一億光年の恋 15話




 天馬は自室で台本を広げていた。
 5人が積極的に手伝いをしたおかげで、今日はさすがに何もありませんよ、と管理人夫妻には言われていた。そういうわけで、今日の夏組は夕方まで完全な自由時間になったのだ。
 森の中の散策や、洋館のアンティーク品見学など、時間を過ごす手段はいくつかある。それぞれが何かしらの方法で夜までを過ごすだろう。
 天馬はと言えば、ここ最近開いていなかった台本に手を伸ばしていた。忘れていたわけではないけれど、覚えられない台本の存在は何となく遠ざけていた節もある。
 ただ、目を逸らし続けるわけにはいかないことも充分わかっている。それに、夏組が来たことで、もしかしたら多少は変化があるかもしれないという期待もあった。
 しかし、天馬の期待もむなしくやはり台本は頭に残らない。
 天馬の不調により撮影が一時中止している映画は、高校生が主人公の現代ファンタジー漫画が原作だ。天馬は主人公ではなく、主人公の親友を演じている。
 中盤までは良き理解者として、時に冗談を交えながら明るく主人公を支えるけれど、最後になって敵対勢力を率いていたことが判明する役どころだ。
 終盤ではこれまでの陽気な姿から一転して悪逆非道な顔を見せる。原作ファンからの期待も大きな役なので、天馬も相当気合いを入れて臨んでいたのだ。特に、この終盤のシーンは天馬の台詞が3分近く続くので、一番の見所だった。

「……『お前が来るのはわかっていた。少し話をしようじゃないか』」

 台本を手にした天馬は厳しさを感じさせる声で、冷淡に言い放つ。
 全てを知った主人公が、親友だったはずの存在と相対する場面だ。それまでの顔から一変した表情を見せなければいけない。だから陽気な顔ではなく、冷たい表情を浮かべてるべきだと判断した。

「……違うな」

 目の前の文字を読むことはできるので、台詞を口にすることは可能だ。声の調子も、以前よりは感情が乗るようにはなっている。ただ、何だかしっくり来なかった。

「『お前が来るのはわかっていた。少し話をしようじゃないか』」

 今度は明るい声で台詞を口にする。楽しくてたまらないといった様子で、愉悦に酔うような声。以前の親友の姿のような、だけれど決定的な違いを潜ませるような。そういう顔をしたかった。
 しかし、今の自分の演技は陽気な親友の延長線上にある気がした。似ているのに決定的に違っている。その差こそが、相対するものに畏怖を与えるはずだ。それをどうにか出せないか。

「『お前が来るのは――』」
「てんま、お芝居中~?」
「うわ!?」

 途中まで台詞を言ったところで、背後から突然声がした。思わず椅子から立ち上がった天馬は、声を上げながら振り返る。
 部屋の扉は閉まったままだし、そもそも聞こえてきた声は窓のほう――バルコニーからだった。

「三角か」

 バルコニーに出ると、三角が「お芝居の邪魔しちゃった?」と尋ねてくる。天馬は「いや」と首を振るものの、どうして三角がここにいるかがわからなくて難しい顔になってしまう。
 部屋の扉を開けずにバルコニーへ辿り着くことは不可能だ。まさか、屋根に登ってきたのだろうか。三角なら難なくできるだろうけれど。

「三角、お前どこから来たんだ?」
「この木登ってきたんだよ~」

 ニコニコと三角が示したのは、バルコニー近くに生えているクスノキだ。立派な枝が張り出して、バルコニー近くまで伸びているので確かにこの木を伝えばここに降り立つことはできそうだった。
 三角の運動神経なら、恐らく問題なく可能であることも天馬は理解している。

「――さすがは三角ってところだけどな。なんで木に登ってるんだ」
「かずに見せるサンカク探してたんだ~。昨日はお話できなかったから、今日はたくさんサンカク見つけなくちゃ」

 ふわふわとした表情で、三角は決意を固める。

 昨晩、天馬たちは一成と電話ができなかった。
 前々日の夜に、一成は申し訳なさそうな顔で「明日ちょっと予定入っちゃったんだ」と告げたのだ。一人じゃなくて夏組みんなと一緒だから安心してねん、とも続けた。
 何でも、9月の夏組みんなで夕食を食べに行くという話になったらしい。
 三角が前から気になっていた店があるけれど予約が必要で、たまたま空きが出たことをカントクが教えてくれた。それなら全員で行こう、ということになったのだという。
 夏組全員がそろっているのなら危険もないだろうし、断る理由もない。それに、9月の一成には彼の世界がある。10月の自分たちのもとに縛りつけることはできないと知っていたから、快く送り出すしかなかった。

 そういうわけで、昨日は一成との電話をしていない。毎日電話できるわけではないことはわかっていたけれど、何となく落胆した空気になってしまったのは仕方ないだろう。
 恐らくそれは、同時にもう一つの事実を思い知ったから、ということも大きい。
 三角が行きたいと言っていた店のことは、天馬をはじめとした夏組は全員知っている。
 サンカク屋根にサンカクのタイルが施されたレストランは、南仏の家庭料理を提供する店だ。
 値段自体はそこまで高額ではないものの、隠れ家的な雰囲気を売りにしているので、一日に訪れることができる客は限られている。
 三角は、サンカク的な意味で「あのお店に行きたいな~」とずっと言っていたので、全員店のことは知っていた。同時に、今日に至るまでその店を訪れる機会などなかったことも。
 10月の夏組には、その店で全員がそろって夕食を食べた記憶はない。結局予定が取れなかったので、誰一人訪れていないはずだ。それなのに、9月の一成と夏組はその店へ赴くという。
 9月の一成の過去が、自分たちの記憶と食い違っていく。その事実に、天馬や夏組はただ思い知るしかない。
 ずっと不安だった。それでもいいと思っている。だけれど、まざまざと突きつけられるとこたえるものがあった。
 こうして電話のつながっている過去の一成と、現在の自分たちはつながっていないのかもしれない。たとえそうだとしても、すべきことは何一つ変わらないとしても。

「見たことないサンカクがいっぱいあるから嬉しいんだ~。お皿とか時計とか、サンカクの飾りがついたものもいっぱいだし、窓にもサンカクがいっぱい! 外にも、サンカクの葉っぱとか石とか、たくさんあるんだよ。かずにたくさん教えてあげるんだ~」

 嬉しそうに三角は言って、一成としたい話をあれやこれやと並べている。それは、今この洋館で過ごした日々でもあるし、天馬たちがいない間のMANKAI寮での出来事でもあった。
 天馬が思った通り、カンパニーのメンバーは誰もが三角のことを気にして、力になろうとしてくれた。
 芝居はできないからエチュードには行っていないけれど、一緒に買い物に出かけてサンカクを探したり、三角のリクエストに答えたメニューが並んだり、サンカクを見つけては三角にプレゼントしてくれていた。

「みんなにもらったサンカク、オレの部屋にたくさんあるんだ~。だから、みんなに見てほしいんだ」

 三角のサンカク探しに積極的に参加してきたメンバーばかりではない。
 しかし、三角が一人きりになって以降は、誰もが例外なく三角に「このサンカクはどうだ?」とか「これやる」とか「たまたま見つけたから」なんて言って、サンカクを持ってきてくれたのだ。
 それが三角の心を少しでも守ってくれると信じて、きっと彼の力になるのだと信じて。
 その事実に、天馬は改めて監督やカンパニーメンバーへ感謝の念を抱いた。そうやって、三角のことを気にしてくれた。力になろうとしてくれた。三角の心を守っていてくれた。
 一人になった三角の――一人にしてしまった三角の心を。

「……三角」

 もらったサンカクについて語る三角の言葉を聞きながら、タイミングを見計らって天馬は声を掛けた。言わなければいけないことがあると知っていたから。
 三角は、「なあに?」と首をかしげて尋ねる。天馬は心からの気持ちを込めて口を開いた。重々しい声だった。

「お前を一人にして、悪かった。本当はオレも残るべきだった。三角にだけ背負わせたことを謝りたい」

 そう言って頭を下げた。夏組リーダーなんて言いながら、結局自分は逃げ出してしまったのだ。三角一人を寮に残して、そうしていなくなった。
 寮のメンバーは支えてくれたけれど、天馬が逃げた事実は変わらないから、謝りたかった。
 三角は天馬の言葉に、ぱちりと目をまたたかせた。びっくりしたような表情を浮かべると、まじまじ天馬を見つめてから言った。

「いいよ~」

 ふわふわとした、やさしい声。思わず天馬が顔を上げると、目を細めた三角と視線が重なる。三角は声と同じくらいやさしいまなざしを浮かべて続けた。

「てんまが謝ることなんか、一つもないよ。それに、てんまが無理するほうが、ずっと嫌だよ。そうじゃなくてよかった」

 それが、どれほど心からの言葉であるのか、天馬は理解している。
 本当はずっとわかっていた。三角は天馬のことを恨んでなんかいない。天馬が逃げ出したなんて微塵も思っていないのだ。
 それどころか、無理をしてまで寮に残らなくて良かったと言うのだ。天馬の心が守られたならそれでいいと。
 だから謝る必要なんか一つもないと本心から言ってくれる。慰めでも何でもなく、心から言ってくれる。
 許せないのは、天馬自身なのだ。謝りたいと、申し訳ないと思っているのは他でもなく天馬が自分を許せないからだ。天馬は自分の拳をぎゅっと握りしめた。

「だけど、三角。お前を一人にしたことは変わらない。オレはリーダーとして残るべきだった」

 きっぱりと告げると、三角は困ったような表情を浮かべて、どこか悲しそうに言う。

「でも、リーダーだからっててんまが悲しい気持ちになったら、オレも悲しい」

 しょんぼりとした調子の三角の言葉に、天馬は何も言えなくなる。
 リーダーとして寮に残るべきだと思った。それは今も変わらないけれど、同時に理解もしていた。
 リーダーだからと言って天馬が無理をして、苦しい思いをすることを、夏組は望むだろうか。彼らがリーダーに望むのはそんなことだろうか。考えるまでもなく違うと答えられる。
 夏組が天馬に望むものはきっと、もっと別の形をしている。

「てんまが苦しくないなら、オレたちそれが一番嬉しいよ」

 天馬の沈黙に、三角は自分の言葉が伝わったことを察したのだろう。ほんのり笑みを浮かべるとそんなことを言う。それから、さらにやわらかなまなざしを浮かべると、ゆっくり告げた。

「それに、てんまがここに来てくれなかったら、またかずに会えなかった」

 厳かさえ感じる声で、三角が言った。天馬は三角を一人にしてしまったことを悔いている。そんな自分を許せないと思っている。
 だけれど、三角は天馬の行動に別の意味を与える。逃げ出した。三角を一人にしてしまった。だけれど、その選択が導いたのは一成との再会だった。

「だから、いいんだよ、てんま」

 やわらかな笑顔で、三角は告げる。天馬の行動。許せないと思う必要なんか、一つもない。どんな理由だったとしても、大事なことはたった一つ。また一成と再会できたことなのだ。
 天馬はどんな答えを返せばいいかわからない。
 三角の言葉は事実その通りだし、天馬が寮を出るという選択をしなければ、あの時計に巡り会わなかった。
 だから天馬の行動が一成との再会を導いたことは、純粋な事実だ。だけれど、簡単にうなずいていいのか、天馬にはわからない。

「かずに会えたよ。オレたち、また6人で夏組になれたよ。だから、てんま、謝らないでいいんだよ」

 どこまでもやさしくて、やわらかな声は、同時に祈りの形をしている。謝らないでいい。だって、一成にまた会えたのだ。もう二度と出会えないはずの人と、言葉を交わして顔を見て、再び笑いあえた。

「かずに会えたなら、それで全部いいんだよ」

 真っ直ぐと天馬を見つめて、三角が言う。きっと奇跡と呼ばれる再会を指して、一成とまた会えた、その事実以上に大切なことなんかないのだと、言葉ではなく告げている。
 わかっていた。それを痛いほどに思い知っているのは、他でもない天馬だ。
 何かを言わなくては、と天馬は思った。三角はそう言ってくれるけれど、それでもうなずいてはいけないと思った。
 だけれど、浮かぶものがどんな形をしているのか、言葉よりも先に思い知る。天馬の脳裏によぎるものが、ここで起きた出来事の全てが、思い浮かんで声になる。
 一成と会えた。再び言葉を交わして、一緒に笑いあえた。それら全ての途方もない喜びが声になる。

「――そうだな、そうだ」

 呆然としたような調子で、天馬の唇から声がこぼれる。後悔も罪悪感もなくなったわけではない。三角への申し訳なさやリーダーとしての不甲斐なさは、これからも抱え続けるだろう。
 だけれど、この選択が導いたものが一成との再会であるならば、決してそれを卑下したくなかった。
 後悔や罪悪感で全てを塗りつぶしてしまうには、あまりにもこの再会は喜びに満ちている。一成がいてくれることを、苦しみや負い目で覆ってしまいたくはなかった。
 こぼれ出た言葉に引きずられるように、天馬はそっと決意する。たとえ強がりだとしても、いつかまた怯んでしまうとしても、三角の言葉にうなずくのだ。
 三角は天馬の言葉に、にっこりと笑った。嬉しそうに、楽しそうに。それから、気を取り直したように口を開く。

「それじゃ、てんまもサンカク探しする~?」

 言いながら、三角は室内へと踏み出した。「てんまのへやにはサンカクあるかな?」と言って辺りを見渡すけれど、三角が使っている客室とそう変わりはしないはずだ。
 天馬がそれを告げようとしたところで、三角が「あ」と声を発した。何かサンカクでもあっただろうか、と思えば机の上に放置された台本に目を止めたらしい。

「そうだ、てんま、お芝居中だったんだ~」

 ぽつりとこぼす三角の顔は寂し気だった。三角は今芝居を休んでいる最中だからということは察しがついた。
 ただ、三角が役から戻ってこない事実を知っている天馬はどうしてやればいいかわからない。三角と芝居をしたいと思うけれど、そのまま三角がいなくなってしまったらという恐怖は未だ拭えないのだ。
 だから、三角がその場で立ち尽くしていたかと思うと、数秒目を閉じたあと声を発した瞬間。天馬は心底ぎょっとした。

「『さて、きみは一体どういった経緯でこの本を手に入れたんだい?』」

 片頬で笑った三角は、机の上の台本を手に取ってそう言葉を放つ。丁寧な物言いだけれど、どこかに狡猾さを潜ませるような声。台本を持つ手つきは恭しく、高価なものを扱う所作だ。
 止めなければ、やめさせなければ。思うけれど、目の前で始まったエチュードに、天馬の心はひどくかき乱される。
 焦燥ではなかった。演じることへの恐れでも不安でもない。奥深く眠るそれは、衝動と呼ばれる類のものだと知っている。
 三角は、丁寧でありながら高慢さを潜ませた声と所作で、言葉を吐き出す。

「『きみのような一般人が手に入れられるような代物ではないはずだが。さては、きみの父君が火事場泥棒でも働いたといったところか』」
「『何の根拠があってそんなことを。私だけではなく、父の名誉を傷つけるのならば黙っているわけにはいきません』」

 挑発するような口調に、天馬は反射的に応えた。
 三角演じる相手との身分差。父親の行い。火事場泥棒。恐らく彼の元で働くような立場にあっただろう父親が疑われている。
 この場では、反発を期待されているはずだと考えて、とっさに口から言葉が出たのだ。演技というには拙い。だけれど確かに、それは台詞に違いない。かちり、と。天馬のどこかで歯車が動いた気がした。

「『はは、一体きみになにができるんだい。一日の食事にも事欠くありさまじゃないか』」

 嘲りの笑みを浮かべる様子は、普段とはまるで違っていていつも感心するけれど、今だけはそれが怖くてたまらない。
 天馬は、つい応じてしまったもののすぐに芝居を止めた。三角が戻ってこないことを危惧したのだ。案の定、三角に声を掛けても、三角ではない誰かとしての反応が返ってくるだけだ。
 一体どうしたらいいのかわからず、天馬は困惑する。
 しばらくの間、別人然としている三角と相対していたけれど、このままにしておくわけにはいかない。誰かを呼ぶべきだろうとスマートフォンに手を伸ばした時だ。
 不意に三角が「てんま」とつぶやいた。それは、天馬が聞き慣れた三角の声に違いなかった。

「三角か?」
「てんま~、ごめん……」

 三角は、自分が役から抜けられなくなっていた自覚はある。だから、その状態に陥ったことを謝っているのだ。天馬は「いや」と首を振る。

「大丈夫だ。驚いたけど――その、結構早く戻ってきたからな」

 以前は半日、次の日には一日役が抜けなかったのだ。それに比べれば、数分間だけというのは短い時間だと言える。三角はこくりとうなずいた。

「かずがいなくなって少しずつみんながおかしくなって、オレも出口が見えなくなっちゃたんだ」

 しょんぼりと、視線を落として三角は言う。
 今まではどんなに役に入り込んでも、斑鳩三角を見失うことはなかった。だけれど、一成がいなくなって以降、三角は現実から遠い場所を見つめることが多くなった。
 そしていつしか、三角は気づく。
 お芝居を始める。自分以外の誰かになる。戻る先は知っていた。帰る場所ならわかっていた。そのはずなのに出口が見つからなくて、三角は「斑鳩三角」への戻り方がわからなくなっていた。

「だけど今なら、ちゃんとわかるから平気だよ」

 視線を上げた三角は、天馬に向かって告げた。
 どうしてなのか、答えはわかっている。だってまた一成と出会えたのだ。たとえどんなに荒唐無稽な話だって、確かにその声を聞いて顔を見て、また一緒に笑いあえた。
 その事実は、夏組に対しての確かな光だったし、三角にとっても同様だ。
 わからなかった出口を、戻る先を、再び明かりを掲げて教えてくれた。まだ時々見失ってしまうけれど、それでもきちんと帰る場所は見つけられる。

「オレ、またお芝居したい」

 三角はそう言って、自分が持っていた台本をやさしく撫でた。そのまま、やわらかなまなざしを浮かべると天馬に告げる。

「てんまとも、ゆきとも、むくとも、くもんとも――かずとも、またお芝居したいなぁ」

 心からこぼれた言葉には、紛れもなく芝居への情熱が宿っていた。焦がれるような衝動が三角の唇からこぼれでて、天馬はぐっと拳を握った。
 芝居がしたい。それは天馬にとって、幼い頃から抱き続けた紛れもない衝動で強い意志だ。馴染み深いその感覚が、じわりとにじみ出すような気がした。三角の声に引っぱられるみたいに。

「……できるだろ」

 ぽつりと天馬は答える。役から戻るのに時間がかかるとは言え、戻って来られると三角が言う。それなら、再び芝居を始めることだってできるはずだ。

「オレとも、夏組全員とも、一成とだって芝居はできるだろ」

 荒唐無稽な叶えられるはずのない話を口にしている。だけれど自分たちは、それが現実なのだと知っている。
 世界のどこからもいなくなってしまったはずの人と、顔を合わせて声を聞けるなら、芝居だってできるはずだ。三角は天馬の言葉に、嬉しそうに「うん!」とうなずいて続ける。

「オレ、かずとお芝居するの大好きなんだ~。やさしくって、きらきらしてて、楽しい~!」

 目を輝かせた三角が思い出すのは、一成とともに演じたたくさんの役だ。同じ舞台に立って、全然違う自分になって、一成と一緒に新しい世界を作った。
 それがどれだけ楽しくて、わくわくして、光り輝く時間だったかを三角は知っている。
 一成はどんな時も、三角の心をやわらかく受け取ってくれる。最初に出会った時からそうだった。 
 奇異な目を向けられることの多い三角の言動を、当たり前みたいに受け入れた。「すみー」と呼んで、友達だと言って、きらきらした思い出を一緒にたくさん作ってきた。
 大切なお芝居を、大切な友達と演じられることが嬉しかった。宝物ばかり集めたみたいな舞台は、一等輝いて三角の胸に残り続ける。大事なものをたくさんくれて、分かち合ってくれた人だ。

「オレ、かずのこと大好き。かずとお芝居すると、すごく嬉しくて、きらきらした気持ちになるんだ~! かずも、かずのお芝居も、みんな大好き!」

 大切なものをみんな集めてぎゅっと抱えていたくなる。それが夏組の舞台で、一成とともに立っていた場所だ。
 これから先もずっとずっと大切な、三角の宝物だ。それは絶対に間違いないのだと、三角は知っている。
 
 目を輝かせた三角の言葉に、天馬も一成の芝居を思い出す。
 最初はへらへら笑っているだけの人間だと思っていた。だけれど、人に合わせる器用さと柔軟性を持っている。根が真面目だからちゃんと取り組むし、空気を作ることにも長けていた。
 周囲をよく見ていて頭も回るので、必要な場面で的確なアシストを出せる。明るい気質を遺憾なく発揮する一方で、普段とはまるで違う役柄も演じるだけの力量もある。
 芝居の世界で生き生きと躍動していた一成と共に、天馬はいくつもの舞台に立ってきた。

「――そうだな。オレも好きだ」

 天馬の唇から、言葉がこぼれる。三角に引っぱられるようにして、心の内があふれでる。
 芝居をすること。演じること。自分ではない誰かの人生を生きて新しい世界を作り出すこと。舞台の上で同じ時間を分かち合うこと。
 言葉よりも確かに心を分け与えるみたいに、共に舞台に立つこと。そういう全てが、天馬は好きだった。

「一成と舞台に立つのが好きだ」

 思い出すのは、一成と共に作り上げてきたたくさんの舞台だ。
 一成は意外と論理的で、役の解釈を聞くと理路整然と説明してくれる。
 それでいて、インスピレーションに従うこともあるので、思いがけない観点から解釈を導き出してくることもあって、天馬は意外とそれを楽しみにしていた。
 悩んでいることを中々言わないけれど、上手く聞き出してやると見違えるほど芝居がよくなってそれが嬉しかった。

「あいつの芝居が好きだ」

 一成の芝居は、実は結構繊細だ。細やかな気配りの上で、求めるものを的確に返してくれる。それが天馬には心地よかったし、瞳がきらきらと輝いて、頬が紅潮して、体中の全てで役を生きる一成の全力を受け取れることが嬉しかった。あの瞬間が、あの時間が、この上もなく大切だった。
 心の全てを預け合うみたいなあの瞬間は、きっと世界で一番贅沢で、幸福に満ちた時間だった。他でもない一成と、全てを分かち合えることが、どうしようもなく嬉しかった。

「好きなんだ」

 告げる声は、焦がれるような響きを宿している。他の誰でもなく、たった一人に向かう心があふれていく。
 特別な人。天馬にとってのたった一人。一成へ向ける慕わしさが、どうしようもなく惹かれる心が声になってこぼれおちる。ついぞ伝えることのできなかった言葉が、形になったようなそういう響きだ。
 これから先、何度だって共に舞台に立つのだと思っていた。互いの呼吸を読み合って最高の舞台を作り上げていくのだと、そういう未来が待っているのだと疑いなく信じていた。
 それは奪われて、だけれど奇跡のように守るための機会が与えられた。

「また、一成と芝居をしよう」

 三角に告げる言葉でありながら、何かに誓う素振りで天馬は言う。また同じ舞台には立てなくても、エチュードだって何だっていい。一成の未来が、今の自分たちのところへ向かわないとしても構わない。
 芝居をするのだ。今ここにいる夏組と、電話の向こうの一成で。
 そうすればきっと、たとえ一成の未来に自分たちがいなくても同じ世界を生きられる。わずかでもいい。芝居をして同じ世界を作り上げる瞬間があれば、何度だって夏組は6人でつながるのだ。
 三角は天馬の言葉に、大きく一つまばたきをする。それから、ふわふわとしたやわらかい笑みで、それでいて力強い言葉で答えた。

「うん! かずとお芝居しよう~!」