一億光年の恋 06話
ついに幻聴が聞こえるようになった、と天馬は思った。
つながるはずのない電話がつながって、一成の声が聞こえるなんて、幻聴以外に説明がつかない。それとも、知らない間に眠っていて夢を見ているかのどちらかだ。
天馬はそう思うけれど、どっちだってよかった。幻聴だろうと夢だろうと、もう一度一成と話ができるなら、何だってよかった。
「……一成か?」
「そそ、カズナリミヨシだよん! てか、オレに掛けてオレ以外出たらびっくりしちゃうっしょ」
かすれる声で名前を呼べば、電話口の一成は明るく答える。その調子は本当にいつもの通りの一成のもので、幻聴にしろ夢にしろよくできているな、と天馬はおかしくなる。
「でも、テンテンが電話かけてくるとかめずらしーね。大体乗り込んでくるじゃん」
楽しそうに一成が言う通り、天馬はあまり一成に電話をかけない。同じ寮に住んでいるし、部屋だって近いので、直接会ったほうが早いのだ。
出先で電話をかけることもなくはないけれど、そういう時は大体一成のほうも用事があるので、一成から電話がかかってくることが多かった。
「今日はもう出かけないって言ってたし、寮にいるっしょ? なのにテンテンからの電話とか激レアでテンアゲだけど!」
楽しそうな声にはわずかばかりの気遣いが見える。寮にいるならいつもの通り、会いに来たほうが早いだろうにそうしないのは、何か理由があるのではと思っているのだろう。
「――お前の声が聞きたかった」
絞り出すように、天馬は言う。
わざわざ一成に電話をかけるような、それらしい理由が思いつかなかったということもある。だけれどそれよりも、これが幻聴かそれとも夢であるなら、取り繕う必要はないと思ったのだ。
ただ素直に、想いが言葉になってこぼれ落ちていく。
「一成の声が聞きたかったんだ」
「え、どしたのテンテン。何かあった感じ?」
戸惑うような、不思議そうな声で一成が尋ねる。それも当然だろう。普段、天馬はこんなことを言わない。いつもと違う様子にいぶかしむのも理解できる。
ただ、一成の場合は不審がるというより純粋に心配しているようだった。
「別に何かあったわけじゃないから心配するな」
きっぱりと天馬は告げる。
幻聴にしろ夢にしろ、一成が一成であるなら心を乱すことはしたくなかった。もちろん、痛ましい事実だって知らせるつもりはない。一成は何も知らずに、ただいつもみたいに笑っていてほしい。たとえ自分の頭が作り出した幻だって。
一成は「ならいいんだけど、何かあったらいつでも言ってねん」と言って、詳しく聞くことはしなかった。
そうやって、踏み込まれたくないラインを守る。それでいて、手を差し伸べる用意はあるのだと告げる。
あまりにも一成らしい気遣いとやさしさに、天馬は笑うような泣くような表情を浮かべた。幻聴だったとしても夢だったとしても、本当に電話の向こうに一成がいるように思えて。
「一成、何でもいいから話をしてくれ」
いつもの天馬だったら、きっと素直にこんな頼みはできなかった。だけれど、取り繕うつもりのない天馬は心のままに一成へ告げる。
声が聞きたい。二度と聞くことができないはずの、その声をずっと聞いていたい。
「なになに、テンテンってばオレの魅力的ボイスに気づいちゃった~?」
突き抜けるような明るい調子で一成は答えた。楽しそうな様子で、「ご所望ならいくらでもお話するよん☆ 絵本とか読む?」と続くので、天馬は「それもいいな」と応じる。
普段であれば「子ども扱いするな」と言うところだけれど、一成が話してくれるなら何だってよかったのだ。
電話の向こうの一成は一瞬黙ったらしい。わずかな沈黙は、恐らく天馬の反応が予想外だったからだ。
しかし、一成はすぐに声を取り戻す。いつもの明るい調子に似て、だけれどほんの少しいつもよりも落ち着いた、やわらかい声で言う。
「それじゃ、カズナリミヨシ即興のお話でもしよっかな。っていってもすぐ思いつかないから――あ、そだそだ。一昨日のむっくんの誕生日パーティーでさ、ストラップもらったじゃん」
「え?」
一成の言葉に、思わず天馬は言葉を発した。
今一成は何て言った? 一昨日の椋の誕生日?
椋の誕生日は8月30日だ。今日は10月に入ったばかりで、椋の誕生日は一ヶ月も前に終わっている。どうして一昨日だなんて言うのか。
とっさに思ってこぼれた声を、一成は拾いあげて尋ねた。
「テンテン、もしかしてストラップもらったの忘れてる系?」
「いや、覚えてる。そうじゃなくて、今日は10月1日だろ」
わりと本気で心配そうな声で言われて、天馬は反射的に答えた。
一成が指しているストラップのことは覚えているし、忘れるわけがない。
椋の誕生日に、ネコのネックピローをプレゼントした密が「そういえば」と言って取り出したのだ。マシュマロのおまけでストラップをいくつかもらったから、動物好きの椋にあげる、と言って。
ストラップはちょうど6つだったので、夏組みんなでそれぞれ好きな動物を選んだ。
どれがいいかと言われた天馬は正直どれでもよかったのだけれど、百獣の王ということでライオンを選んだ。それは今も天馬のスマートフォンに揺れている。気づいたら一成が勝手につけていた。
「おそろっぽくてよくない?」という一成の言葉で、結局、夏組全員スマートフォンに取りつけることになった。もちろん一成も例外ではないので、そのストラップがどうなったのかだって、天馬はよく知っている。
最期までずっと一緒にあったのだ。一成の命がこと切れる瞬間まで、血まみれの手で握りしめていた。何かにすがるみたいに、強く。そのストラップを、忘れるわけがなかった。
「……えーっと、オレ的には、今日って9月1日なんだけどな~?」
天馬の言葉を聞いた一成は、冗談めいた響きでそう告げる。その声はあくまでも軽い調子ではあるけれど、端々に疑問符が浮かんでいた。
確かに、電話相手がいきなり今日は一か月後だと言い出すのだ。何を言っているのか、と思うのも仕方ない。
ただ、天馬は天馬で妙なところで整合性が取られている事実に、苦笑を浮かべるしかない。ありもしない声を聞いているかと思えば、変なところで辻褄を合わせようとする自分の頭がおかしかった。
一ヶ月前。9月1日。確かに、その日付なら一成は生きている。
忘れるわけがない。一成がいなくなった日。6人の夏組は二度と戻らない。何もかもが壊れていく始まり。一成を失ったのは9月19日だ。
そうか、と言えばいいと思った。そうだった、まだ9月だったなと言えば、きっと一成は「だよねん、びっくりした~」と笑う。
自分の作りだした幻だとしても一成をわずらわせたくはないから、「悪い、そうだな9月だ」と答えようとした。しかし、それよりはやく声が響いた。
「でも、テンテン的には10月なの、今日って」
いぶかしむ調子ではなかった。気遣う素振りや、とりあえず話を合わせようといった様子でもない。ただ純粋な、事実確認以外の意味を持っていない声で、一成が尋ねた。
天馬は目をまたたかせて、だけれどすぐに笑みを浮かべる。
そうだ、一成ならきっとそうする。不思議に思って疑問に感じても、相手がそう言うならひとまず受け入れてみようとする。
だから、天馬がいきなり一ヶ月後を今日だと言い出しても、とりあえず天馬にとってはそうなんだな、と事実を事実として受け入れる。そんなわけがないと、馬鹿なことを言うなと否定することを決して選びはしないのだ。
そんな風に、心ごと両手を広げて抱きしめる。自分の内側に居場所を作ってくれる。そういうやさしさを、天馬はよく知っている。
一成だ、と思った。
たとえ自分の頭が作り出した都合のいい幻だとしても、電話の向こうにいるのは間違いなく一成だ。
理性や常識はとうに消えていた。この電話は一成につながっているのだと、これがたとえ一瞬の夢だとしても幻だったとしてもそう信じるのだと天馬の心は決まってしまった。
だから、天馬は素直に答えていた。ずっと会いたかった。声が聞きたかった。一成がそこにいてくれるなら、嘘も建前も要らない。
「ああ、今日は10月1日だ」
きっぱりと天馬は告げた。一ヶ月前を生きているという一成に向けて、ただ自分が持っている本当を取り出して告げた。
客観的には馬鹿なことを言っているのだろう。一ヶ月後の日付を指して今日だと言い張るなんて、冗談かふざけていると思われて終わりだ。それでも、一成ならきっとそうしないと天馬は知っている。
「ってことはオレ、未来のテンテンと話してる系? すげーじゃん!」
楽しそうに、明るい声で一成が笑う。馬鹿みたいだと呆れるのでもなく、仕方ないなと愛想でうなずくでもなく。荒唐無稽な話を真っ直ぐ受け取って笑ってくれる。
一成ならきっとそうすると天馬は知っている。もしかしたらお芝居の一環かも、なんて考えていたとしても、天馬が言うなら信じて受け入れようと思ってくれる。
「えー、じゃあ未来のオレどうなってるとか聞きたいかも! いやでも、一ヶ月じゃそんな変わってないか~」
ほとんど独り言のようなつぶやきに、天馬の心臓がドキリと鳴った。
一ヶ月後の未来に、一成はいない。9月1日の一成は、天馬は、夏組は、MANKAIカンパニーの団員は、誰一人こんな未来を予想していなかった。
たった一ヶ月の間に、一成がいなくなって夏組がバラバラになってしまうなんて。10月1日の今日には、世界のどこにも一成がいないなんて。
「――お前は、何か話すことがあるんだろ。ストラップがどうのって」
未来の話をしたくはなくて、一成の意識をそらすべく天馬はそんなことを言う。
ただ、一成が何かを言いかけていたのは事実だし、一成の声を聞きたかったのも本当だ。自分の話よりも、一成の声をずっと聞いていたい。だから、一成に話をしてほしい。
一成は恐らく天馬の意志を読み取ったのだろう。しかし、それを察知させない自然な素振りで口を開く。
「あ、そうだった。えっとね、あのストラップちょうど6種類だし、あの辺でオリジナルストーリー考えちゃおっかなって思ったんだよねん」
夏組がそれぞれに選んだストラップのことだ。天馬はライオン。一成はクマで、椋はヒツジ。幸がイルカで、九門がワシ、三角がイヌだったな、と天馬は思う。
「みんなで宇宙旅行とか良くない? 銀河を旅する動物たち、的な?」
「なんで動物が宇宙に行くのか謎だけど、まあそういう絵本はありそうだと思う」
「テンテン、いきなりリアリティー発揮しないで! でも、宇宙はぴったりっしょ。あのストラップ星座モチーフっぽいし」
一成はさも当然のような顔で言い切るけれど、天馬の頭には星座?という疑問が浮かぶ。
各自が選んだ動物を思い浮かべるものの、それらの共通点は星座なのだろうか。
天馬の沈黙から、恐らく一成は的確に疑問を読み取った。オレの予想だけどねん、と前置きをしてから説明をしてくれた。
「テンテンのライオンはしし座で、むっくんのヒツジはおひつじ座じゃん? くもぴのワシは、夏の大三角形のアルタイルだし、すみーのイヌはたぶん、おおいぬ座かこいぬ座かなって。ゆっきーのイルカは、天の川の近くにあるイルカ座だよねん。オレのクマは、おおぐま座かこぐま座っぽい感じ」
一切のよどみなく、一成は言葉を並べた。天馬にはピンと来なかったけれど、どうやらそれぞれの動物は星座として存在しているらしい。一成は、さらに言葉を続ける。
「それに、ヒソヒソが買っておまけもらったマシュマロって、ミルクディッパーって商品名だったからねん。南斗六星っていう、南の空で見えるひしゃく型の星の集まりのことだよん。めっちゃ宇宙っしょ」
だから、密からもらったストラップの共通点は星座であると一成は判断したらしい。
天馬はと言えば、素直に感心していた。一成は見た目に反して頭がいいことは知っていたし、時々そういう場面に遭遇したことはある。今この瞬間も、そういうことなのだろう。
「すごいな。三角や監督から、お前は星に詳しいとは聞いてたけど本当によく知ってて驚いた」
心からそう言えば、電話の向こうで「テンテンに褒められちった!」と喜ぶ声が聞こえる。
これくらいで喜ぶなら、もっと言ってやればよかったと天馬は思う。すごいと思うことも、大事にしたいと思う場面も、たくさんあったのに照れくさくて言葉にできなかった。
いつか言えると思っているうちに、そのいつかは永遠に来なくなってしまった。だから天馬は言う。
「そうやって、いろんなことに好奇心を持って、ちゃんと頭に入ってるのもすごいと思う。オレにはない部分だし何だって楽しんで知識を吸収できるのは、お前の長所だ」
言えなかったことがたくさんある。だけれど今なら一成に伝えられる。だから天馬は心からの言葉を伝えた。一成は慌てたように声を発した。
「ちょ、ちょ、テンテンどしたの!? オレのこと褒めても何も出ないよ!?」
「思ったことを言ってるだけだ。お前に何かしてもらいたくて言ってるわけじゃない」
「テンテンってば男前~ってそうじゃなくて。いやでも、そんな大したことじゃないからね! ライオンとヒツジで、しし座とおひつじ座だな~ってところから連想しただけだし」
「そうやって連想が働くのもすごいだろ。そもそも、その二つで星座まで辿り着かない」
きっぱりと告げた天馬は、そこでふと疑問が浮かんだ。しし座と言えば、確か一成はしし座だったような、と思ったからだ。
「一成、お前しし座だよな。それならお前がライオンにすればよかったんじゃないか」
必ずしも自分の星座を選ばなければいけないわけではないけれど。自分に連なるものだという意識があれば、一成のことだそれを選ぶのではないかと思ったのだ。
一成は天馬の言葉に「それな~」と相槌を打った。
「ぶっちゃけ、ライオンがいいな~ってちょっと思ってたんだけど。でも、別に絶対これがいい!ってわけじゃなかったし、みんなが選んだあとでいっかなって」
さらりと告げられた言葉に、天馬は思わずスマートフォンを離して自分のストラップを見た。ライオンのストラップが揺れている。だけれど、これを選んだことにはそこまで大した理由がなかった。
これがいいなと思っていたなら、そう言ってくれればよかった。そしたら天馬は、望んだ人間の手元にある方がいいだろうと一成へ渡したはずだ。
だけれど、一成は当然みたいにその願いを口にしない。実際大したことではないとも言えるし、そこまで大袈裟に騒ぎたてることでもないのだろう。頭では天馬もわかっている。だけれど。
「なら取り替えてやるよ。オレも別にそこまで大きな理由があって選んだわけじゃない。欲しいやつが持ってたほうがいいだろ」
きっぱりと天馬は言う。
些細な話で、きっと大したことではない。だけれど天馬は、一成の望みなら何だって叶えてやりたかった。たとえこれがただの幻聴で夢だとしても、一成が望むなら何だって。
しかし、当の一成は何だか困惑した様子で「え、でも、テンテンが選んだやつだし」と言っている。恐らく、一度天馬の手にしたものなのだから所有権は天馬にあると思っているのだろう。
「オレの持ち物なら、どう扱ってもいいだろ。なら、オレは一成と交換したいんだよ。特別な思い入れがあって選んだわけじゃないし、お前がいいなって思ってたものならお前に持っててほしい」
心からの思いを込めてそう伝えれば、一成は電話口で数秒黙った。しかし、すぐに言葉を取り戻すと言った。
「――それじゃ、そうしちゃおっかな」
落ち着いたやわらかな声は、ほほえみの気配をにじませている。恐らく一成は、天馬の言葉からその心をしかと受け取ったのだ。
理由まではきっとわかっていないだろうけれど。ストラップを交換したいと思っていることを、その切実さを受け取ったからうなずいた。一成はそういう人間だ。
「ああ。だから、ちゃんとそっちのオレにそう言え。こっちが気になってたって言えば、渡してやるから」
今ここにいる自分ではできないことなので、そう告げる。
果たして、この幻に皇天馬という存在がいるのかはわからないけれど、少なくとも今この状況ではそう伝えるしかなかったのだ。
電話の向こうの一成は、天馬の言葉に楽しそうな声を弾けさせた。
「そかそか、そうだよねん。未来のテンテンじゃ、オレにストラップ渡せないもんね!」
電話の向こうと同じ世界にいる天馬だったら、電話を切ったあとで自分からストラップを渡せばいい。しかし、「未来の天馬」であればそれは無理な話なのだ。
果たして、この電話の一成と同じ世界に自分がいるのかはわからない。だけれどもしも、皇天馬がいるのなら。同じ世界に自分がいるのなら、一成のことが好きに決まっている。
だから一成の願いは全部叶えろ、と天馬はどこかの自分に思う。幻でも夢でもいいから、その世界ではちゃんと一成の望むストラップが手元にあってくれればいい。
「じゃあ、6匹の宇宙旅行、リーダーはライオンじゃなくてクマにチェンジしなくちゃねん」
「ああ、そういえばそんな話だったな」
「でも、クマがテンテンってのもそれはそれでありかな~って思うんだよねん」
どこか浮き立つような調子で、声に楽し気な笑みを含ませた一成が言うので。天馬はいぶかしんだ空気を流して尋ねる。
「そうか? クマらしいとか言われたことないぞ」
「あー、まあ、テンテン、動物的にはあんまりクマっぽくはないかも~? だから、これはどっちかっていうと星座的なほうだねん!」
曰く、クマは恐らくおおぐま座かこぐま座がモチーフだ。どちらかが正解なのか、両方とも正しいのかわからない。だけれど、今一成が天馬らしいというのはこぐま座を指しているという。
「こぐま座のしっぽはさ、北極星なんだよねん。いつでもおんなじ場所にあって、船乗りが方角の目印にしたって星。オレたちの目印みたいなテンテンにはぴったりっしょ?」
楽しそうに、だけれどその奥底に真摯さをにじませて一成が言う。
いつだって、天馬の持つ光を目指して自分たちは走っていく。天馬がいつも自分たちの目印になってくれるから、だから夏組はきっと走っていけるのだと、くすぐったそうに一成が言う。
その言葉を聞く天馬の胸は、言いようもなく乱される。
これが幻なの夢なのかはわからない。だけれどきっと、一成はそんな風に言う。天馬を目印だと、夏組みんなが走っていける理由だと言ってくれる。
今、天馬はそんな自分でいられないと痛いほどわかっているけれど。
「――ありがとな。そう言ってもらえて嬉しい」
それでも天馬は、一成に答えた。たとえ、今の自分が一成の言葉から遠くかけ離れてしまったとしても。一成の言葉が嬉しかったことも、目印なのだと告げられたことが誇らしかったのも本当だ。だからきちんと感謝を口にしたくてそう言えば、一成は嬉しそうに笑った。
「ぜんぜん! オレの本心だし!」という言葉を告げるのがどんな表情なのかなんて、見えなくたってわかる。嬉しそうに、少し照れくさそうに。何だか少し泣きそうに。頬を染めて、ちょっとだけ眉を下げて笑っている。
しばらくの沈黙のあと、一成は口を開いた。愉快そうな声で、自分が考えたオリジナルストーリーを語り始める。
「きっとさ、クマのリーダーがロケットとか持ってるんだよ。たぶん、イヌが『あの三角形に行きたい!』って言って出発する感じ?」
「完全にただの三角だな」
思わず感想をこぼすと、一成が楽しそうに笑った。軽やかな声で言葉を続ける。
「やっぱり最初に行くのは夏の大三角形っしょ。でも、デネブだけめっちゃ遠いんだよねん。こういう時って、距離とかどうなるんだろ」
何かを思い出す素振りの一成曰く、それぞれの星は地球からの距離が違っている。
アルタイルとベガは同じくらいの距離だけれど、デネブだけは飛びぬけて遠い位置にあるらしい。しかも、それは全て光年での計算だ、と言われるものの天馬にはいまいちピンと来ない。
「光年ってのは、光が進む距離だったか」
「光が一年かかって到達する距離かな~? 光の速さで進んでも一年かかっちゃう距離とかやばいっしょ」
そう言う一成は「宇宙って不思議だよねん」と屈託がなかった。
監督や三角に聞いた通り、一成は星に詳しいし天体や宇宙が好きな性質なのだろう。加えて知識欲も旺盛なので、色々と知っていることが多い。
「光が届くまで距離があるからさ、太陽だってリアルタイムじゃないんだよねん。確か、8分くらい前の光をオレたち見てるんだって」
目の前で今輝いているように見えるのに、本当は過去の光なのだ。それほどまでに遠い距離にある。太陽ですらそうなのだ。夜空に浮かぶ星々は、きっともっと遠い過去からやって来ているのだろう。
夏組みんなで見た星も、あの大三角形だって、今同じ瞬間の輝きではないのだ。目の前で輝いているようで、本当はずっと遠いところにある。
その果てしなさに、天馬は何とも言えない気持ちになる。
気が遠くなるような、広大な時間と距離。その中で見れば、一成がいなくなってしまったことも、きっと些細な出来事でしかないのだ。
だけれど、それが何だろうと天馬は思う。宇宙にとっては取るに足らないことでも、天馬にとってはどれだけ大事だったのか日々思い知るのだ。
「まあそこは、カズナリミヨシマジックで、いい感じにしとくねん! 大三角形を巡ったあとは、どうしよっかな。あ、くもぴが天の川で水遊びできたら楽しそうだって言ってたし、むっくんは土星の輪っかに座ってみたいって言ってたかも! ゆっきーは、宇宙でスケッチしたらいいアイディア浮かびそうだって、さすがゆっきーだよねん」
一成は笑みをこぼしながら、夏組メンバーが思い描いた宇宙を語る。
ワシが天の川で水遊びをして、ヒツジとイルカが土星の輪っかに座っている。イヌは木星でおにぎりを食べていて、クマは次の目的地を探している。ライオンはと言えば、そんな彼らの姿を写真におさめているのだ。
動物の姿を借りながら語られる、夏組の話。つられるように思い浮かぶのは、夏組全員で過ごした日々だ。
一成がいて、九門がいて、三角がいて、椋がいて、幸がいて、天馬がいた。6人全員そろって笑いあった。いつだってすぐに取り出せる。何度だって思い出せる。今はもうないその風景が、一成の唇から語られていく。
鼻歌でも歌い出しそうな一成の声が心地いい。楽しそうで、軽やかで、弾みだしそうで。だけれど、奥底にはやわらかさとやさしさを潜ませて、一成は話を続ける。
それを聞いている天馬は、次第に自分の意識がぼやけていくことを自覚していた。
一成の声がやさしかった。楽しそうで光にあふれていて、だけれどいつものテンションの高さはない。落ち着いた光を放って、やわらかく撫でるように紡がれる声が、天馬の全身に染み渡っていく。
今までずっと張りつめていたものが、ゆるゆると溶けてゆく。一成の声が、やさしく全てを包み込む。天馬の心は、何かがぷつりと切れるようにまどろみの中に沈んでいく。
「――テンテン、だいじょぶ? 何かおねむじゃない?」
「……悪い」
相槌の間隔が長くなっていることや、あやふやになってきた天馬の声に気づかない一成ではなかった。どうやら眠気に襲われているらしい、ということを察して気遣いの声を掛ける。
「そろそろ寝たほうがいい感じじゃね? 無理は良くないっしょ」
「いやだ、お前ともっと話したいんだ」
純粋に心配しての言葉だということはわかっている。それでも、天馬は反射的にそう答える。
幻なのか夢なのか。自分の頭が作りだしたのだとしても、一成と話ができるこの時間を終わらせたくなかったのだ。
一成は天馬の言葉に、電話口で数秒黙った。それから、茶化すような口調で言う。
「テンテンってば、マジでどしたの。熱烈だねん。カズナリミヨシ照れちゃう」
からかうような響きは本心だろう。ただ、それが全てではないことを理解できる程度に、天馬と一成の付き合いは長い。
真っ直ぐとした好意を向けられて、一成はきっと本当に照れている。冗談に乗せて誤魔化そうとしているだけだ。
「ずっとお前と話してたいんだよ。お前の声で名前を呼んでほしいんだ」
だってもう二度と呼んでくれない。嬉しそうに、何だかとても素晴らしい発見をしたみたいに自分を呼んでくれることは、もう二度とないと思っていたから。
まどろみの中にいるような状態だからこそ、言葉は勝手にこぼれおちる。自分が何を言っているのか、天馬にはもうよくわからない。ただ、あふれでる気持ちが声になっていく。
「オレの名前を呼んでくれ」
何度だって、ずっとずっと呼んでほしかった。これから先の未来までずっと隣で。オレの名前を呼んでほしかったんだ。
「テンテン……」
こぼれた名前に、天馬は安堵する。一成の声が聞こえる。オレの名前を呼んでいる。どこにも行ってなんかいない。一成はここにいる。いなくなってなんかいないのだ。
「テンテン、オレずっとここでテンテンのこと呼んでるからさ。安心していいよん」
やさしさの中に、何かを決意したような響きを乗せて一成が言った。詳しい話なんて一切知らないはずなのに。天馬の気持ちを真っ直ぐ受け取って、望みを理解したのだろう。
天馬は「ああ」とうなずいたような気もするし、声にはなっていなかったのかもしれない。
しかし、一成は気にすることもなくささやかな話をしてくれる。天馬の名前を確かに呼んで、ずっとここにいるのだと証明するみたいに。
その声を聞く天馬の意識は、どんどんあやふやになっていく。
一成の声が聞こえる。自分の名前を呼んでいる。その事実を噛み締める天馬は、眠りの中に落ちていく。どんな焦燥も後悔もない。一成がいなくって初めて、安心できた夜だった。