最後の苺はきみにあげたい



Scene:04――Tenma


 バレンタインのチョコレートが、目の前には一つ。向日葵の描かれたパッケージで、開ければ六つのチョコレートが入っていた。
 隣には一成が用意したカフェインレスの紅茶。ソファに並んで腰掛けた一成の前には、天馬が買ってきたパンケーキと、同じく紅茶のカップがあった。まるで三時のおやつのような組み合わせだし、とても夜中に食べるようなものではない。バレたら確実に莇に怒られる。
 わかっていたけれど、二人とも一つだってこの選択を後悔していない。
 お互いにこっそり用意した、一人だけのためのスイーツ。内緒にしておきたいという気持ちがあるから、バレないように食べてしまうのが合理的という意味もある。ただ、二人で秘密を共有できる、という事実が純粋に嬉しかった。

「いただきまーす!」

 嬉々とした調子で、一成はお皿を持ち上げる。てっぺんに乗った苺のヘタを細長い指でつまみ、皿の端に移動させてからフォークを握る。思い切りよくパンケーキを切り分けると、きらきらした表情で一切れを見つめた。

「わ、花とか入ってるじゃん。エモさ倍増!」
「エディブルフラワーを使ってるとか言ってたな」
「めっちゃおしゃかわじゃん。このままデザインに使えそう!」

 嬉々としながら言ったあと、一成はフォークを突き刺した一切れを口に運んだ。大きな口に吸いこまれていく姿を、天馬はまじまじと見つめる。
 一成は、口に含んだ瞬間ぱっと表情を輝かせる。それから目を細めると、紅潮した頬でもぐもぐと口を動かす。唇には笑みが浮かんでいて、どうやらお気に召したようだと察する。

「おいし~! 生クリームと苺の甘酸っぱい感じがめっちゃ合うし、花の食感がアクセントになってておもしろいね」

 口の中のもの飲み込んだ一成は、嬉しそうにそう告げる。見た目はもちろん、味にも手は抜かないと言っていた通りの出来栄えなのだろう。

「これ、あんまり甘すぎないし何かアイスとか食べてるみたいな感じかも。結構ボリュームあるけど、一個くらいなら全然いけそう!」

 言いながら一成は、さらにパンケーキを切り分けて口へ運んでいく。にこにこと嬉しそうだし、頬張るたびに弾んだ空気が伝わってくるので天馬も何だか気分が良かった。
 そのままの気持ちで、天馬も一成からもらったチョコレートを見つめる。せっかく一成が選んでくれたチョコレートだ。他の夏組の分とは別に、天馬だけにと用意したもの。食べてしまうのがもったいない気はしたけれど、かといって食べないままでいるのも惜しい。
 一成が自分の選んだパンケーキを食べてくれるなら、天馬だって一成からの贈り物を口にしたい。それに、誰かにこのチョコレートが見つかる前に自分のものにしてしまいたかった。
 どれを選ぼうか、と天馬は少しだけ考えてから向日葵の形を模したチョコレートを選んだ。向日葵を見て天馬を思い出したというのだ。それなら、ここはやっぱりその花がいいだろうと思う。
 一成が向日葵を見て天馬を思い出したことも、天馬のためにチョコレートを用意してくれたことも、全てが天馬にとっては嬉しい事実だ。向日葵のチョコレートはそれを象徴しているように思えた。

(――というか、これはつまり、その、そういうことでいいんだよな)

 チョコレートに手を伸ばしかけて、天馬はふと考える。
 最近では、バレンタインには恋人イベント以外の側面も多々うかがえる。とは言っても、恋愛色がまるで払拭されたわけではない。一成は特に何も言わなかったけれど、チョコレートのブランド名からそれなりに高価であることも察した。冗談では選ばないだろうし、真剣な気持ちが込められているのだと思えた。
 そんなチョコレートを渡す、という行為の意味するところは一つだろう。いわゆる愛の告白で、思いを告げるもののはずだ。一成がイベントの意味を理解していないとは思えないから、間違ってはいないとは思うのだけれど。
 はっきりと言葉にされたわけではないので、もしも間違っていたら、という不安が拭いきれなかった。いやでも、一成が他の誰でもなくオレだけにチョコレート渡してるんだぞ、と天馬は思い直す。
 誰相手でも平等に接することが常の一成が、他の人には内緒でオレにだけ、とチョコレートを用意するなんて、特別の証拠だと言っていいはずだ。
 その事実に勇気づけられるように、天馬は向日葵のチョコレートをつまんだ。口に放り込むと、ほんのりとした苦さと甘さを舌に感じる。それから、ゆっくりと口内の熱で溶けてゆき、まろやかな味わいが広がっていった。

「――美味いな」

 思わず、といった調子で天馬はつぶやく。確かな甘みが口内には感じられるのに、焼けつくような甘ったるさではない。きりりとした苦味が適度なアクセントになっており、上品な甘さを持つチョコレートだった。一成は天馬の言葉に、ぱっと笑った。

「マ!? テンテンの口に合ってよかった~!」

 にこにこした笑顔で一成は言い、心底ほっとしているようだった。話に聞いた限りでは、偶然目にした向日葵のパッケージに惹かれて購入したのだ。事前に味などを調べていたわけではないらしいので、「美味い」という言葉に安堵したのだろう。

「うん。こっちのも美味い」

 シンプルな丸形のチョコレートは、コーヒーフィリングが入っているようだった。さっきより苦味が強いものの、チョコレートの風味も甘さも失われていない。しっかりとした味わいに、天馬が満足したようにうなずく。一成は心底嬉しそうに笑うと、鼻歌混じりにパンケーキを口に運んだ。
 その様子を見つめる天馬は、「いいんだな」と思った。気づくと、皿の上のケーキは半分ほどに減っていた。よっぽど気に入ったのか、このままぺろりと平らげてしまいそうだ。頬は紅潮して、きらきらとしたまなざしで、噛みしめるように一切れずつを口に運ぶ。その顔は、心底幸せで仕方ないといった表情だ。
 一成にだけだ、と言って渡した特別なパンケーキ。友達だけでは片づけられない感情を抱えて、一成にだけ向ける心を形にしたようなケーキだ。あまりにも特別すぎて、素直に渡すことすらためらっていた。特別なのだと伝えたら、きっと困ったように笑うだろうと思っていた。
 だけれど、その予想は覆されて、隣に座る一成は特別なパンケーキを嬉しそうに食べているのだ。一人だけ。一成にだけ。渡した特別を受け取って、幸せそうにしていてくれることの意味は、一つだけだと素直に思えた。

「テンテンも食べる?」

 じっと見つめられていることに気づいて、一成が問いかける。もしかして食べたいのかな、と思ったのだろう。そういうわけではなかったのだけれど、一成の問いにノーと答えたくなくて、「ああ」とうなずいた。一成は少しだけ考えたあと、にこにことパンケーキにフォークを入れる。
 丁寧に切り分けると、生クリームとカットされた苺が乗ったケーキを、嬉しそうに天馬へと差し出した。フォークの上に乗った一切れ。一成は楽しそうなまなざしで天馬を見つめていて、恐らくこれはからかいも含んでいるんだろうな、と思った。食べさせてあげる、という行為に天馬が照れると考えての行動だろう。
 確かに、いかにも恋人同士がやりそうなことだと思ったし、一成ならふざけて仕掛けてきてもおかしくない。今までの天馬ならきっと、恥ずかしくて遠ざけている場面だということもわかるし、実際何だか照れくさい。しかし、天馬は数秒一成を見つめてから大きく口を開けた。
 差し出した一成の右手をつかんで固定すると、そのままパンケーキを食べる。一成の言う通り、生クリームと苺の甘酸っぱさがちょうどいい。確かにアイスクリームを食べているようで、これなら難なく平らげられそうだ、と思いながらつかんでいた手を離した。

「――お前な、照れるならやるなよ」
「だって、テンテンやってくれると思わなかったんだもん」

 そう答える一成は笑っているものの、耳まで赤く染めている。一成のいたずら心に応えるという意味とやられてばかりはシャクだ、と差し出されたパンケーキを口にした。
 しかし、思ったよりも初心な反応をされるので天馬もつられて顔が赤くなってしまう。ただ、気まずさがあるわけではなかったし、どちらかと言えば甘い雰囲気が漂っている、と思うのは天馬の気のせいではないだろう。
 一成は「びっくりしちゃった」と言いながら、紅茶へ手を伸ばした。こくり、とカップを傾けている様子を見つめてから、天馬も同じように紅茶を飲んだ。少し冷めているものの、何だか顔が熱いのでちょうどいいような気がした。

「食べ終わっちゃうのもったいないな~」

 再び皿とフォークを手にした一成は、小さくパンケーキを切り取っている。最初はあれだけボリュームがあったのに、すっかり小さくなっていた。あっという間に消えていったということは、一成が気に入った証拠ということだろう。その事実が天馬には嬉しくて、弾んだ気持ちのまま口を開く。

「また買いに行けばいいだろ。実際に見た方がいろいろ選べるし、一成が好きそうな店だったしな」
「だよねん。内装とかも見たんだけどさ、パステルちっくなのに落ち着いてるってか、かわいくなりすぎない感じでまとまっててさ。彩度のバランスがいいんだよねん」

 はっとした顔の一成は、店内の写真を見たことがあるらしい。恐らくデザイナーとしての色彩感覚で、内装についてのコメントをしているのだ。一成らしいと思うし、だからこそ実際に店へ連れていってやりたいと天馬は思った。

「商品もお前が気に入りそうだしな。その内時間見つけて一緒に行くか」
「マ!? めっちゃ楽しみ!」

 きらきらとした笑顔で、一成は答える。心底嬉しそうに「期間限定のパンケーキ、苺の次は何のフルーツだろ」と言っていて、天馬はその顔をまぶしそうに見つめる。どんなフルーツだとしても、きっと一成は歓声を上げてくれるだろうな、と思う。

「その内行くつもりだったし、テンテンも一緒だったらもっと楽しみになっちゃうじゃん!」

 わくわくとした雰囲気を漂わせての言葉に、天馬の胸もいっそう弾む。一成が嬉しいと思ってくれることが嬉しいのだ。ただ、一成はわずかに表情を曇らせると言った。

「でも、テンテン忙しいんじゃね。大丈夫なの?」
「店行く時間くらい取れるだろうし、どうにか作る」

 たとえ取れなくても、一成と出掛けたい気持ちは天馬だって同じなのだ。どうにかして捻出するくらいの心づもりはある。
 一成は天馬の言葉に少しだけ黙ったあと、華やかな笑みを浮かべた。いつもの明るい笑顔に、いっそうきれいなあざやかさをまとって。嬉しいという感情を、何一つ隠すことのない笑みだった。

「そっか! そんじゃ、そんなテンテンにはこの苺あげちゃうねん!」

 言った一成は、皿の端によけていた苺をフォークに乗せるので。天馬はハテナを浮かべながら「どういうわけでそうなるんだよ」と尋ねた。一成は楽しそうに答える。

「忙しいのに、オレと出掛けるために頑張ってくれそうだから! ご褒美的な?」
「別にそれはオレにもご褒美だからわざわざ苺をくれなくていいし――大体、それは最後に食べておこうって、取っておいたやつじゃないのか」

 てっぺんに乗っていた苺は、一成が最初に皿の端に選り分けていた。きっと最後に食べようと、大事に取っておくつもりなのだろうと思った。それなら一成に食べて欲しかったので素直に言うと、一成は数度目を瞬かせた。

「あれ、テンテン気づいてたんだ」
「たまたま目に入っただけだ。でも、わざわざ取っておくってことは、そういうことだろ」

 最初に食べてしまうわけではない、という事実から考えて一成にとっての大事なものなのだろう。それなら、天馬に差し出す必要なんてないのだ、という気持ちで言った。しかし、一成はやわらかく笑って首を振る。

「まあ、そういう意味もなくはないんだけど――本当はさ、最初からテンテンにあげたいなって思ってたんだよねん」

 くすぐったそうな表情で、いつもよりふわふわとした雰囲気で一成は言う。どういうことか、と思わず見つめ返すと、とろけるような笑みで一成は続けた。

「宝石みたいな苺だなって思ったんだよねん。すごくきれいで、めっちゃ特別な感じするじゃん。だから、テンテンに食べてほしくて」

 心からの言葉に、天馬は数度まばたきを繰り返す。特別だと思った。きれいな宝石みたいな苺だから天馬にあげたいと思った。それが意味するものは、きっと一つだけだ。天馬に渡したいチョコレートを用意したことだとか、いつもと違う笑みを見せてくれることだとか、そういうものと同じなのだ。
 特別だと、他の誰とも違うのだと、あらゆる全てが伝えている。その事実に、震える気持ちのまま天馬は言う。心がこぼれだして声になってしまう。

「そんなの、一成に食べてほしいに決まってるだろ。特別なものなら、お前にやりたいんだ」

 たとえば心を差し出すみたいに特別をあげたいと、天馬だって思っている。だから、パンケーキの上に乗った、宝石みたいな苺だって。一成が特別だと感じたものなんて、一成本人に食べてほしいに決まっているのだ。
 今のこの状況だって、二人そろってお互いへの特別を選んでこうなっている。特別なものを相手にあげたいと思い続けた結果が、今に結びついているのだ。わかっているからこそ天馬が言えば、一成は小さく笑った。

「待ってこれ、両方同じこと言うやつじゃん」
「仕方ないだろ。同じこと思ってるんだから」

 若干ふてくされたように言うと、一成は少しだけ考えたあと苺を皿に戻した。天馬の意を汲んで自分で食べることにしてくれたのだろうか、と思ったけれどそうでないだろうなとも思う。案の定、一成は面白そうな表情で口を開く。

「それなら、オレたち二人で半分こにしない?」

 天馬も一成も、特別をあげたくてそれぞれ内緒でスイーツを用意した。そんな二人がそろっているなら、簡単に引き下がるわけはない、と一成は判断した。だからこそ言うのだ。
 最後の苺はとっておき。つややかな赤い宝石は、てっぺんで燦然と輝く。丁寧に選り分けて、特別なんだと大事にした。だからこそ、一番大切な人にあげたいと望む。そんな風に、二人とも同じ気持ちでいるなら、同じ心を分けあえばいい。相手にあげたい特別を、同じように受け取ればいい。
 一成らしい提案に、天馬の唇がほころぶ。どちらの心も蔑ろにすることなく、二人が笑顔になれるよう振る舞う。それは一成のやさしさで、同時に強さでもあって、天馬が好きだと思うところの一つだ。

「そうだな」

 やわらかな声で、天馬はうなずく。特別にしたい二人同士が、互いから贈られるものを受け取り合ったのだ。それならきっと、特別を分け合うことは、二人にとって一番自然な形に違いなかった。
 一成は天馬の言葉に嬉しそうに笑って、フォークで苺を半分こにしようとしている。その様子を見つめる天馬は、あの店を訪れる日はいつにしようか、と考えている。









END

バレンタインの話。特別なものをお互いにあげたい二人