一億光年の恋 12話
時計の小部屋には、夏組だけが集合している。天馬、幸、椋、三角、九門。一人が欠けた夏組が、アンティークソファに座っている。
部屋に入った時、三角は「サンカクいっぱいありそう~」と言ってきょろきょろ辺りを見渡していた。
九門は「すげー、なんかカッコイイのいっぱいあるね!」と声を漏らし、幸は「ふうん。いい雰囲気の部屋」とつぶやいて、椋は「『ノスタルジーロマンス』に出てきそうだなぁ」と言っていた。
いつも通りの光景にも似ていた。それぞれが思ったことを自然と口にしただけのような。今までと変わることのない光景に見えて、本当は違っていることを全員理解している。
夏組がそろっていたら。いるはずの一人がここにいたなら、きっと誰よりテンション高く盛り上がって、あっちこっちの写真を撮る。これなに?と天馬に問いかけ、サンカクを見つけたら三角を呼ぶ。
雰囲気のありそうなアイテムがあれば九門に「異世界つながってそう」なんて笑うし、幸には「これ、デザインの参考によくね?」と言って、椋にはきっと「こういう部屋の出てきそうな漫画ありそうだよねん、むっくん知ってる?」なんて尋ねるのだ。
簡単に想像できるのに、その人はいない。夏組の中から永遠に失われてしまった。
取り戻すことのない欠落を全員が抱えている。だからこそ、アンティークソファに座る夏組はどこかぎこちない雰囲気を漂わせていた。
大事な人たちの顔を見られて嬉しい。またこうして顔を合わせられてよかった。確かにそう思うのに、同時にどうしたって不在を思い知る。5人がそろったことで、欠落はより鮮明になる。ここには一成がいない。
「――それで、ポンコツ。何か用事があったんでしょ。オレたちだけにしてくれ、なんて」
最初に口を開いたのは幸だった。
そもそも、天馬が「来てくれ」と言って自分たちを呼んだのだ。まさか顔が見たかっただけということはないはずだ、というのは幸だけでなく全員の意見だった。
わざわざここまで呼び寄せて、さらに夏組だけにしてほしい、なんて。何かあると言っているのと同義だった。
「みんなの顔見られて嬉しいけど……天馬さんがわざわざ呼ぶんだもん。何かすげー大事な話なんだよね?」
どこか心配そうな、緊張を漂わせた雰囲気で九門が続く。椋が「九ちゃん……」とつぶやいてから、そっと視線を天馬に向けた。
「どんなことなのかわからないけど……天馬くんの話ならちゃんと聞くよ」
そっと浮かんだ笑みは、消えてしまいそうな儚さをたたえている。それでも椋は、ちゃんと聞くと言ってくれるのだ。
「てんま、オレが見つけたメッセージと関係ある?」
ごそごそとポケットを探った三角が尋ねる。それ以外の三人が「メッセージ?」という疑問を浮かべるのも当然だろう。
天馬は、メッセージを取り出そうとする三角にひとまず待ったをかける。今はそれを見せるより前にすべきことがあったのだ。
ちらり、と時計へ視線を向ける。時刻はそろそろ19時になろうとしている。昨晩、一成には19時に電話をすると伝えてあった。その時には、10月の夏組もそろうことになると告げている。
9月の一成には「オレも全員呼んだほうがいい感じ?」と聞かれたけれど、天馬は首を振った。
さすがにいきなり過去の自分に会わせたら混乱を招きそうだということもあるし、何よりも天馬の一番の目的は一成に会わせることなのだ。今だけは他の誰もいなくてよかった。一成だけがいてほしかった。
「いきなり『来てくれ』なんて言ったのに、全員ここまで来てくれて、感謝してる」
肌身離さず持っているスマートフォンを取り出しながら、天馬は言う。
本当は誰かが来られない可能性だって考えていた。だけれど、全員天馬の呼びかけに答えて洋館までやって来てくれたのだ。だからこうして、ここには5人がそろっている。
「お前たちを呼んだのは、見せたいものがあるからだ」
時計とスマートフォンの時刻を確認した。19時だ。天馬は深呼吸をしてから、アプリを起動させる。一成のアイコンを選び、ビデオ通話を押す前に言った。
ソファに座るそれぞれの顔を順繰りに見渡して、真剣なまなざしで。
「オレの頭がおかしいと思ったらそう言ってくれ」
どういうことか、と聞かれる前に。天馬はビデオ通話をタップして、目前にそろった面々に見えるようスマートフォンをスタンドに立てかけた。
接続中、という表示が一瞬だけ現れて、すぐにビデオ通話画面に切り替わる。
「10月のみんな元気~?」
スマートフォンの画面に映るのは、ひらひらと手を振る一成だった。
緑色の目を細めて、大きな口を開けて笑っている。きらきらと、まばゆい光が画面越しでも伝わるようだ。楽しくてたまらないといった調子で、一成がこちらに向けて手を振っている。
天馬はまず、きちんと一成と電話がつながったことに安堵する。
今日もまた一成の声が聞けること、顔を見られることが嬉しい。喜びに満たされていく胸の内を感じながら、天馬は次に夏組の様子をうかがう。何も言わず、ただスマートフォンの画面を凝視している夏組を。
まるでここだけ時間が止まってしまったようだった。誰一人、身動きすらせずにスマートフォンを見つめたまま動かない。声も発せず固まってしまったようだった。
「……あれ、これオレの声聞こえてない系?」
「いや、聞こえてるから安心しろ」
「あ、テンテン! よかった~って言いたいんだけど、これだいじょぶなやつ? まさかテンテン、オレのことサプライズしてね?」
この反応、絶対オレのこと聞かされてないやつじゃん!と言うものの、不満に思っているわけではないことは、イタズラっぽい笑みで理解できる。
天馬はそれに「まあな」とだけ答えるにとどめて、未だ固まったままの夏組へ視線を向ける。
この沈黙が意味するものは何だろうか。突然一成が現れたことへの驚き。それとも――天馬には一成がいるように見えているだけで、本当は通話画面なんか映っていないのだろうか。
通話の前に天馬が言った通り、天馬がおかしくなったことへの恐れで、声すら出せずに固まってしまったのだろうか。
どうしても拭い去れないその疑念に、痛いほどの沈黙が答え合わせを始めてしまうような気がした。ただ、このまま放っておくわけにはいかないことも事実なので、何か声を掛けようと口を開く。しかし、それより速く声が飛び込む。
「――カズくんっ!」
悲痛な声だった。上ずって、今にも崩れてしまいそうな声で、椋が体を震わせて叫んだ。それを合図にしたように、次々と声が上がった。
「一成? どうして」
「わかんない、でもカズさんだ」
「かず、かず、聞こえる?」
幸が呆然としたようにつぶやき、九門が混乱した様子で答えて、三角はスマートフォンに向かって呼びかける。気づけば全員が立ち上がり、スマートフォンに向かって泣き出しそうな声で一成を呼んでいた。
4人の様子に、天馬の胸にはいくつもの感情が嵐のように襲い来る。
ちゃんと一成が見えてよかった。一成に会わせてやれた。声が届く。名前を呼んでくれる。泣かせたいわけじゃない。お前たちを傷つけたくない。一成と会える。6人の夏組だ。
「だいじょぶだよん! めっちゃ声聞こえてるし、みんなの顔もよく見えてるし!」
明るい笑顔で、ほとんどパニック状態の4人に向かって一成が言う。そこで天馬も我に返って口を開いた。きちんと説明をしなくては。
「どういう理屈かはわからない。ただ、この一成は過去の――ちょうど1ヵ月前、9月の一成だ」
「そそ。こっちは9月なんだよねん。そっちは10月っしょ? 未来のみんなと話すとかびっくりだよねん」
そう言う一成は至って普通の顔をしているけれど、様子のおかしい椋たちに何か異変を察知していないわけはないだろう。
ただ、ここはそれを表に出すべきではないと判断して、いつもの顔をしている。一成はよく考えたすえに、浮かべる表情を選ぶことができる人間だ。
「一応、9月だよってことで新聞とかも借りてきてるよん。まあ、この辺は正直、古新聞持ってきてるんじゃん?って言われたらそれでおしまいなんだけど!」
朗らかに、明るく。冗談でも口にする素振りで一成は言葉を重ねる。その様子に、4人はどうにか落ち着きを取り戻し始めていた。
一成が目の前で、生きて、動いている。理屈は一切わからなくても、事実として頭に染み込んできたのだろう。
一成はそれを確認して、画面越しに新聞を掲げてみせる。紙面には確かに9月6日と記されているし、一ヶ月ほど前に世間を騒がせた政治家のニュースが報じられている。
さらに一成は、「これだけじゃ弱いかな~」と言って、画面共有でSNS画面を表示する。リアルタイムで更新される最新ニュースは、やはり9月6日を示していた。
「――って感じで、信じられないかもだけど、一応オレの今日は9月6日なんだよねん。たぶん、そっちは10月6日っしょ?」
そう告げる一成は、へにゃりと眉を下げている。ちゃんと伝わっただろうか、と心配するような表情だ。それに答えたのは三角だった。やさしい声で、それでもはっきりと告げる。
「信じるよ。かずの言うこと、オレたちちゃんと信じるよ」
たとえどんなに荒唐無稽な話だとしても、一成が言うならば。一成の今日が9月6日だと言うなら、三角も、椋も、幸も、九門も信じるのだ。
三角の言葉に、3人がこくりとうなずく。何一つ疑う余地などないと告げるような真剣な表情。一成は心底嬉しそうに笑った。
「みんなありがと! まあ、オレもどうしてこんなことになってんのかはよくわかってないんだけどねん! でも、一応仮説はあって――って、オレが説明するよりテンテンのがよくね? 持ち主っしょ」
「別にオレの所有物じゃない。ただ、オレが説明するのが筋だとは思う」
一成の言葉を引き取って、天馬は口を開く。
今自分たちの目の前にある時計には、過去とつながって話をすることができるという言い伝えがあること。夜になってからこの部屋で電話をすると過去の一成につながること。
クマのストラップが変化していた事実など、今日までの経緯を踏まえながらかいつまんで事情を説明する。
天馬の話を、4人は真剣な顔で聞いていた。馬鹿げた話だと言うこともないし、一つだって否定の言葉は口にしない。
それも当然だろう。一成にもう一度会いたいと願っていたのだ。声が聞きたい。顔を見たい。また話がしたい。願いが叶うなら、どんな理由だって構わなかった。
「すげー時計なんだね、これ! めっちゃ感謝しなくちゃじゃん!」
興奮しきり、といった顔で口を開いたのは九門だ。銀河を思わせる文字盤を見つめるまなざしは、きらきらと輝いている。無理をしたものではなく、九門の内側からこぼれでるような光だ。
「うん。タイムトリップって言うのかな……? 漫画だけじゃなくて、映画やドラマでもたくさん聞いたことあるけど……本当にこんなことがあるなんてびっくりだな」
ほう、と息を吐いた椋は潤んだ目をしていた。だけれど、それは悲しみのためではない色をしている。戸惑いの中に喜びを混ぜたような。
「――こんな風に一成と話すとか、絶対自分の目で見なきゃ信じない。突然ポンコツがこんなこと言い出したら、おかしくなったかと思うし」
幸の声は淡々としているようでもあり、どこかに笑みを含んでいるようでもあった。抑えきれない心が、わずかににじんで声になっている。
「かず、見て見て~! かずのメッセージ、ちゃんと見つけたよ~!」
三角はそう言って、ポケットから取り出した紙を丁寧にスマートフォンの画面へ向けた。一成がぱっと笑って、「すみーが見つけてくれたんだ?」と答える。
一方で、他の3人は紙の意味を問う視線を三角と――恐らく事情を知っているであろう天馬へ向けた。それを受けた天馬は、ぼそぼそと答える。
「――メッセージを残せたら、過去の一成が実在するって証明になるだろ。もしもオレの幻覚だったらさすがにメッセージは残せない」
おおよその顛末を説明すれば、電話の向こうの一成は「オレは幻覚じゃないのに!」と面白そうに笑っていた。一方で、幸はぽつりと「ポンコツ、意外と頭いいじゃん」とつぶやく。天馬は思わず顔をしかめた。
「意外と、は余計だ」
「ま、実際それくらいやらないとこんな馬鹿みたいな話、信じられないしね」
肩をすくめて幸が言う。現実的に考えて、過去の一成と電話ができるなんてことをすんなり信じられるわけがない。夢か幻覚の類だと思って終わりだ。
もしかしたら、今この現実だって、何もかもがよく出来た夢なんじゃないかと、夏組は思っている。クマのストラップだってメッセージだって、都合よく記憶が改変された果てのものかもしれない。
だって、また一成と話ができるなんて。過去の時間とつながって、いなくなってしまった一成の顔を再び見られるなんて。
どれだけ必死で、何もかもに願ったかわからないくらい、心の底から望んでいた。絶対に叶うはずがないとわかっても祈らずにはいられなかった。
それが現実になっているのだ。もしかしたら、現実だと思い込んでいるだけで、夏組全員が幻覚を見ているのかもしれない。
だけれど、それでもよかったのだ。天馬も、幸も、椋も、三角も、九門も。
だってずっと一成に会いたかった。声を聞きたかった。顔が見たかった。話をしたかった。笑ってほしかった。それが全て叶えられるなら、今だけはせめてこの幻覚を見ていたかった。
「――かずだねぇ」
ふわふわとした口調で、だけれどどこまでも切実な響きで三角が言う。スマートフォンの中にいる一成を見つめて、やさしい声で。
「うん。カズさんだね!」
嬉しそうに、少しだけ目を潤ませて九門が続く。真っ直ぐとしたまなざしで、どこまでも澄み切った視線を注ぐ。
「まあ、どう見ても一成でしょ」
何当たり前のことを言っているんだ、という響きで幸が言うけれど。声に隠されたのが、あふれでる喜びであることは、その場にいた誰もが理解している。
「カズくんだ」
画面の向こうの一成を見つめて、椋が言う。緑色の目や、流れるような金髪、大きな口やあまり日に焼けない白い肌。
見知ったはずの、だけれど一ヶ月前に消えてしまった大事な人を、視線の一つ一つで辿るように。丁寧に慈しむまなざしを向けて、椋が言う。
それらを受け取る一成は、小さな画面の向こうで明るく笑った。冗談みたいな響きを乗せて、光を放つ強さで。
「そそ、みんなのカズナリミヨシだよん! てか、そんなに熱烈に見つめられちゃうと、オレもちょっと照れちゃうかな~?」
一成から見れば、スマートフォンの画面には5人が収まっている状態だ。一人一人の表情がしかと判別できるかと言えばいささか心もとない。だけれど一成は、彼らの浮かべる表情をほとんど正しく理解していた。
付き合いが長いということもあるし、一成自身が相手の感情を読み取ることに長けているということもある。それに、何よりも耳に届く声が。一成の名前を紡ぐ声が、すがりつくみたいだった。
天馬は何も言わず、そんな夏組の様子を見つめていた。宝物をそっと手のひらで守ろうとするような4人を、小さな画面の中でこちらの様子を精一杯に受け取ろうとする一成を。
きっと一成は、異変を察知している。そもそも、最初に天馬と電話した時から何か様子がおかしいと思っていただろう。天馬と電話を重ねている間にも、ちらほらとおかしな点はあったはずだ。
それが今、4人の反応を目の当たりにすれば、異変が確信に変わるのも当然と言えた。だから、天馬は口を開く。ここまで黙ってきたけれど、まさかこのままではいられないとわかっていたから。
「――その、一成。お前に言わないといけないことがある。今まで黙ってて悪かったな」
一成を傷つけてしまうのではないかと、口に出すことをためらっていた。だから、天馬の口調は自然と歯切れの悪いものになるけれど、一成はむしろほっとしたような表情を浮かべた。
天馬へ視線を向けると、軽口めいた調子で言う。
「だよねん。何かこれ、突っ込んでいいのかなってオレさっきからちょっと思ってたとこ!」
そう言った一成は、視線を5人に向けた。何かを確認するように一人ずつをゆっくりと見つめたあと、困ったように眉を下げて言った。
「なんでオレだけいないのかなって、ずっと思ってたんだよねん」
今、一成の目の前にいる10月の夏組に一成の姿はない。それは、9月の一成にとってずいぶんと奇異なものに映ったはずだ。
夏組は気づいたら6人がセットになっていることが多い。何も言っていないのに示し合わせたように6人が一緒になるものだから、しょっちゅう夏組はセット扱いされている。
バラバラに行動することだって当然あるけれど、こんな風に1対5になる場面はほとんどない。もしもそうなったら、誰かが1を引っ張ってきて夏組は全員集合している。
だから、9月の一成はずっと疑問に思っていたはずだ。どうしてここにはオレだけいないんだろう、と。
「何かどうしても抜けられない用事があるとか、まさか大喧嘩しちゃった!?とか、色々考えてたんだけど、たぶん違うよねん」
用事があっていないのならきっとすぐにそう言うだろうし、喧嘩して今ここにいないのだとしたらもっと気まずそうな雰囲気があるはずだと、一成は思ったらしい。
だけれどそうではなく、一成以外の夏組はただ真っ直ぐと一成に心を向けてくれていた。
一成が目の前にいること、電話がつながること、話ができること。それら全てがまるで奇跡みたいに、一成がそこにいることを確認して握りしめていようとするみたいだった。
「一成」
思わず天馬は名前を呼んだ。頭のいい人間だ。感情の機微にも聡いし、相手の気持ちを読むことにも長けている。表情が見えなくたって、声だけだって理解できる。
今まで交わした天馬との会話や、すがりつくみたいに名前を呼ぶ声で、恐らく辿り着いてしまったのだ。
だって、一成と電話がつながった、ただそれだけで、パニック状態になるなんて、どう考えてもおかしいのだ。
過去の一成と電話がつながっただけなら、驚きはしてもあそこまで混乱に陥るはずがない。
まるで一成がそこにいることがあり得ないみたいに。一成が画面の向こうにいるのは、到底起こりえない奇跡みたいに。確かめてすがりつくような声で名前を呼ばれて、一成は気づいてしまった。
だけれどそれを一成に言わせたくなくて、天馬はとっさに何かを口にしようとする。何でもいいから別の言葉を、と思うのにそれよりはやく声が飛び込む。
天馬がずっと呼んでほしかった声で、未来までずっと呼んでほしいと願った名前を紡ぐ。
「テンテン」
反射的にスマートフォンへ視線を向けると、一成が天馬を見つめていた。じっと真っ直ぐそそがれる視線は、穏やかでありながら決意を秘めた顔をしていた。
その目があんまり静かで澄み切っているから、天馬は一瞬言葉をなくす。その隙に、一成は言った。困ったように眉を下げて、気の抜けた、へらりとした笑みで。
「もしかしてって思ってたんだけど、オレ事故で入院してるとか――それか、死んでたりしない?」
冗談のような口調は、恐らくせめて空気を軽くしようとしたからだ。
一成は天馬との電話の時点から、薄々察してはいたのだろう。
普段と違う天馬の様子、やけに電話をしたがること。天馬がMANKAI寮を出て一人きりでいること、特定の日付を指して注意を促すこと。何かが起きたに違いないと思うのに、状況証拠は充分だった。
加えて、今日の夏組の反応だ。
サプライズで過去の一成と電話がつながった、というだけで悲鳴のように一成の名前を呼んだりしない。
話ができること、顔を見られること、声を聞けること。一成が目の前にいること。それら全てを、宝物みたいに抱きしめようとする理由を、一成は察してしまった。
きっとそれは当たり前じゃなくなったのだ。夏組のみんなにとって、自分のいる風景は日常ではなくなってしまった。
だからこそ、パニックに陥りながら名前を呼んで、全ての愛おしさで自分を見つめてくれたのだと、一成は理解した。
天馬たち夏組は、一成の言葉に思わず黙り込んでしまう。軽い口調で放たれた言葉は、しかしどうしようもない現実を徹底的に思い知らせる。
その通りだ。9月の一成が言う通り、一成は死んでしまった。10月の世界には、どこを探したって存在しない。
あの9月の夜に血まみれの姿で発見された一成は物言わぬ亡骸となり、その体は灰になった。
きらきらと輝く緑色の目も、楽しげに笑う口も、いくつもの世界をあざやかに生み出した指先も、何もかもが炎に焼かれて小さな骨になってしまった。その事実が夏組に重くのしかかって、言葉を奪う。
「――そっかぁ」
誰もが声を発しない中で落ちたのは、一成のつぶやきだった。思わずといった調子でこぼれた声。誰も何も言わない。その事実は、一成にとって肯定と同じだった。
もしも一成の言葉が間違っていたなら、きっと「そんなわけないだろ」と天馬は言う。「馬鹿じゃないの」と幸が答える。
「カズくんはちゃんと生きてます!」と椋がうなずき、三角は「だいじょぶだよ、かず!」と笑って、九門が「カズさんめっちゃ元気だよ!」と教えてくれるだろう。
だけれど、誰も「違う」と言わなかった。
事故の可能性だって考えた。だからこの場に自分はいないのかもしれないと一成は思った。しかしそれなら、苦しそうでもきっと言ってくれると思ったのだ。
今、10月の自分が必死で生きようとしているなら、たとえどんな酷い状態でも生きているのならきっと。だけれど、10月の夏組は何も言わなかった。
それはどんな言葉よりも雄弁な、死への肯定だった。
生きているならそう言ってくれるだろう彼らが、何も言わない。重苦しい沈黙が導き出す答えを、一成は正しく受け取ってしまった。
どこを探したって10月の世界に自分はいないのだ。三好一成という存在は、自分はきっと死んでしまうのだと、ただの事実として一成はすとんと理解してしまった。
「オレの余命、あと一ヶ月とかマジか~。やりたいこといっぱいあったのにな。描きたい絵はめちゃんこあるし、イベントだっていっぱい出たかったし、試したいデザインもたくさんあるし」
上手く整理のつかない頭のまま、一成は言う。黙ったままではいけない気がして、なるべく明るい口調で言葉を並べた。
あと一ヶ月では到底叶うことのできない希望が、一成の頭にはあとからあとから浮かんでくる。とても一ヶ月では足りないし、これから先がずっと続いていくと思っていたのに。それは途切れてしまうのだ。
これから先の未来が、自分には訪れないのだ。もっとずっと、みんなと一緒にいられると思ったのに。疑いもなく、夏組のみんなと未来へ向かって走っていくと思っていたのに。
遠い未来の先まで、隣には彼らがいると思っていたのに、それは全てなくなってしまう。
「……もっと舞台に立ちたかったな」
一成の唇から、ぽとりと言葉が落ちる。
一ヶ月後の世界に自分はいない。それはつまり、これから先舞台に立つことは永遠にできないことを意味する。
板の上で光を浴びて、みんなで作り上げた世界を演じる。広がっていく世界を、板の上で確かに生きるあの時間。永遠のような、何もかもが最高の瞬間を全身で感じる全ては訪れない。
「みんなと、もっと舞台に立ちたかった」
もしも一ヶ月後に死んでしまうなら。全てがそこで終わってしまうなら。夏組全員で舞台に立つことはもう二度とできないのだと、一成は思い至る。
これから先の未来は、ずっと続くはずだった。
いつだったか、天馬と交わした言葉を一成は思い出す。一成が主演で、天馬が準主演の舞台の話をしていた。いつか絶対叶うと言ったのに、そのいつかは永遠に訪れないのだ。
夏組の6人で作り上げる舞台は、もう二度と幕が上がらない。そんなことは嫌だった。もっと舞台に立ちたい。
天馬と、幸と、椋と、三角と、九門と、一成で、縦横無尽に舞台を駆け回って、夏組らしいコメディで客席にたくさんの笑顔を届けて、最高だって全員で笑いたい。
夏組の作る舞台を、何度でも演じたい。最高を何回だって更新して、6人で笑い合う未来がずっと続くと思っていたのに。それは叶わないのだと一成は知ってしまった。
だって自分は死んでしまうから。
悪い冗談だと言えればよかった。だけれど、目の前の夏組が――一成のいない夏組がそんなことを言うはずがないことくらい、他でもない一成がよく知っている。彼らの反応が、何よりも雄弁に一成の死を確かなものだと伝えている。
「夏組みんなで、もっと舞台に立ちかったよオレ」
どんな顔をすればいいのか、一成にはよくわからなかった。
泣いてしまいたいとも思うけれど、そうすればきっと10月のみんながもっと悲しそうな顔をしてしまう。だからせめて笑っていようとして、笑みを浮かべるけれど、上手く形になっただろうか。
あやふやな笑みのまま、ぽつりと落ちる言葉。その切実さを、きっと誰もが理解して、だけれど、答える言葉なんて持っていないはずだった。ただ一人を除いては。
「立たせてやる」
強い声が、部屋に響いた。スマートフォンを介して、ただ黙り込むしかなかった夏組の中で、ただ一人強い目をした天馬がきっぱりと言う。
一成が天馬を見て、幸も椋も三角も九門も、天馬を見た。いつだって自分たちを引っ張ってきた、先頭に立って走り出してきた天馬を。
「いいか、一成。お前はまたオレたちと一緒に舞台に立つんだ」
真っ直ぐと、天馬は一成を見つめている。確かな炎を瞳に宿らせて、何かに誓いをかける真摯さで、自分の心を握り締めて取り出す必死さで一成に告げる。
「――死なせるもんか」
わずかに声が揺れる。天馬の胸によみがえるのは、あの夜の後悔だ。世界が崩れ落ちていく恐怖だ。
一成が帰らないと聞かされた。電話に出てやれなかった。一成を探して走った。間に合わなかった。何もかもが遅かった。好きだと言いたかった。誰よりも特別だったと理解した時、全ては永遠に失われたあとだった。
あの時の感情を、何もかもが失われていく恐怖を天馬は忘れない。
一成がいなくなって夏組がバラバラになり、大きな穴に飲み込まれていく。全てが崩れ落ちて、世界は壊れてしまうのだと思った。だけれど、細い糸がギリギリでつながったのだ。
一体どうしてなのか、理由は一つもわからない。それでも、今こうして過去の一成と時間がつながった。再び声を聞くことができる。二度と答えるはずのない声が聞こえる。また会えた。楽しそうに笑う顔を、やわらかな光がにじむ笑みを、またもう一度見られる。
そのたとえようもない幸福を天馬は何度だって抱きしめている。それと同時に、きっと奇跡とすら呼ばれるこの出来事がもたらす意味を考えた。
過去の一成と電話がつながり、声を掛けることも聞くこともできる。ならば、やるべきことは一つだった。
「お前を絶対死なせない」
スマートフォンの向こうの一成に向けて、天馬は告げる。他の誰でもなく、たった一人に懸ける誓いだ。
ぱちぱちと瞬きをして、天馬を見つめる緑色の目。その瞳が永遠に閉ざされる未来なんて、絶対に許してやるものか。
燃えるような意志を宿して、天馬は心に決めている。
過去の一成と時間がつながった。それならオレは、お前が死ぬ未来を変えてみせる。