一億光年の恋 03話
◆
祭壇はカラフルな花に彩られている。白を基調としたものではなく、様々な色に囲まれる姿は一成らしい、と天馬は思う。
遺影に使われている写真も千秋楽の日のもので、満面の笑みを浮かべていた。これ以上ないほど嬉しそうな姿は、一成といって誰もが思い浮かべるものだろう。
いつだって明るくて騒がしい。絵を描く時やデザインを考えている時は案外静かだけれど、総じてテンションが高くて楽しそうな人間だった。
棺の中で眠る一成が、もう二度と笑わないなんてことのほうが嘘みたいに思えるくらい。
人のいない斎場で、天馬は一成と向き直っている。
通夜も終わった時間帯だ。一成の家族に頼んで、二人きりにしてもらった。夏組のメンバーもそれぞれのタイミングで一成に別れの言葉をかけるはずだ。天馬の場合、それが今だった。棺の中の一成は、静かに目を閉じている。まるで眠っているみたいだった。
「……一成」
ぽつりとつぶやいてみるけれど、もちろん返事はなかった。当然だ。一成は二度と目を覚まさない。
あの夜、やって来た警察に事情を説明したのは主に千景と密だった。どうやら第一発見者は密だったらしい。天馬と三角は実際に一成の姿を見ていないことから、比較的早く解放された。
恐らく、大人たちには先に事情が説明されていたのだろう。寮に戻れば天馬と三角をねぎらうように出迎えてくれた。
今日はもう遅いから休んだらどうか、という言葉に天馬は首を振る。夏組を全員談話室に集めて、監督と、少し遅れて帰ってきた左京が見守る中で天馬は告げた。
できる限り落ち着いた声で、思う限りの丁寧さで、一成の死を告げた。
「――大変だったんだからな。ああいう時は、お前がいないと困るってのを実感した」
一成に向かって天馬はこぼす。夏組の彼らも、薄々は察していたのだろう。天馬が思うほど、恐慌を来たすことはなかった。だけれど、その心が傷ついている事実だけは手に取るようにわかってしまう。
当たり前だ。夏組は六人そろって夏組だった。それなのに、一成はいなくなってしまった。物言わぬ亡骸となってしまった。この世界のどこにもいない。どこをどう探したって、もう二度と会えない。名前を呼んでくれない。一成がいない。六人なら何だってできるはずだった。それなのに一成はいない。
「お前の話をしようと思ったんだ。楽しいことはたくさんあったから、お前の話をするなら悲しいとか苦しいことばっかりじゃだめだろって思って。だけど、難しいな」
一成はそういうことが天才的に上手かった。どんな場面でも、痛くて苦しい現実でも、その中から快いものを見つけ出すのが得意で、夏組に見せてくれた。
これすげーいいじゃん!めっちゃきれいだね!そんな言葉で、たとえどんなに苦しくたって、美しいものはこれだと掲げてくれていた。だけれど、その一成はいない。
「お前みたいに上手くはできなかったけど、一応頑張ったんだぞ」
テンテンはやればできる子だからねん!なんて笑ってくれるだろうか、と天馬は思うけれど。棺の中の一成はただ目を閉じたままで答えを返すことはない。
その唇は動かないし、天馬の名前も呼んではくれないのだ。世界で一成だけしか呼ばない自分の名前は、二度と音にならない。
「――お前が静かだと、何か調子狂うな。でも、綺麗にしてもらってよかった」
整った容姿をしているとは思っていた。ただ、普段の言動が騒がしすぎるので顔の造作に印象が向かないのだ。だから、今こうして何も言わずに横たわる姿は人形のようでさえある。
そう思うのは、純粋な顔の作りという意味もあるけれど、もう一つの意味も含んでいた。
あれから天馬を含めた夏組は、一成の身に何が起きたのかを知った。一成の死因は、全身を複数個所刺されたことによる出血性ショック死だという。恨みを買う人物ではないこと、初めての目撃者であること。何より使用された凶器が通り魔事件の被害者のものと一致したことから、通り魔の犯人により襲われたと考えられる、というのが警察の見解だった。
一成の死の状況を聞いた夏組はどうすればいいのかわからなかった。悲しめばいいのか怒ればいいのか、絶望すればいいのか。
あらゆる感情が渦巻いてどんな反応もできずにいたけれど、天馬はぼんやりと、だからオレたちを近づかせなかったんだな、と思っていた。
恐らく、あの時一成は血の海に横たわっていたのだろう。あの場に残された持ち物のうち、壊れたスマートフォンとそこについていたストラップも血まみれだったと聞いている。恐らく一成は、必死で握りしめたのだ。流れ出る血に全身を染めながら、何かにすがるみたいに。
血の海で真っ赤に染まった一成。手も顔も血で汚れていただろうし、もしかしたら傷もあったのかもしれない。怖かっただろう。痛かっただろう。その表情は苦痛に歪んでいたかもしれない。
だけれど、今棺の中で身を横たえる一成は、どんな傷も血もなかったし、すやすやと眠っているようだ。だから、「よかった」と天馬は思っている。何一つ一成を傷つけるものがないなら。痛い思いも苦しい思いもしないのなら、それでいい。
「お前はなんでオレに電話したんだろうな」
答えのない一成に向かって、天馬は問いかける。
一成のスマートフォンは犯人によって壊されており、電話としての機能は果たせなくなっていた。その前に最後に掛けられた電話が天馬へのものであり、恐らく犯人に襲われている最中であったろうと推察されている。
そんな時に掛けられた電話だ。一体何を伝えたかったのか。もしも電話に出ることができたなら、この結末は変わっていたのだろうか。
「――出られなかったオレを恨んでるってことも、お前じゃ有り得ないな。どうせなら化けて出てくれば聞いてやるのに」
心から天馬は言う。幽霊やお化けの類は苦手だ。だけれど一成の幽霊なら、恐怖よりも先に嬉しさが勝るだろうと思った。幽霊だってお化けだって、また会えるのなら言葉を交わせるなら何だっていいのだ。
そうして、あの時電話に出られなかったことを謝りたいと思うけれど、きっと一成は何一つ恨んでなどいないことを、天馬は理解している。
一成とはそういう人間で、誰かをひどく恨むことなんてしない。他人に向かってマイナス感情を向けることが苦手な、とてもやさしい人間だったから。
「お前と最初に会った時はなんてうるさいやつだと思った」
オーディションで出会った時は、ノリの軽い騒がしい男という印象しかなかった。そこに隠されたやさしさに気づいたのは、合宿を経て同じ時間を過ごすようになってからだ。
共に舞台に立つころには、上手に隠してそっと心を与えるような彼に、何度も救われてきたのだと理解するようになっていった。
「お前がいたから、オレたちは旗揚げ公演でバラバラにならずに済んだし、千秋楽まで駆け抜けられた。そのあとの公演だって、寮で過ごした毎日だってそうだった。お前は本当にうるさいし騒がしいし、やたらめったらテンション高いし、ノリは軽いし何も考えてないみたいだけどな。オレたちはずっと、そういうお前に助けられてきた」
明るく笑う顔を覚えている。怒ったり泣きそうになったり、不安そうな顔をしている姿があまり思い浮かばないのは、一成が楽しいことを見つけるのが上手いということもあるけれど、何より一成自身がそうあろうとしていたからだ。
「お前が笑ってくれるから――喧嘩しそうになったら仲裁に入って、不安がっている誰かがいるなら寄り添って、楽しいこととか面白いこととかを見つけて笑ってくれるから。深刻にもならずに、前を向いて歩いてこられた。それはお前が、笑おうとしてくれたからだ」
軽い雰囲気で全てを流してしまうけれど、一成が案外真面目で思慮深い人間であることは、付き合う時間が長くなるにつれて理解した。だから、一成が笑顔でいることの意味だって、最初よりもっと強く感じるようになったのだ。
「お前は何も考えてなかったわけじゃない。たくさん考えて、そうして笑うことを選んだんだ」
それは確かに一成の強さだった。本人はそうだと思わないかもしれないけれど、少なくとも天馬にとっては確かな事実だったし、実際どんな場面でも笑顔でいようとすることは、間違いなく彼の強さだと信じている。
「お前はそうやって、ずっと笑ってくれるって思ってたんだ」
棺の中の一成を見つめながら、天馬は言う。
思い出すのは笑顔ばかりだ。時々見せる真剣な表情や、舞台の上ではまるで違う顔を見せる瞬間も天馬は好きだったけれど。
やっぱり一番好きなのは、日々の生活で笑っている姿だ。楽しいことを見つけてワクワクして。天馬をからかって心底楽しそうにしていて。毎日の愛おしさを抱きしめて。そうして笑っていてくれる日々を、ずっと近くで過ごしていけると思っていた。
「お前が、笑ってるのが好きだった」
楽しそうにしていれば、天馬も楽しかった。呆れることもあったけれど、一成が楽しそうだとつられて自分まで笑顔になってしまう。からかわれる時は本気で憤慨もするけれど、一成があんまりキラキラ笑うから最終的には許してしまう。
夏組のみんなを愛おしそうに見つめて、どんなに幸せそうに笑っているかは、自分だけの秘密にしておこうと思っていた。
「お前の笑顔を、ずっと近くで見ていられると思ってたんだ」
夏組としてつながりを結んだ自分たち。その結びつきは、たくさんの思い出とともに強くしなやかになっていく。決して切れることなく、これから先の未来まで続いていくのだと疑いもなく信じていた。
何が起きたって、六人そろっていれば乗り越えられる。オレたちは一緒ならどんな壁だって超えて駆け上がっていける。それは単なる決定事項で、未来の確かな事実だったから、一成が共にいる未来なんて天馬にとっては当たり前の話でしかなかった。
それなのに、一成はいなくなってしまった。棺の中で眠ったまま、二度と目覚めることはない。
人形のように綺麗な顔を見つめた天馬は、笑ってくれればいいのに、と思う。今までずっと見てきたみたいに。楽しそうに大きな口を開けて。光で紡いだみたいにやわらかに。笑う顔が見たいのに、と思った天馬の唇からは、勝手に言葉がこぼれ落ちる。
「お前のことが好きだった」
心があふれて思わず声になったような言葉だった。天馬は、美しい顔を見つめながらどこか遠い気持ちで思っていた。ああ、そうか。オレは一成のことが好きだったんだな、と。
天馬は一成のことがずっと好きだった。ただ、それは友情としてなのか、恋愛としてなのかを明確に理解していたわけではなかった。だけれど、それでもいいと思っていたのだ。
だって、一成はこれからずっと傍にいる。ずっと近くにいてくれる。それなら、ゆっくりと自分の思いを形にしていけばいい。その答えの一つとして、恋と名づけられる感情だと答えが出たなら改めて思いを告げればいい。
そう思っていたはずなのに、二度と笑わない一成を見つめた天馬は唐突に理解してしまった。
笑っていてほしい。それを近くで見ていたい。一番近くで、オレの隣で、一成にはずっと笑っていてほしい。他の誰かの隣じゃなくて、オレの隣で笑っていてほしい。オレの隣にいるのは一成がいい。未来までずっと、一成が隣にいてほしい。
二度と叶えられない願いを自覚するのと同時に、天馬は自分の感情を理解する。そうか、ずっとオレは一成のことが好きだったんだな、と。
他の誰とも違っている。未来まで一緒にいてくれると、隣にいるのはたった一人だと疑いなく信じていた。この世界できっとただ一人の、特別なひと。
もう二度と笑ってはくれないのに。これから先の未来に、一成はいないのに。どれだけ望んでも、願っても、同じ未来を生きてはくれないのに。
「――お前のことが好きだった」
失ってから気づくなんて、全てはあまりにも遅すぎる。わかっていたけれど、天馬はもう一度告げた。そろそろと、棺の中の一成に手を伸ばす。頬に触れると、驚くほどに冷たくて硬くて心臓が跳ねた。
一成はパーソナルスペースがやたらと狭いから、すぐに体を寄せてくる。何かあるとハグだなんだと抱きついてきてのしかかってくる。言ったことはないけれど、その重みや温もりが天馬は好きだった。だけれど、今指に触れた体は、どんなしなやかさも温みもない。ただ冷たくて、硬質に天馬を跳ね返す。
ああ、一成は死んでしまったんだ。
わかっていたはずなのに、改めてその現実を突きつけられたようだった。揺るぎない事実が天馬の胸を穿った。
もう二度と、あの温もりは戻らない。もう二度と、笑った顔も見られない。名前を呼んでも答えてくれない。一緒にくだらない話もできない。一緒に舞台にも立てない。これから先の未来に、お前がいない。
一緒にいたかった。オレの未来にはずっとお前がいるって疑いもなく信じてた。失いたくなかった。お前が隣にいてほしかった。お前のことが好きだった。好きだったんだ。過去形になってしまうことが苦しい。過去にしなくちゃいけないことが悲しい。
「好きだ」
棺の中で目を閉じている一成に向けて、天馬は告げる。伏せられた長い睫毛。その奥にある、美しい緑色の目を知っているのに。もう二度と、その瞼は開かない。天馬を見つけてきらきらと輝くことも、大きな口で笑うことも、テンテン!と呼んでくれることも、永遠にない。それでも。
「一成。お前が好きなんだ」
過去になんかしたくなかった。今ここで一成を好きだと思う自分がいるなら、何度だって言いたかった。決して答えは返らないとしても。
「お前が好きだ」
心をこぼすように、天馬は届かない言葉を声にする。答えはないと知っている。一成には決して届かない。
それでも突き動かされるように、天馬は一成に思いを告げる。ありったけの心を込めて、好きだと告げる。全ては遅すぎると知りながら。
「一成が好きだ」
そう言えば良かった。一成が好きだと、どれほどまでに特別なのかと言えばよかった。
笑っているところが好きだ。意外と真面目なところを知っている。人をよく見ていて、心を砕く。気づかれないやさしさが愛おしい。オレを友達だと言ってくれた。大事な気持ちをたくさんくれた。オレを大切にして、宝物みたいに思ってくれた。それがどれだけ嬉しかったか。
お前の傍は心地がよかった。ずっと隣にいてくれると思ってた。お前はずっと、オレの特別だった。
好きだと言ったら一成はどんな顔をしただろう。困ったように笑うだろうか。迷惑をかけてしまうだろうか。いいや、一成のことだから、きっとそうならない。
同じ気持ちを返してはくれないとしても、心からの愛情を感じ取れないやつじゃない。だからきっと、「ありがとう」って笑うんだ。オレの気持ちを、心をちゃんと受け取って、薔薇色の頬で笑うんだ。
すきだ、と告げる声がかすれて上手く形にならなかった。
好きだと言えばよかった。キラキラした緑色の目を真っ直ぐ見つめて。確かに触れる距離で。体温の通った体を前にして。その手を掴んで、温もりを感じて。一成に好きだと言えば、きっと答えをくれたのに。
決して答えは返らない。もう二度と、一成は名前も呼んでくれないし笑ってもくれない。どれだけ好きだと告げたところで、どんな答えも返してはくれない。わかっていても、それでも。
天馬はただ、崩れ落ちそうな自分を支えながら、最後の告白を口にしている。