一億光年の恋 16話




 傾き始めた太陽の光が、窓から差し込んでいる。喉の渇きを覚えた天馬は、人気のない廊下を通り階下へ赴く。
 すると、階段の踊り場でノートを手にした幸に出くわした。階段の手すりに施された装飾を観察していたらしい。
 その手にはペンが握られていて、天馬は思わず視線を向けてしまった。太一から聞いていたこと、それから実際の話として。幸は針やハサミはおろか、ペンを握ることもためらっていたはずだ。

「――これくらいなら平気だから」

 天馬の視線の意味を理解した幸は、ツンとした調子で答えた。いつも通りのような物言いは、恐らく天馬の不安を和らげるためだろう。無理をしているのではないかと視線が如実に語っていたから。

「こんなにデザインの参考になりそうなものがあるのに、何もできないなんて嫌だし。ペンくらいはさすがに握れる」

 そう言って、幸はペンを動かした。ノートにはすらすらと何かの線が描かれているようだ。向かい合った天馬にその中身は見えないけれど、ペン先はよどみなく動いている。
 ペンくらいは握れる、という言葉から察するにハサミなどはまだだめなのかもしれない。それでも、少なくともペンは握れるようになったというなら、少しずつ幸は前へ進んでいる。
 幸だけではない。
 九門は、演劇ではなくアニメなら戦うシーンが見られるようになったと言っていた。椋は扉の全てがだめなわけではなく、車のドアなら開けられる。三角は、時間はかかっても演技から戻ってこられるようになった。
 誰もが少しずつ、自分を取り戻して前へ進み始めているのに。天馬は自分だけが何も変わっていない現実を思い知らされる。
 台本も頭に残らない。自分の演技を取り戻せていない。まるで自分一人だけが取り残されているようだった。
 思わず難しい顔をしそうになって、天馬は大きく息を吐き出す。幸に気を遣わせることはさせたくなかった。
 幸はといえばしばらくペンを動かしていたけれど、ふと手を止めると、しみじみとした調子で口を開いた。

「ほんとに、ここは色んなものがあるよね。アンティーク品って言っても、意外と和風小物とかもあって面白かった。お茶の道具っていうの? そういうのも結構手が込んでるし、あえて洋装に落とし込むのもいいかも」

 どうやら幸は今日、洋館のあちこちの部屋を巡ってアンティーク品を観察していたらしい。
 年代物の品々から、奇抜な意匠のものなどがそろっているので、デザインに貪欲な幸にとってはいい刺激になったのだろう。

「いいデザインも浮かびそうだし、こういう日があってもいいかも。ポンコツは今日、何してたわけ」

 いつもの調子で幸は尋ねる。天馬の不調は夏組全員知っているけれど、あえてそこに触れることをしないのは幸のやさしさだろう。天馬もいつも通りに返した。

「別に大したことはしてない。台本の確認と――あとは、寮に電話したくらいだ」

 監督も心配しているだろうということで、夏組がそろって以降天馬は時々寮に電話を掛けて近況報告をしている。監督は心から喜んでくれるし、近くにいれば他の団員が出て会話を交わすこともある。
 ささやかな、何でもない話をするばかりだったけれど、それすらもカンパニーのメンバーは嬉しそうにしてくれていた。
 もっとも、天馬が寮に電話を掛けている理由はそれだけではない。幸も知っていることなので、監督や寮の様子を一通り聞いてから、「それで」と言葉を重ねる。

「千景から何か情報聞けたわけ」

 天馬は主に、千景から通り魔事件についての情報収集をしている。
 どういうツテを持っているのか、千景はあらゆる情報に精通しているので、警察関係者でなければ知りえない話も入手している可能性が高いと思ったからだ。
 目的はただ一つで、一成の安全を確保するためだ。
 一成がどう行動すれば危険な目に遭わなくて済むか。それを知るためには、詳細な情報がほしかった。
 犯人が近づきそうな場所を避けて、安全な場所に導きたい。ここにいれば安全だと言える場所をできる限り増やしたかった。

「あんまり詳しくは教えてくれないんだよな。一応、一成が目撃した事件の詳細は具体的に色々聞けたけど、それ以外ははぐらかされる」

 電話口の千景は、恐らくいつものひょうひょうとした笑みを浮かべて「天馬が知らなくてもいい話だよ」と答えるのだ。
 恐らく千景は、天馬に血生臭い話をしたくないのだろう。そんな物騒な話より護身術のほうが建設的じゃないかな?なんて言って、すぐに話を逸らしてしまうのだ。
 千景は、夏組の大切な一人がいなくなってしまった事件の詳細を天馬の耳に入れることをためらっている。

 あの夜もそうだったと、天馬は思う。
 一成が帰らないと聞かされた日。三角とともに夜の公園へ辿り着いて、密と千景に止められた。あれは、天馬と三角に変わり果てた一成の姿を見せまいとしての行動だ。
 千景や密はあまり己の感情を表に出さない。それでも、奥底に深い愛情を持つ人たちだと知っている。
 それがMANKAIカンパニーのメンバーに向けられていることも、その中には当然自分たちも入っていることも、天馬は知っている。
 だからきっと、千景は自分や夏組を守ろうとして口を閉ざしているのだ、ということは理解していた。ただ、そのまま引き下がれるかと言えば否と答えるしかない。

「犯人についても色々聞いてるんだけどな」

 天馬が千景から得られる情報は、すでに起きた事件についてのあれこれだ。ただ、天馬や夏組の一番の願いは犯人が捕まることだ。
 裁きを望むという気持ちと、もう一つ。犯人がわかれば、過去の一成にはその人物に近づくなと伝えることができる。警戒すべき対象を明らかにできれば、一成が殺される確率は格段に下がるはずだった。
 しかし、一成のことは夏組だけの秘密だ。
 千景のことだから、頭ごなしに否定することはしないだろうけれど、心を壊したのではないかと思われる可能性のほうが高いように思えた。わかりにくいけれど確かな愛情を持っている人だからこそ。
 そういうわけで、千景に具体的な理由を伝えることもできないまま事件について尋ねても、あいまいな答えが返ってくるだけだった。

「ただ、オレたちよりは情報を持ってるのは確かだ。たぶん、オレたちの知らないことも色々把握してると思う」

 事件についての詳細以外を口にしない千景に、天馬は切り口を変えて尋ねてみたことがある。

 9月19日の夜、どうして自分たちを先回りして公園にやってきたのか。まるで一成があそこにいることを知っていたみたいに。
 あの時は、そこまで気が回る余裕もなかったので不思議には思っていなかった。だけれど、あとから考えてみると密と千景が先に辿り着いていたというのは、どうにもおかしな話だと思ったのだ。
 移動手段という意味なら、車を使えるので不思議ではない。三角と天馬の行き先を聞いてから向かっても先回りすることはできるだろう。
 ただ、あの時点では公園の話など一切出ていなかった。一成がいる可能性は限りなく低いと考えるのが普通だ。それなのに、迷うことなく車を走らせた。
 一体どうしてなのか、と尋ねると、千景は少しだけ考えてから、ぽつりと言ったのだ。

(防犯カメラの映像をいくら確認しても、一成の姿が見つからなかったんだ)

 一成は大学から帰宅する途中で行方がわからなくなったと思われている。
 だから、千景は帰り道にある防犯カメラの映像を辿って(どうしてそんなことができるのか、天馬には皆目見当がつかない)、一成の行方を探そうとした。
 しかし、どこにも一成の姿が見つけられなかった。電車に乗った形跡もなかったのだ。

(恐らく一成は、車か何かで移動したんだろうと予想できた。だから、車に焦点をしぼって調べていたところだったんだ)

 複数台、不審な車は発見した。ただ、決定打が見つからない。1台ずつ当たるべきか、と考えていたところに飛び込んだのが天馬と三角からの連絡だった。
 行き先の公園。不審な車の内、そちらに向かった車が1台あった。今この状況でその符号には意味があるように思えて、千景も公園へ向かうことにしたという。

 その言葉に嘘はないだろうと天馬は思った。ただ、いくつか疑問もあったのだ。
 車での移動。一成はそんなに簡単に車に乗るだろうか。元々注意深い人間だし、状況が状況だ。無理矢理乗せられたのか。そうなれば騒ぎになってもおかしくはないのに。
 天馬が思い浮かべた疑問くらい、千景だって抱いているはずだ。しかし、何らかの答えを口にしない時点で、恐らく千景はまだ何かを隠しているのだと天馬は思った。
 嘘は吐いていなくても、言っていないことならいくらでもある、そんな雰囲気だった。
 千景は一体何を隠しているのか、と考え込みかけていると不意に声が飛び込んで来た。幸だった。

「ま、充電と取り扱いにだけは気をつけてよね。どういうわけか、ポンコツのスマートフォンからしかつながらないんだから」

 千景からの情報収集もいいけれど、という意味が含まれていることはすぐにわかる。
 ポケットにいつも入れているスマートフォン。過去の一成と唯一つながることができるアイテムなのだ。扱いは慎重になるし、常に充電状態は気にしていた。

「わかってる。お前こそ、無理はするなよ」

 気をつけて、という言葉に反射的にそう言った。
 少しずつ前へ進んでいこうとしていることは知っている。だからこそ、無理をしてしまうのではないかと危惧していたのだ。
 ただ、天馬は上手に気を回して声をかけてやることがあまり得意ではない。一成だったらきっと、幸の負担にならない言葉を選んで、息抜きだと気づかれないくらい自然に立ち回ることができるのだろうけれど。

「はあ? ポンコツ役者が人を気遣うとか、気持ち悪い」

 案の定、ストレートな天馬の言葉を受け取った幸が顔をしかめて答える。ただ、すぐに雰囲気をやわらかくすると、唇に小さな笑みを浮かべて続けた。

「――って普段のオレなら言うところだけど。アンタの心配もわかってる。まだ本調子じゃないし、ここのアンティークはいい刺激にはなったけど上手くデザインには消化しきれてないし」

 言いながら手元のノートに視線を向けた。さらさらとよどみなく記されているように思えたけれど、どうやら幸にとっては満足の行く出来ではないらしい。

「ハサミも針も、今はまだちゃんと扱えてない。全然元通りにはなってないってオレもわかってる。だからアンタが心配するのもわかってる」

 だけど、と幸は言った。ノートに落とされていた視線がすっと上がり、真っ直ぐ天馬を見つめた。しんとした静けさと、奥底にほとばしる熱を抱えたまなざしで、それを形にしたような声で告げる。

「こんなことで負けてらんないでしょ」

 無理をするなと天馬は言う。その意味を幸はきちんと理解している。
 無茶なことをして折れてしまうな。心に負担をかけて壊れてしまうようなことだけはするな。天馬の気遣いややさしさを幸は受け取っているけれど、それでも言うのだ。

「一成だって、オレが衣装を作れなくなったままなんて望まない」

 幸は一成が自分の作った衣装を見て、どんな風に笑ってくれるかをよく覚えている。
 デザインを見せた時の、ぱっと全てが華やぐような笑みも、いざ衣装が出来上がってテンション高くはしゃぎまわる姿も、「やっぱり、ゆっきーのデザインやばたん!」と目を輝かせた表情も全部覚えている。

「オレは自分が納得できる衣装をまた作れるようになる」

 一成はきっと、幸が衣装を作れなくなったと知ったら悲しい顔をしてしまう。一つだって一成のせいではないのに、まるで自分がひどい罪を犯したみたいに傷ついてしまう。そういう人間だと知っている。
 だから幸は改めて決意をしたのだ。
 最高の衣装を作る。それは幸にとってのプライドであり、一成にとっての幸せでもあるのだと言い切る。
 まるで自分のことみたいに嬉しそうに笑ってくれるのだ。幸が幸の思う最高の衣装を作り上げれば、一成はきっと心底幸せそうに「最高すぎ!」と言うのだ。幸はそう信じる。

「オレはオレの最高の衣装を何度だって作ってみせる」

 天馬を真っ直ぐ見つめた幸は、きっぱりと告げる。それは宣誓であり、戦うものの決意だった。
 間違いようもなく瞳に宿る炎を天馬は知っている。幸はいつだって、己の意志を力にして進んできた。悩みも苦しみも抱えながら、己の答えを胸にして戦ってきた。
 幸はもう決めたのだ。無茶だろうと構わない。少しくらいの傷がなんだ。痛くても辛くても、それでも立ち止まらない。進むべき道は、やるべきことは一つだけだと知っている。

「今度こそ、一成を助ける」

 宿る炎が形になったような幸の声。呼応するように、内に眠る意志や決意がいっそうあざやかに燃え上がったのを天馬は感じ取る。
 生意気で口も悪くて、すぐに言い負かされる相手だけれど。戦う意志を誰より強く掲げる幸だからこそ、周囲に熱を広げるのだ。
 一成を助ける。そのために戦う覚悟がいっそう大きくあざやかに焼きつくのを天馬は感じる。体中に炎が走り、何もかもが燃え上がっていく。あざやかに苛烈な意志が天馬の胸で揺れている。

「――だから、呼んでくれてありがと」

 わずかに声をやわらげた幸が、天馬に向かってそう告げる。天馬が思わず目をまたたかせたのは、どうしてそんなことを言われるかわらなかったからだ。
 幸はそんな天馬の戸惑いを知ってか知らずか、淡々と言葉の続きを口にした。

「ポンコツが呼んでくれなきゃ、オレたち一成のこと助けられないし。もしもポンコツが一成のことを独り占めしてたら無理だったでしょ」

 落ち着いた口調で放たれた言葉に、天馬は思わず幸を見た。一成を独り占めするという発想がどこから来たのか、と思ったからだ。幸は天馬の反応を気にすることもなく、先を続ける。

「ポンコツ、一成のこと好きでしょ。特にここに来てから大事だって隠さなくなったし、一成のこと特別に思ってるのはわかってるんだから」

 そう言う幸は、九門や椋、三角に聞いたらしい話を口にした。
 一成が大事だ。ずっと笑っていてほしい。一成と舞台に立つのが好きだ。それらの根底にあるものを、夏組の彼らは正しく受け取っていた。
 天馬は夏組を心から大事にしてくれている。しかし、一成に向ける声や言葉は、恐らく他の誰とも違っている。夏組の一人ではなく、たった一人の特別に向けられたものだ。
 直接言葉にはならなくても、こぼれだすように伝わるのは、たった一人に対する真っ直ぐな心だった。
 天馬は数秒黙った。うろたえたのも事実だし、「何言ってるんだ」と誤魔化そうと思わなかったと言えば嘘になる。
 だけれど、天馬はそれを選ばない。唇からこぼれたのは、「ああ」という短い肯定だった。
 普段の天馬なら、きっと素直にうなずかなかった。だけれど、一成を失った天馬は、もう否定したくなかったのだ。
 一成が好きだと、特別だったのだと、思い知ったあの夜から。天馬はもう、一成への気持ちを何一つなかったことにしたくなかったのだ。幸は満足そうに笑った。

「でしょ。だから、ポンコツだけで一成を独り占めしたいって思ってもおかしくない。そもそも、ポンコツのスマートフォンからしかつながらないし、優位に立てる条件は持ってる」

 一成と電話がつながるための場所や条件、アイテムは全て天馬由来のものだ。確かに、天馬がどれか一つにでも拒否を示せば、他の夏組は一成と電話をすることなど不可能になってしまう。

「独り占めしようと思えばいくらだってできた。だけど、ポンコツはどうしてそうしなかったわけ」

 尋ねるような口調ではあったけれど、本気で疑問に思っているわけではないことは天馬にも見て取れた。天馬がそうすることがないと分かり切ったような、意地悪な質問を投げているだけだと理解したような顔をしていたから。
 それでも聞いたのは、確かめたかったのかもしれない、と天馬は思った。天馬ならばそんなことはしないのだと、はっきり言葉にしてほしいと思っているのかもしれない。それなら。

「当たり前だろ、オレたちは6人で夏組なんだから」

 はっきりと答えた。紛れもなく天馬自身の言葉で、幸に向かって告げる。
 独り占めしたいと思う気持ちはきっとゼロではない。だけれど、今この限りにおいては一度だってそんなことを思いはしなかった。一成に会わせてやりたい。夏組に対して思う気持ちは、ただそれだけだった。

「一成がそんなこと望むわけがないし、オレはただお前らと一成がもう一度顔を合わせて、笑っててほしかった」

 一成を自分のものだけにするなんて、きっと一成は望まない。何よりも、天馬の胸に芽生えたのはたった一つの望みだった。
 一ヶ月前までは当たり前だった。6人がそろって、くだらない話で笑いあう光景を、もう一度全員に与えてやりたかった。
 何のためらいもなく放たれた言葉に、幸が笑みを浮かべた。楽しそうな、心からの喜びを形にしたような笑みだった。

「さすがは夏組リーダーって感じ」

 茶化すような空気で、だけれどどこまでも真っ直ぐとした言葉に、天馬はどう反応すればいいかわからない。
 夏組リーダー。その肩書は天馬にとっての誇りでもあったし、恥じない自分でいようと思ってきた。だけれど、今の己の姿は果たしてリーダーに相応しいのだろうか。
 何一つ自信を持って言えないのに、幸は言うのだ。
 当然みたいな顔をして、ずっと前から知っていた言葉を口にするような素振りで。だからこそ、天馬はつい言葉をこぼす。

「――情けないだろ。別に今の状況だってオレの力じゃないし、オレは何もできなかった。夏組のリーダーなんて言いながら、頼りにもならないし、逃げ出したんだ」

 夏組リーダーとしての矜持は、天馬にとっての宝物でもあったし間違いのない力だった。だけれど、今の自分は結局のところ、逃げ出してここに辿り着いただけだ。
 その結果もたらされた一成との再会を、心から嬉しいと思う。罪悪感で塗りつぶしたくはないから、謝ることは止めると決めた。
 だけれど、リーダーとしての不甲斐なさは未だに残り続けている。
 実際、何の力にも立てなかったのだ。胸を張ってリーダーを名乗っていいとは思えなかった。すると、幸は思い切り顔をしかめて言った。

「はあ? 何言ってんの? アンタがポンコツで意地っ張りで、情けなくて別に強くもないポンコツだなんてこと、オレたちよくわかってるんだけど」

 今さら何を言うのか、と呆れるような口調で言った幸は続ける。
 子どもっぽいし好き嫌いは多いし、強がるわりに寂しがり屋だし、ビビリで意地っ張りだし全然素直じゃないし、と悪口めいた言葉をよどみなく並べると、きっぱり言った。

「ポンコツ役者がそういう人間だってこと、オレたちみんな知ってる。別に強くいてくれなんて望んでないし、頼りにしたいからリーダーにしてるわけじゃない」

 きっぱりと放たれた言葉に、天馬は幸を見返す。それなら、夏組の彼らがリーダーに――天馬に望むものは何なのか。
 不思議そうな顔をしていることに、幸は気づいているのだろう。呆れたように息を吐き出して、出来の悪い生徒を諭すように言葉を乗せる。

「いつだって、どんな時も、オレたちを――他の5人を抱えていようとする。それがオレたちの夏組リーダーでしょ」

 頼りにならなくても、逃げ出したって別にいい。大事なのは恐らく一つだけだと、幸は――天馬以外の夏組は知っている。

 いつだって、天馬は自分以外の5人のことを考える。
 何もできないかもしれないし、力になれないかもしれない。逃げ出してしまうこともあるかもしれない。
 だけれど、そのどの瞬間も天馬の中には5人の居場所がある。いつだって、天馬は5人の存在を己の内側に置いていてくれる。
 そうやって、6人でいようとしてくれることが、何よりも強い夏組の象徴だ。

「独り占めなんて考えもしないで全員呼んじゃうところとか、ホント夏組リーダーって感じ」

 からかうような口調で幸が言う。
 特別な人を独り占めにするなんて発想も持たず、夏組は6人なのだと全員を呼ぶ。
 何のためらいもない決断は、天馬が他の5人をずっと抱えていようとしてくれているからだ。そうやって行動できる天馬が、夏組のリーダーに相応しくないはずがないのだ。

「だから、夏組リーダーって言ったらポンコツしかいないでしょ」

 天馬は幸の言葉に黙り込む。
 自分にリーダーの資格があるのかどうかわからなかった。一成の電話にも出てやれなかった。一成を助けてやれなかった。壊れていく夏組を守れなかった。
 少しずつおかしくなっていく椋を、幸を、九門を、三角を、助けてやれなかった。
 挙句の果てに、寮から逃げ出すことしかできなかった。そんな自分がリーダーを名乗っていいわけがないと思っていたのに、幸は言うのだ。
 天馬は夏組のリーダーだと。頼りにならなくても、逃げ出しても、力になれなくても。いつだって他の5人のことを考えて、6人でいようとする意志を持つ。それこそが夏組リーダーたるゆえんだと。
 強く告げられた言葉は、真っ直ぐと天馬に届く。胸に落ちてじわじわと広がって、天馬は、ああ、そうか、と思った。夏組が天馬に望むもの。それはきっと、こんな形をしている。

「ま、オレが復帰後最初に作った服は、天馬に着させてあげる」

 肩をすくめた幸は、やれやれといった様子で言うけれど、唇には確かな笑みが浮かんでいるし、天馬とて理解している。
 この言葉は幸の限りない賛辞だ。夏組のリーダーとしての天馬に向ける、心からのエールだ。
 それを受け取った天馬は思う。頼りにならなくても、力になれなくても、逃げ出しても。それでもずっと、他の5人のことを考えていた。
 天馬の内側にはずっと5人がいてくれて、いつだって6人で在ろうとしてきた。それだけは確かならそれでいいと、他でもない夏組が言う。
 九門は夏組全員の願いを握り締める。椋は天馬の決意を受け取ってくれた。三角は全員で芝居をしたいと言った。幸は6人で在ろうとすることこそが必要だと告げた。
 誰もが望んだのは、夏組が天馬に望んだのは、6人で夏組だという強い意志だ。だからきっと、それなら、と思った。
 強がりだろうか。すがっているだけだろうか。だけれど他でもない夏組が、それがいいと言うのなら。それこそが必要なのだと言うのなら。オレは、夏組リーダーでいていい。あいつらのリーダーでいていい。
 また揺らいでしまうこともあるかもしれない。だけれど、少なくとも今この瞬間だけは自然とそう思えた。だから。

「――ありがとな」
「別に」

 ツンと澄ました幸だけれど、その声はどこか嬉しそうだった。