一億光年の恋 02話
公園はひっそりとして、暗闇に沈んでいる。外灯の明かりだけが唯一の光源だけれど、夜を照らすにはあまりにも弱い。うっそうとしげる木々は一つの影となり、何もかもを飲み込もうとしているようだった。
普段の天馬なら尻込みをしている場面かもしれない。しかし、三角は構わず「駐車場のほうだって、ネコさん言ってた!」とずんずん進んでいくし、もしもここに一成がいるとしたら絶対にただ事ではないことだけは理解できた。
三角を一人で行かせるわけにはいかないと、夜の公園へと踏み入る。
等間隔に照らされる外灯の明かりを頼りに、遊歩道を進んでいく。三角はちらりと案内図を見たあとは、迷うそぶりもなく一直線に進んでいく。運動場やテニスコートを通り過ぎて、「あっちだよ」と行き先を示す。
天馬の心臓はさっきからずっと早鐘を打ち続けていた。暗闇の公園というシチュエーションに対する恐怖心もある。だけれど目的地が近づくほどに襲いくる感情はもっと別のものだ。
一成を見た、とネコが言う。信憑性なんてまるでないから馬鹿なことをしているのだろう。とんだ冗談に付き合って、無駄足を踏んだだけに違いない。きっとそうだ。そうあってくれ、と天馬は思う。だってもしも、ここに本当に一成がいたら?
夜の公園に人気はない。何があるわけでもないのだから当然だろう。実はイベントをやっていて人が集まっているだとか、友人同士で騒いでいるという様子もまるでない。ただしんとした静けさが漂って、時折風にあおられて木々がざわめくだけだ。
こんなに静かな場所で。夜に沈む公園で。今の時間まで一切連絡のつかない一成が、誰にも何も言わず、ただここにいるなんて、そんな状況は絶対におかしい。一成の身に異常が起こっているとしか思えない。
だからどうか、ここにいないでくれ、と天馬は思う。
久しぶりに出会った友人と話が弾んでしまって連絡するのを忘れているとか、スマートフォンが壊れて連絡が取れないだとか、とにかく何でもいい。こんなに暗い夜の公園にはどうかいないでくれ。
願いながら辿り着いたのは、車のほとんど停まっていない駐車場だった。がらんとした駐車場を、申し訳程度の外灯が照らす。奥のほうには、倉庫代わりなのかコンテナが置いてある。さらに奥には木々が広がっているようだけれど、明かりはそこまで届かないのか、ただ漆黒に塗りつぶされていた。
「あれ~? かず、いないねぇ」
しょんぼり、といった調子で三角が肩を落とす。ただ、天馬は内心でほっと息を吐いていた。一成がいないことに落胆の気持ちはあるけれど、少なくとも異常事態に巻き込まれたわけではないと思えたからだ。
だって、もしも本当にここに一成がいたら。帰ってくることもできず、連絡もできない状況に陥っているのだと突きつけられてしまう。
「かず、いるなら返事して~」
言いながら三角が一歩踏み出した。クロネコの情報は「駐車場のほう」だったので、とりあえず一周してみるつもりなのかもしれない。気が済むまで好きにさせてやろう、と何も言わずに三角のあとに続いて歩き出そうとする。
しかし、突然背後から腕を掴まれた。
「だめ」
思わず叫んで振り返ると、見知った顔――密が厳しい顔で天馬の腕を掴んでいた。
「千景、三角のこと絶対離さないで」
硬い声に視線を向ければ、いつの間に現れたのか千景が三角の腕を掴んでいる。三角は不思議そうな顔で「ちかげ、どうしたの?」と尋ねている。
「二人がここに向かったって聞いて、車で先回りしたんだ。ちょうど反対側から来たから、二人には会わなかったみたいだけど」
ひょうひょうとした笑顔のように見えた。しかし、外灯の明かりが弱いからだろうか。千景の顔が何だかひどく暗く見えて天馬の心臓が音を立てる。
どうしてそんなに、慌てるみたいに急いで車でやって来たのか。どうして千景は暗い顔をしているのか。どうして二人は自分たちの腕を掴んでいるのか。
混乱したまま、それでも頭は何かの結論を導き出そうとしている。周囲の状態を目に映した天馬が何かを尋ねようと口を開きかける。しかし、その前に背後から人影が現れた。左京だった。
「――左京さん。コンテナの裏です」
静かな声で千景が言えば、左京が短く「ああ」とうなずく。そのやり取りに、天馬と三角は千景や密を見た。
コンテナの裏とは、一体どういう意味か。左京は何もかもを理解しているような顔をしていたけれど。それが示す意味は。
混乱と疑問符が天馬の頭を埋め尽くす。だけれど、恐らく、本当は薄々気づいている。
だって今、自分たちは何をしている? 答えは一つだ。行方のわからないまま連絡の取れない一成を探している。この状況でコンテナの裏を示すことの意味に、気づかないわけがない。
左京は何も言わず歩を進めて、コンテナの裏へと消えていった。それを見ていた三角が、ゆっくりと口を開く。
「――ちかげ、かずはあそこにいるの?」
抑揚のない声だった。ふだん、あれだけやわらかで、のんびりとした三角が発したとは思えないくらい。どんな感情にも彩られない、無機質な声。それがどれほどの異質さであるかを、天馬も千景も密も理解している。
「ねえ、かずがいるの?」
もう一度問いかけるけれど、千景は何も答えなかった。何かを誤魔化すための沈黙ではなく、ただ口にするべき言葉を持っていないのだと告げるような表情で。
千景にしては珍しい、心情を吐露するようなそれは、どうしようもない肯定だった。三角だけではなく天馬にとっても。
「――かず!」
叫んだ三角が千景の拘束から逃れようとして、天馬も密の腕から抜け出そうと体をねじる。
だってあそこに一成がいるなら。ずっと探していた。連絡が取れなくて、どこにいるかもわからなかった。一成があの場所にいるなら、今すぐ駆けつけたいのに。
千景と密は、そんな二人の気持ちを痛いほど理解しているはずだった。しかし、決して拘束する力をゆるめようとしない。それどころか、ますます力は強くなる。絶対にここから先には行かせないと決意するように。
そうされてしまえば、二人に勝ち目はなかった。密の身体能力は天馬より数倍上だったし、千景は相手を拘束することに長けているので三角の力も上手くいなすことができる。つまり、抜け出すことは不可能で一成のもとへは行けない。
結局抵抗すら封じられて、三角と天馬はおとなしくなるしかない。そのタイミングで、左京がコンテナの裏から戻ってきた。
「電話は」
「しました。じきに来るはずです」
硬質な声で交わされるやり取りの意味。理解できない、と切り捨ててしまえればよかった。しかし、天馬の頭は論理的な答えを導き始めている。
「そうか。きつい役をやらせちまって悪いな。だが、ありがたい。お前たちは充分わかってるだろうけどな、斑鳩と皇を絶対にあそこに近づけるな」
強い言葉に、密も千景もこくりとうなずいた。それに反応したのは、三角だった。左京に向かって言葉を投げる。
「どうしてオレたち、かずのところに行けないの。かずに会いたいよ」
迷子になってしまったみたいな、心細い声だった。左京はそれに、初めて顔をゆがめた。
普段は厳しい表情を浮かべていることの多い左京なのに、その瞬間だけはまるで子どもみたいだった。三角の声のように、迷子になってしまったみたいな。しかしそれも一瞬だ。すぐに見慣れた大人の顔になると、静かに言葉を紡ぐ。
「あいつは――三好は、写真を撮ることが好きだろう。馬鹿みてえにすぐ写真を撮りやがる」
突然一体何を言い出すのか、と天馬は思う。しかし、左京は真剣な表情で続ける。大事なことを口にするのだという素振りで、真摯な声で。
「あれは恐らく、楽しい瞬間を切り取ることが好きだからだな。楽しいとか面白いとか綺麗だとか、そういうことを見つけるのが上手いし、積極的に集めようとするやつだ」
そう言うと、左京は「だから」と言葉を重ねた。静かで、落ち着いて、祈りみたいな声で。
「お前たちが覚えてるのは、そういう三好だけにしろ」
告げる左京は一瞬だけ目を細めた。やさしくほほえむようにも見えた。同じくらいに泣き出しそうにも見えた。それを受け取る天馬は、何を言えばいいのかわからない。
これが左京の祈りだと、理解できないわけがなかった。左京は心から願っている。
自分たちに覚えていてほしいのは、大きな口で楽しそうに笑う姿だとか、サプライズの成功を喜んでる顔だとか、光を浴びて舞台に立つ横顔だとか、そういう一成だと。それは間違いなく左京から渡される愛おしさで、夏組を大切に思う気持ちから来ている。
だけれど同時に理解してしまった。つまり、自分たちを近づかせないのは。あのコンテナの裏にいるはずの一成は、全部が正反対なのだ。楽しく笑っていないなら泣いていたのか。喜べないのなら苦しんでいたのか。綺麗にキラキラと輝く全ては失われているのか。
「大丈夫。一成は苦しくも悲しくも痛くもない」
腕を掴んでいる密が、ぽつりと言う。弾かれるように顔を上げた天馬が密を見つめると、静かにうなずいた。
「本当。一成は、全然苦しんでないし、痛くもないから平気」
「――ああ。そうだよ、三角。一成は苦しくない」
続いた千景がやさしく言えば、三角が「ほんとう?」と尋ねている。千景がうなずけば、三角は嬉しそうに笑うけれど。天馬はその様子を見つめながら理解している。
一成は苦しんでいないし、痛くもないと言う。それはきっと嘘じゃなくて本当のことだと思う。だけれどたぶんそれは、大事なことを内緒にしているだけだ。やさしい彼らは、嘘を吐くことを厭って、それでも真実を口にすることをためらっている。
だから、それなら。きっとこれは、オレの役目なんじゃないかと、天馬は思ったのだ。何もできなかった。一成からの電話も受け取れなかった。夏組として走るなんて言いながら、役にも立てなかった。だから。
「密さん、千景さん。一成は――、今はもう、苦しくも痛くもないんだな?」
ゆっくりと尋ねれば、密と千景がぴくりと反応して天馬を見つめる。一瞬だけ浮かんだ表情。驚きではない。後悔と焦燥と、隠しきれない悲哀の欠片。それだけあれば充分だ。天馬は深呼吸をした。
何が起きたのか、詳細を理解しているわけではない。だけれど、ここまで目にしたものが、密や千景、左京が自分たちを守ろうとしてくれた全てが、雄弁な事実を物語っている。
コンテナの裏。自分たちを近づかせないようにしていたこと。そこに一成はいる。きっと苦しくて、痛い思いをたくさんして、輝きを全部失った姿で。それを自分たちに告げることをためらっているなら、きっとその役目は。
「左京さん。一成はもう、オレたちのところに戻ってこないんだな」
告げた瞬間、左京が唇を噛んだ。三角が「てんま?」とつぶやく。千景が真っ直ぐ天馬を見つめて、密が腕を掴む力が強くなる。
ギリギリと食い込むような強さに、そうしていてくれないときっとオレは立っていられないだろうな、と天馬は他人事のように思っていた。
どこか現実離れした感覚に身を任せながら、天馬の口は言葉を吐き出していく。
「六人の夏組は、もう二度と戻らない。一成は帰ってこない。呼んだって答えてくれない。一成はもう、どこにもいない。一成は」
死んでしまったから。
最後の言葉を口に出そうとした瞬間、喉がひくついて声が出なかった。だって、それを口にしたら。自分の声で形にしたら。全てが本当になってしまう。嘘でも冗談でもないと自分自身に言い聞かせてしまう。
それでも、オレが言わなくちゃいけない。思いながら口を開きかけた瞬間、距離を詰めた左京が天馬の胸倉を掴んだ。鋭い眼光が天馬を見据え、吐き捨てるように言った。
「馬鹿野郎。こんな時までリーダーの顔をしてるんじゃねえ。子どもは子どもらしく、俺たちに守られとけ。お前が背負い込むもんじゃねえ」
いっそ怒鳴りつけるような強さで左京が言う。それがどんな意味を持つのか、わからない天馬ではなかった。
どうしようもないほど、この人はオレを守ろうとしてくれる。左京さんはやっぱりやさしいな、と天馬は思うけれど。それでも、と天馬はうわごとのように言った。
「これはオレの役目だ。左京さん、オレから夏組のリーダーを奪わないでくれ」
大事だった。これからずっと大切にしていきたかった。六人がそろっていれば何だってできた。
だけれど、その内の大事な一人は欠けてしまった。いなくなってしまった。天馬の手から簡単にすり抜けてしまった。それでもこのまま全てを失ってしまわないように、夏組のリーダーとしての自分だけは持っていたかった。
懇願というには弱々しい。けれど、心からの言葉だと、どうにかすがりつくような言葉だと、恐らく周囲の人間は理解した。左京も理解してしまった。だから。
「くそ。だが、皇、絶対に無茶はするなよ。少しでも異変があれば殴ってでも止める」
言って胸倉を掴んでいた手を外す。天馬は「わかった」とうなずいて、三角へ視線を向けた。心細そうな顔をしている。それはそうだろう。
密に向けて「もう大丈夫だ」と告げれば、密は掴んでいた腕を離した。天馬は数歩先にいる三角の前に立ち、ゆっくりと口を開く。
「お前とあいつらに、しなきゃいけない話がある」
「――それは、かずのこと?」
「ああ、そうだ。一成の話だ」
思い出す。きらきらと光を放って笑う姿。彗星を見ようと言っていた。あの時の約束は、叶えられなかった約束は一体どこに行ってしまうんだろう。
友達だと初めて言ってくれた人。当たり前みたいに大切なものの一つにしてくれた。初めてをたくさんくれた。いつだって、その笑顔は隣にあるのだと馬鹿みたいに信じていた。
「一成の話を、たくさんしよう」
告げなければいけないことがある。だけれど、それ以上にもっと一成の話をしようと天馬は思う。残酷な事実だけではなく、左京が言ったように、一成の話をするのなら楽しい姿も一緒に口にしてやるのだ。それがきっと一成にはよく似合う。
三角はしばらくの沈黙のあと、天馬の言葉にこくりとうなずいた。恐らく三角とて、何も理解していないわけではない。だけれど、天馬の言葉を待つと決めたのだ。その事実に「ありがとな」と天馬は告げる。
遠くからサイレンの音が近づいてきていた。