一億光年の恋 17話




「こっちの準備はオッケーだよん!」

 スマートフォンの画面に映る一成が、笑顔で言った。続けて、今日のやるべきことは全部終わらせたから、あとはフリータイムだと告げる。
 その背景はオフホワイトの質素な壁とブラウンのカーテンで、見慣れたMANKAI寮の倉庫ではなかった。

「夜に予定あるって思うと、昼間の作業ってサクサク進むよねん」

 屈託なく告げる一成がいるのは、寮から離れた海辺の街だ。背景にあるのは合宿所の一室であることを夏組は知っている。自分たちはいつもの通り時計の小部屋にいるけれど、一成がいるのは遠い街だ。

「カズくん、無理を言っちゃってごめんね」

 恐縮しきりといった表情で告げるのは椋だ。一成は朗らかに「全然! 気分転換にもなったしだいじょぶだよん!」と答えた。
 椋はほっとしたような表情を流すけれど、まだどこかに憂いを残しているのは自分たちの「お願い」を一成が叶えてくれたことを理解しているからだ。
 そんな様子を敏感に察知した一成は、明るく言葉を続ける。

「それに、天鵞絨町にいないほうが安全度上がるかもって話なんだから、オレのためっしょ?」

 椋たち夏組のお願いは、決して彼らのワガママのためではないのだと言い切る。

 一成の死を避けるためにできることは何でもやると夏組は決めた。その内の一つとして、全ての発端となったであろう9月13日に天鵞絨町を離れるという案があった。
 通り魔事件は天鵞絨町周辺で起こっている。それならば、当日一成を天鵞絨町から離してしまえば、目撃者になる確率は格段に下がるのではないかと考えたのだ。
 ただ、それが絶対に安全という確証があるわけではない。出かけた先で、別の何かに巻き込まれて一成の死につながってしまうことも怖かった。
 だから一成を一人きりにすることなく、誰かと一緒に一泊程度の旅行へ行ってもらうのはどうか、なんて話をしていたのだ。
 一成はそれらの意見を全部聞いて「オレ、ちょうどいい話知ってるよん!」と明るく笑った。
 曰く、大学のワークショップの手伝いを打診されており、ちょうどそれが9月13日に当たるらしい。場所は天鵞絨美術大学キャンパスではなく、大学所有の合宿所なので天鵞絨町からは離れることになる。
 手伝いは他にもいるし、合宿所自体も関係者以外は立ち入り禁止になっている。夏組の心配はおおむねクリアできる条件だった。
 そういうわけで、一成は9月13日を海辺の街で過ごすことになった。
 小さいながらも一人部屋を使えるし、夜間は自由時間だから夏組とのビデオ通話も問題なくできると笑っていた通り、一成は約束通り18時30分になるとちゃんとスマートフォンの向こうに現れた。

「でも、カズさん。他の人と何かやることあったりとかしないの?」

 共に手伝いをしている学生との交流だとかそういうこともあるのではないか、という顔で九門が尋ねる。一成はそういうことには積極的なタイプだからこその疑問だ。一成は明るく答えた。

「今回は結構知り合いが多いから、改めて飲み会とかしないしだいじょぶだよん。それに、自由時間って言っても結構制作してる人もいるかんね。大学の合宿所だから使えるものも多いし!」

 場合によっては飲み会が発生することもあるのだろうけれど、今回はその限りではないらしい。
 一成が言うならばそうなのだろう、と夏組は納得するしかない。実際、飲み会に参加することなく目の前に一成がいるのは事実なのだ。

「だから、全然心配とかしなくて平気だよん。オレのためにしてくれてることなんだし!」

 明るい声で、だけれど少しだけ困ったような空気を流して一成は告げる。恐らく一成は、10月の夏組が申し訳なさを抱えていることを理解している。無理なことを頼んでいるのではないか。一成に負担を掛けているのではないか。
 そういう不安を理解しているから、「大丈夫」だと告げるのだ。何も問題はないし、そもそも全ては自分のためを思ってのことだから、申し訳ないと思う必要はないのだと。

「――お前が無理してるわけじゃないならいいんだ」

 一成を困らせることは本意ではないので、天馬は答えた。一成がほっとしたような空気を流して「うん、全然無理とかしてないし!」と笑う。

 その顔を見つめながら、天馬は思っている。
 一成のための行動であることは間違いない。9月13日を天鵞絨町以外の場所で過ごせば、目撃者になる可能性を下げて一成の命を守れると信じての行動だ。
 だけれど、それでもどこかに申し訳なさを感じているのは、電話のこちら側――10月の夏組は知っているからだ。
 一成の提案を支持した理由に潜むもの。カンパニーの誰かと一緒ではなく、大学の友人たちと過ごす。夜は一人で部屋にいるから、その間ずっと話しようよ、と言ってくれた。
 それが意味するものを、10月の夏組は痛いほどに理解している。

 一成は基本的に、MANKAI寮の倉庫で電話を掛けている。他の人には通話しているように見えないスマートフォンだから、人目につかない場所でなければ電話を受けられないからだ。
 ただ、一成には他にもやることがあるし、ずっと倉庫にこもりきりでいられるわけではない。
 夏組ミーティングがあったり、誰かが一成と出かけようとして探しに来たりもする。その度、一成は「めんご~」と言って画面の向こうからいなくなってしまう。
 仕方ないことだとわかっているし、一成にとっては10月の夏組のほうが圧倒的にイレギュラーだ。9月の世界を大事にするのは当たり前のことだから、夏組は素直に一成を送り出す。
 だけれど、奥底でずっと思っていた。本当はもっと話がしたい。もっとたくさん、ずっと一成と話をしていたい。

 だから、一成の言葉が心底嬉しかったのだ。
 カンパニーの誰もいない場所で、一人部屋で過ごすというなら。一成を誰かが連れていってしまうこともない。ずっと自分たちの前にいてくれる。
 そう思ってしまったことを夏組は自覚しているからこそ、申し訳なさを抱えている。確かに一成のための行動ではあるけれど、同時にこれは10月の夏組のためでもあるのだから。

「てか、みんなは準備オッケー? 今日はちょっと夜更かししちゃうからねん!」
「オレたちはまだいいけど、一成は明日も手伝いとかあるんでしょ」

 呆れた顔で幸が言って、あまり無理をするなと釘を刺す。一成は「ゆっきー、やさしいねん!」と笑ってから言葉を続けた。

「でも、みんなと夜更かしすんの楽しいじゃん? 10月のみんなと夜更かしすんのは初めてだし!」

 一成にとって10月の夏組は、あくまで未来の存在だ。だから、一緒に夜更かしをするのは当然初めてという認識になる。
 夏組で夜更かしをした記憶なら、ちゃんと持っている。だけれど、それは一成と同じ時間に生きている夏組であって、電話のつながる夏組ではなかった。
 過去の一成を助けても、それでも現在は何も変わらないかもしれない、と10月の夏組は思っている。
 だって実際に、一成の過去は変わっているのにそんな記憶は欠片もないのだ。一成がワークショップの手伝いで、海辺の合宿所へ泊まったなんて話は誰一人聞いたことがなかった。
 電話の向こうの一成と、現在の夏組が知る一成は少しずつズレていく。記憶は何一つ修正されないままで、きっと行き着く先は異なっているのだろう、と夏組は思っている。
 それでも、すべきことは何一つ変わらない。
 一成が未来を奪われないなら、辛い目にも怖い目にも遭わないなら、そのルートがあるのならそれを選ぶと決めている。たとえ自分たちの現在が変わらなくて、一成を永遠に失ったままだとしても。

「かずと一緒に、みんなで夜更かし~!」

 ふわふわと三角が言えば、一成が「イエーイ」と拳を突き上げている。
 楽しそうな笑顔だ。こんな風にずっと笑ってほしいと、誰もが願っている。だから、その先に自分たちがいなくたって構わないと心から思っているのは本当だ。
 だけれど、それでも、願っていいのなら。望んでもいいのなら。たった一日、今日だけでいい。9月の夏組に、10月の夏組は願ったのだ。
 今日だけでいい。合宿所で過ごす今日だけ、他の誰もいないこの場所で過ごす時間だけ。どうか、今日だけ一成を貸してくれ。
 本当の居場所は9月にあると知っている。だけれど、今日だけは自分たちの――10月の夏組の一成にさせてほしい。10月の夏組は心から願って、そうして今日を迎えていた。

「まあ、まだまだ夜更かしって時間じゃないけどねん。充電は満タンだし、Wi-Fiも安定してるし、オールしても平気そうな感じだけど!」

 一成は楽しそうにそう言って、夏組の状況を尋ねてくる。もちろん、夏組も準備は万端だった。充電だって100%でWi-Fiだってちゃんと電波を飛ばしているし、夜食代わりのおやつだって用意済みだ。そう伝えれば、一成は明るく笑った。

「おけまる~。てか、毎回思うけど森の中の洋館なのにWi-Fiとかちゃんと完備してんのすげーね」
「仕事でも使うし、宿泊する際ないと困るかららしい」

 洋館自体は年季が入っているけれど、設備に関してはその限りではないのだ。管理人から聞いた話を伝えれば一成は「なる~」とうなずいている。
 それから、洋館ではどんな風に過ごしているのだとか、今日の夕食は何だったのかなんて話になって、一成は興味深そうに相槌を打ってそれぞれの話を聞いていた。
 一つ一つにリアクションを返して、「めっちゃ見たい!」とか「オレも食べてみたいな~」と答える様子に、天馬は心から思う。
 こいつを連れてくればよかった。何を見たって、きらきらと目を輝かせてくれるってわかっていた。叶うならば、一成を連れてきてやりたかった。
 思っている間にも、ひとしきり話は弾んでいた。
 部屋にあるアンティーク品をカメラで写しながら感想を言い合っていて、一成は「写真撮りたい!」と騒いでいる。
 ティーカップを示して「すみー、ここにサンカクあるよ」と声を掛け、「やべー、くもぴ、絶対何か封印されてるっぽいんだけど」と懐中時計を見ながら九門へ言葉を向ける。
 「ゆっきー、これデザインに活かせそうじゃね?」と言ったのはランプシェードで、最終的にはしみじみとした様子で「むっくんが前に読んでた漫画思い出すねん」と感想をこぼしていた。
 一成の言葉に、それぞれは楽しそうに言葉を返す。
 このままきっと、何でもない話をして時間を過ごすことはできると、誰もが理解していた。いつだってこんな風に、取るに足りない話をしながら笑い合ってきたのだから。
 だけれど今日は、一成と楽しい時間を過ごすのだと決めていた。
 本当なら、今日は一成が事件の目撃者になってしまう日だ。ショックを受けて心を傷つけてしまう日だと知っているから、その全てを笑顔で塗り替えてしまいたかった。
 それに、夏組が全員そろっているのだ。ただ何でもない話をするだけではなく、とびきり楽しい時間を送ってもらおうと決めていた。

 そういうわけで、頃合いを見計らって一成に声を掛けたのは九門だった。

「ねね、カズさん! オレたち、今日はカズさんと遊ぼうと思って、色々考えてきたんだ!」
「くもぴ、さすが~! 何やっちゃう?」

 テンション高く答える一成に向けて、九門は嬉しそうにポケットを探る。取り出したのは一組のトランプで「やっぱりこれだよね!」とぴかぴか笑った。

「えっとね、今回はちょっとルール変わって、カズさんにはオレたちの誰かと組になってもらう感じなんだけど」

 スマートフォンの向こうの一成に手札を配ることはできない。もしも場所だけ離れているならオンラインでつながることもできるかもしれないけれど、過去の一成とではそれも難しい。
 何より、一成と組んでゲームができることを全員が喜ぶとわかっていたからこそ、この形を選んだのだろう。

「何それ、やったことない感じでやばたんじゃん。面白そう!」

 案の定、一成は楽しそうにうなずいてくれるし俄然やる気だった。椋がほっとした調子で「カズくんが喜んでくれて嬉しいな」と答える。一成ならきっと喜んでくれるとわかっていたけれど。

「それじゃ、トランプ配るね! あ、最初はババ抜きの予定なんだけど、カズさんは天馬さんと組んでね!」

 手際よくトランプを切った九門が、ソファの前の机に手札を分けながら明るく告げた。スマートフォンの向こうでそれを聞いた一成は「おけまる~」と朗らかに答えてから、同じ調子で続けた。

「オレ、何かハンデありの設定なん?」
「どういう意味だよ」
「そのままの意味でしょ」

 自分と組むことを指してハンデと呼ぶのはどういう意味か、と天馬は思わず突っ込む。すると、心底呆れたといった調子で幸が答えた。自分の成績を理解してないわけポンコツは、と続く。
 天馬が言葉に詰まっていると、ふわふわとした調子で三角も言葉を添えた。

「てんま、ババ抜きいっつも最下位だもんね~」
「いつもじゃない!」

 思わず強く言葉を返す。確かにババ抜きは大体負けるけれど、いやでも全てビリではなかったはずだ、と天馬は思う。恐らく、たぶん、さすがに。

「カズくん、ババ抜き強いから天馬くんと組んだらちょうどいいかなと思って……!」

 取り成す調子で椋が言うけれど、言っていることは何一つ天馬の負けっぷりを否定していなかった。むしろ、心からのやさしさだとわかるだけに天馬としては余計に凹む。

 そんなやり取りを面白そうに見ていた九門は、弾むような声で告げた。

「組み合わせとゲームの種類は、オレたちで考えたんだ! 全部で5つあるから期待しててね!」

 オレたち、というのは九門と椋、それから幸だった。
 今回、一成と一日を過ごすことが決まった時に3人が「何をやるかは自分たちにまかせてほしい」と名乗りを上げたのだ。
 どうやら3人は、三角と天馬に対していくらかの申し訳なさを抱えているらしい、ということを天馬は察した。三角を一人寮に残してしまったこと。今回の事態においては天馬の手伝いが何もできなかったこと。それらがあるからこそ、せめて今日の一日は自分たちが主体となろうと思っているのだろう。
 そんなことを思う必要はないと、三角も天馬も告げている。だけれど、3人がそうしたいと望むのであれば希望通りにしてやりたいという気持ちもあった。
 だから、今回三角と天馬は3人に全てを任せている。何をやるか知らないのは、一成と同じだ。

「めっちゃ面白そうじゃん! 楽しみすぎ!」

 ワクワクとした調子の一成は明るくそう言って、「そんじゃ、テンテン頑張ろうねん!」と声を掛けた。手札はすでに配られているので、そろそろババ抜きが始まることを察したらしい。
 天馬は「ああ」とうなずいて配られた手札を手に取った。配られた分にはあまりペアがなかったので、捨てる分が少ない。三角などはぽいぽいと手札から抜いているので、明らかに持っている分量が他より少なかった。

「テンテン、もうちょいポーカーフェイスして~」

 苦笑めいた声が響いて、見れば一成が眉を下げて天馬を見ている。幸が肩をすくめて「今回はアドバイスつきか」と言っていて、他の夏組も楽しむような困ったような笑みを浮かべていた。
 天馬がババ抜きに弱い理由は、手札の内容が如実に顔に現れるからなのだけれど、普段はそれを指摘する人間がいない。
 ただ、今回は一成がペアなので言及しているわけで、これならいつもよりいい勝負になるかもしれない、と夏組は思っていた。

「てか、オレも手札見せてほしいな~なんて」

 冗談めいた響きで一成が言うので、天馬は立てかけられていたスマートフォンを引き寄せた。手の中に収まる。
 他のメンバーには見えないように手札を見せると「なるなる~」と笑顔でうなずいた。その顔からはどんな表情も読み取れないので、たとえジョーカーを持っていてもわからないだろうな、と思う。一成は笑顔という名のポーカーフェイスが上手いのだ。
 その様子を見つめる天馬は、なるほど、と思っていた。
 今回は、ペアを組むことになるので必然的にゲーム中は一成と一対一で向かい合うことになる。
 必要に応じて夏組へスマートフォンを向けたり様子を伝えたりはするけれど、一対複数の今までとは違い、ゲーム中は基本的に一成と対話するのは自分だけだ。
 ささやかな、恐らく今だけの一瞬だとしても。一成との時間をそれぞれが過ごせるように、と考えて3人はペア制のトランプゲームを考えたのかもしれない。
 そんな場面に、当然みたいに天馬のことを加えてくれる。天馬は夏組が来るまで一成と何度か一対一で話しているのだ。だから、他の夏組よりも一成と二人で過ごした時間は長いのに。
 それを知っていても、ちゃんと天馬との時間と設けてくれるのは、夏組全員が6人であることの意味を知っているからだと天馬は思う。誰一人置いていかないのだと、きっと全員が決めている。

「それじゃ、全員でジャンケンして、勝った人から時計回りね!」

 明るい調子で言った九門が拳を握り締めて、掛け声をかけた。