっと、たくさんお芝居やってるよね」
「当然だろ。どんな演技ができるようになってるか楽しみだ」
「さっすがテンテン!」
茶化した素振りで言う一成は、瞳をきらきらと輝かせている。どんな未来が待っているかなんて、誰一人わからない。だけれどきっと、と願うように思っている。
たとえどんな未来だったとしても、自分たちは何度だって舞台に立つ。何度だって幕を開けて、同じ板の上で、同じ世界を生きるのだ。
「お前も隣にいるんだからな」
きっぱりと天馬は告げる。だってもう決めてしまった。自分の幸福を知ってしまった。隣には一成のいる未来を選ぶと、これ以外の道はないのだとはっきり知ってしまった。
だからそう言えば、一成はぱちりとまばたきをする。しかし、すぐに笑みを広げた。
照れくさそうな、困ったなぁと観念するような。幸福を抱きしめて、心にそっと寄り添うような、光のにじんだほほえみで。
「うん。オレの居場所は、テンテンの隣だからねん」
軽い口調に似ているけれど、奥底に宿る真摯さを天馬は知っている。これは紛れもなく一成の決意で、心の内を告げてくれている。
特別にしたいと望んだ相手が、特別になりたいと願ってくれた。隣に立つのは一人だけだと、特別に想うことを許し合った。
恐れも憂いも知りながら、それでも選び取る相手だ。これから先、どんな未来が待っていても、何が起きようとも。この温もりを離さないと決めた。
天馬は握った手に力を込める。一成の笑顔。触れる温もり。確かにここに、隣にある。どこか遠い場所ではなく、間違いようもなく隣にいてくれる。遥か彼方の遠い星を、見上げるしかできなかった自分じゃない。今ここで、隣に一成はいてくれる。同じ時間を生きて、温もりを分け合うことができる。
全てを握り締めた天馬は、ゆっくり口を開いた。隣の一成に向けて、誓う強さで告げる。
「未来までずっと、オレの隣にいてくれ」
真っ直ぐと一成を見つめて、はっきりと言った。一成はきっと言葉にしなくてもわかっていてくれると思った。だけれど、きちんと形にして伝えたかったのだ。
一成は意外そうな顔をしなかった。とろけるような声で「うん」とうなずいて、笑った。全てを抱きとめるようなやわらかさで、やわやわとした光をこぼして、薔薇色の頬で。
それがあんまり幸せそうで、あんまり綺麗で、天馬は衝動的に手を引いた。腕の中に閉じ込める。
一成は一瞬の沈黙のあと、軽やかな笑い声を弾けさせてから、ぎゅっと背中に腕を回す。天馬はそれら全てを感じながら思う。
遠い彼方から届く星の光ではなく、同じ世界で、オレの一番近くで、一成は生きている。それならオレたちはこれから先の未来まで、同じ歩幅で足跡を刻んで、共に歩いていく。
腕いっぱいに広がる温もりを抱いた天馬の胸には、ただ一つの誓いが宿っている。
一億光年の恋
END