一億光年の恋 22話




 雨が降っている。
 天馬は、時計の小部屋で一成と電話をしながら窓の外へ視線を向けた。カーテンを少し開けると、窓ガラスを伝う雨粒が見えて、少し強くなってきたな、と思う。
 ラジオの天気予報で、今夜から全国的に天気が崩れると言っていたことを思い出した。

「そういえば、テンテン今一人っしょ。寂しくない?」

 今日は純粋な通話なので、一成の顔は見えない。ただ、軽やかな声からは彼なりの気遣いが見て取れた。天馬は思わず唇に笑みを浮かべて、一成に答え返す。

「地方ロケに行った時なんかは基本的に一人だぞ。一人だって慣れてるし――それに、あいつらから連絡も来てるしな」

 確かにMANKAI寮ではいつも誰かが近くにいるような状態だけれど、寮を離れることだってあるので、一人になる機会がまるでないわけではないのだ。
 それに、滞在当初は夏組とのやり取りもなかったけれど、今は毎日どころか暇さえあれば、といった具合で夏組の誰かからLIMEが届いている。

「お前と何話しただとか、そういう話が大半だぞ。その内、一言一句全部書けとか言われかねない」
「あははは、オレってば愛されてる~☆」

 冗談の響きで放たれた言葉は、心底楽しそうだ。その笑顔を見ることができたらよかったと天馬は思うけれど、最近ビデオ通話をしていないのでそれも難しい。
 というのも、現在の一成は倉庫を利用していないからだ。
 他の団員が倉庫を使う用事もあるため、一成ばかりが長期間使用することが難しいのは、天馬たちもわかっている。あまりこもってばかりいるのもさすがに不審がられるということもあり、一成は今倉庫を借りていない。
 結果として、一成は倉庫の外で電話を受けることがほとんどだ。
 ただ、10月の夏組は一成以外に認識されない。周囲の人目がある状況で、誰も映っていない画面とビデオ通話を行っていれば怪訝な顔をされる。
 それを考慮して、普通の通話に切り替えたのだ。もっとも、それすらも近頃ではいぶかしまれてはいるようだけれど。
 一成は「まあ、オレがこんなに電話ばっかしてたら不思議がられるよねん」と呑気に言っていた。

「――みんな、お前のことが心配なんだよ。本当なら、当日までここにいたがってた」

 天馬以外の夏組は、一旦洋館を離れている。
 幸・椋・九門は元々期限付きで夏組だけでの滞在を許されていたのだ。約束通りに迎えにきた家族は共に帰ることを疑っていなかったし、散々心配を掛けていたという後ろめたさも手伝って、ひとまずは自宅に帰ることにした。
 三角は三角でアルバイトの関係から一旦天鵞絨町へ戻る必要があったので、今この洋館にいるのは天馬一人だけだ。
 比較的すんなりと洋館を離れる決断をしたのは、一成が9月13日を無事に過ごすことができたから、というのが大きい。
 あの日、夏組は一成と心から笑いあう時間を過ごした。楽しくて、嬉しくて、体の隅々までが喜びで満たされていくような時間だった。
 結局ずいぶん夜更かしをしてしまって、翌日一成は眠い目をこすりながらワークショップの手伝いを終えたらしい。
 それから天鵞絨町に帰ってきた一成は、MANKAI寮の倉庫で10月の夏組と再び電話をした。屈託のない笑顔で、何一つ危険な目には遭わなかったし、通り魔だって目撃しなかったことを告げたのだ。
 夏組はその報告に、心底安堵した。
 一成が襲われたのは、通り魔事件を目撃して犯人の姿を見てしまったからだ。そもそもその事実が存在しなければ、一成が殺される可能性は格段に低くなるはずだ。
 全ての危険が去ったのかどうかはわからないから、まだ油断はできない。しかし、一成が死んでしまう未来を遠ざけることはできたはずだ。
 きっと、その先の未来で一成は笑っていてくれる。9月の夏組と一緒に、ずっと笑っていてくれる。

「事件当日はあいつらもここに来る予定だ」

 ひとまず、通り魔事件を目撃しないという目的は果たされた。ただ、完全に安心することはできないので、事件当日も夏組はこの洋館へ来ることになっていた。
 一成が死んでしまった9月19日。こちらの夏組から見れば10月19日を無事に過ごすことができたなら。19日を終えて、きちんと朝を迎えられたなら一成の死を回避できると信じて。

「そっか。オレはみんなに会えて嬉しいけど、無理とかしてない?」

 電話から流れる声に心配そうな響きが混じるのは、夏組を思ってのものだろう。
 天馬以外の夏組は、天鵞絨町と洋館の行き来が発生する。疲労がたまるだろうし体を酷使しているのではないか、と一成は心配している。
 夏組の本格的な不調には気づいていなくても、何かがおかしいとは思っているのかもしれない。一成の前では心からの笑みを浮かべているけれど、一成がいなくなって以降の不調が完全に回復したわけではないのだ。
 だからこそ、一成は「無理をしていないか」と尋ねる。自分を思っての行動だということはわかっているけれど、それが夏組にとってのマイナスになることは一成だって望んでいないのだ。

「大丈夫だ。無理なんてしてないし、むしろこっちに来ないとあいつらだって落ち着かないだろ」

 真剣な口調で、天馬は一成の言葉を否定する。たとえ無理をしているとしたって止められることはできないとわかっていたし、多少の無理を押してだって夏組はここへ来るに決まっている。
 天馬とて、もちろん無理をさせたいわけではない。だけれど、一成の無事を確認したいという願いの切実さなら誰よりよくわかっているのだ。

「お前の無事を願ってるんだ。お前の声を聞いて、顔を見て、安心したいんだよ」

 あの日、一成が出かける姿を見た人間は誰もいない。全員が出払ったMANKAI寮から一成は大学へ向かって、そのまま帰ってはこなかった。
 いつもの朝、談話室で朝食を食べながらの些細な会話が最後になるなんて、誰も思っていなかった。
 もっとちゃんと、顔を見ればよかった。もっと声を聞いて、話をして、一つ一つを全部大事にすればよかった。
 重くて苦い後悔をずっと抱えていたからこそ、夏組は望んでいる。ちゃんと声を聞いて、顔を見て、一成があの夜を越えて生きているのだと確認したい。

「だから、19日は夏組全員ここに来る」

 決意を秘めた響きで言えば、一成は「うん、わかった」とうなずいた。
 いつもの軽い雰囲気ではなく、真剣さを受け止めた声をしている。天馬の真剣さを、夏組の思いの強さを抱きしめているような、そういう声だ。
 一成はそうやって、心の底から放たれるものを丁寧に受け取って抱きしめていようとしてくれるのだと、天馬は知っている。
 普段の軽いノリは影を潜めて、本来の真面目さが顔をのぞかせるのだ。一成はあまりそういう場面を見せたがらないけれど、少なくとも夏組や天馬の前では、時々そういう顔を見せてくれる。
 天馬はそういう瞬間が好きだった。一成が心を許してくれているのだと。一成の特別な場所に自分たちはいるのだと。言葉ではなく伝わって、胸がいっぱいになるのだ。

「――本当なら、直接お前を助けたかった。オレにできることなら何だってしてやりたい。だけど、ここからじゃ何もできないから、せめて祈らせてくれ」

 心があふれだしそうになって、言葉が唇からこぼれていく。
 言いたいことはたくさんあった。この場所からでは何もできないもどかしさ。力になりたいという強い願い。一成が無事でいてほしい。できることなら何でもしたい。どうか無事でいてほしい。
 あらゆる言葉がうずまいて声になる。

「一成が大事なんだ。19日を無事に過ごしてくれ。危険な目にも怖い目にも遭わないでいてくれ。お前が大切なんだ」

 切々と天馬は言葉を落とす。電話の向こうの一成に向けて、心からの願いを届ける。
 一成が大切だと告げることはせめて許されるはずだ、と思いながら。
 特別なのだと言えないのならせめて、夏組の一人として大切なのだと、大事なのだと言葉にして伝えることくらい許してくれ、と思いながら。
 電話の向こうの一成は、小さく息を漏らした。ささやかな吐息が伝わるような気がして、天馬の心が小さく波打つ。一成は、笑みの気配をにじませた声で言った。

「テンテン、マジで熱烈だねん。ちょっと照れちゃうけど、ありがと」

 くすぐったそうな声だ。きっと一成は電話の向こうで、本当に照れているんだろうなと天馬は思う。頬に薔薇色をのぼらせて、へにゃりと眉を下げて、それでもきっと笑っていてくれる。

「てか、テンテン、なんでそんなに一生懸命になってくれんの。カズナリミヨシへのラブが爆発しちゃった感じ~?」

 声の調子を変えた一成が、冗談めいた響きで尋ねる。茶化すような雰囲気はあるけれど、奥底には真剣さが潜んでいることに天馬は気づいている。
 一成は天馬の言葉が心からのものであることを疑わない。ただ、あまりにも真っ直ぐと大切なのだと大事なのだと告げられるから、戸惑っているのだろう。今までの天馬ならば決してしない言動だからこそ。
 天馬は一成の言葉に、数秒考えた。
 本当なら、そうだよ、と言いたかった。心を全部取り出して一成に言いたかった。好きだからだ。お前が特別だからだ。傍にいてほしいたった一人だからだ。一成のことが好きだからだ。
 だけれど、それを言ってはいけないと天馬は知っている。一成のこれからにいるのはオレじゃない。そっちの世界のオレたちと生きるお前には、告げちゃいけない。だから。

「――夏組リーダーだからに決まってるだろ」

 告げた声は、ただ落ち着いていた。どんな動揺もなく、当たり前のことを語るような口調。天馬はその事実に、ほっと安堵する。
 ちゃんとリーダーの顔をしていられた。一成を特別に思っているなんて微塵も思われないよう振る舞えた。オレはちゃんと夏組リーダーでいられた。

「さっすが~! テンテン、めっちゃカッコイイね!」

 口笛でも吹き始めそうな雰囲気で一成は言い、やんやとはやし立てる。一成は聡い人間だけれど、今回ばかりは上手く隠しおおせたらしい。天馬はいつもの声で一成の称賛を受け取っている。

 それから少し雑談を挟んだあとは、事件の話に流れていった。
 とは言っても、一成が死んでしまったあの夜の話をするわけではない。それは天馬にとって、未だに痛む傷のような記憶だし、そもそも一成に己の死を意識させるような話をしたくない。
 なので、ただ純粋にどうすれば危険を回避できるか何に気をつければいいか、という類の話だ。

「基本的に寮から出ないつもりだよん。課題とかは全部終わらせてあるから、事前に提出行けるし。一応その時はセッツアーについてきてもらう予定!」

 事件のあった19日、一成は課題提出のため大学へ赴いている。教授に捕まり帰宅時間が遅くなったものの、これから帰るという連絡を残して以降、行方がわからなくなった。
 だから、今回は同じルートを辿らないよう、そもそも課題提出を早められるよう算段したのだ。
 夏組との電話をしながら己の課題もきちんと進めて終わらせているのだから、素直に「すごいな」と言えば一成は嬉しそうに「テンテンに褒められるとかテンアゲ!」と笑っていた。

「19日は予定も入れてないから、ずっと寮かな~。結構出かける人多いみたいだけど、寮にいればさすがに平気っしょ」

 通り魔事件を目撃していないのだから、そもそも襲われる理由はない。だけれど、もしものことを考えて一成は一日寮から出ないことを選んだ。
 それは10月の夏組の切実な願いを受け取ったからだ。突拍子もない話だと言うこともせず、己にできることをやろうとしてくれる。

「――ああ、そうしてくれるとオレたちも安心だ。でも、みんなに不審がられてないか」

 一成というのは、しょっちゅう色んなイベントやら何やらに出かけているような人間だ。
 課題や制作のために引きこもっていることもあるけれど、今回は課題を終えたあとに一日寮にこもるというのだから、奇異に思われる可能性はある。一成はあっけらかんと答えた。

「最近、オレの行動謎ばっかだから逆にいつも通りって感じ!」

 課題のためという名目でやたらと倉庫にこもっているだとか。SNSの更新ではなく、純粋に電話をしている機会が増えただとか。常に誰かと一緒に行動しようとスケジュールを調整しているとか。
 そういう諸々がすでに謎行動なので、課題を終えても寮にこもる、というのもその一環として認識されているらしい。天馬は思わず声をこぼす。

「悪いな、変なことばっかりさせて」
「全然! だって全部オレのためのことじゃん?」

 一成の死を回避したい、という願いゆえの行動だけれど、結果として不審に思われていることは否めない。だから謝罪を口にしたのだけれど、一成はまるで気にしていなかった。
 別に天馬たちが一成をからかっているとかそういうことではなく、ただ一成を守りたいと思ってのことだとわかっているのだから、謝る必要はないのだと言い切る。

「むしろ、オレがお礼言う場面じゃね? 未来から助言してくれてるとか、マジ感謝だし! テンテンたちヒーローじゃん」

 明るい声で一成は言ってくれるけれど、天馬はどんな言葉を返せばいいかわからない。
 ヒーロー。本当にそうなら、きっと一成を助けてやれたのに。一成の危機に駆けつけてやれたのに。そうしたら今ここに、10月に一成は生きていてくれたのに。
 同じ過ちを繰り返さないよう、9月の一成を助けようとしているけれど、決してヒーローなんかじゃないのだと誰より強く理解しているのは他でもない天馬だった。
 すぐに答えを返せなくて、沈黙が流れる。その重苦しさに一成は気づいたのだろう。沈黙を埋めるような明るい声で、言葉を継ぐ。

「通り魔事件もさ、起きなくて済んだんだよん! テンテンたちのおかげだからさ、マジで人助けしてる感じ、ヒーローっしょ!」

 だからそんな、後悔のにじんだ沈黙を流さなくていいのだと告げるような言葉だった。マイナスよりもプラスを見つける一成らしいな、と思ったのだけれど。
 天馬は、放たれた言葉をもう一度反すうして気づく。通り魔事件が起きなくて済んだ、と一成は言った。それは天馬たちのおかげだとも。

「……一成、お前何かしたのか?」

 もしかして、と天馬は思う。
 通り魔事件が起きなくて済んだ、と一成は言う。それは恐らく、本来なら一成が目撃するはずの事件のことだろうと察しがついた。一成と電話がつながって以降起きた通り魔事件はそれくらいしかない。
 しかし、天馬はもちろん何もしていないし、そもそも未来から何かの影響を与えることが難しいのはよく知っている。
 だから、もしも天馬たちの某かが事件発生を防いだというなら、間接的に一成が関与している可能性が高い。

「大したことはしてないよん。ただ、ちょーっとあの辺暗くて危ないなって話、交番の人とかストリートACTしてる人とかに話したくらい!」

 軽やかな声の一成曰く、該当時刻の駅前の路上パフォーマーたちは顔見知りだったので、それとなく事件現場のことを気にかけてもらうよう頼んだという。
 加えて、交番の警官にも見回りのルートに事件現場を追加したらどうか、と話をした。
 顔見知りが多い一成だし、誰相手でも懐に飛び込んでいける性質を遺憾なく発揮し、事件の起きる確率を低くしたいと動いたのだろう。
 警官が見回りに来れば、他の人間が事件現場を気にしていれば。事件の起きた路地裏は人目を盗める場所ではなく、誰かの目が常に光っている場所になるのだから。

「だからなのかわかんないけど、通り魔事件起きなくて済んだから、怪我した人は誰もいないよ!」

 嬉しそうに報告される言葉を、天馬はどんな気持ちで受け取ればいいかわからなかった。
 理性では「よかったな」と答えるべきだと思った。誰も傷つかず、事件も起きなかった。それはどこからどう見ても喜ばしい現実で、最良の結果だと言えるはずだ。
 だけれど、天馬は思ってしまった。どうしてそんなことをするんだ、と思ってしまった。
 取り立てて危ないことをしたわけではない。それとなく話をして、事件現場に注意を向けただけだ。当日は海辺の街で夏組と一日を過ごしただけだから、何一つ危ないことはしていない。
 だけれど、通り魔事件にわずかとは言え関わったことも事実だ。実際に事件が起きたわけではないから、現状として一成は何一つ事件と関係がないと知っている。
 しかし、本来起きるはずだった事件を防いだ、ということもまた事実だ。
 そうやって通り魔事件と関わってしまうことが、天馬には怖くてたまらない。小さな、本当に小さな接点から、一成が捕まってしまったら、という恐怖が拭えない。
 もしも、その些細な交わりが一成の死につながっていたら。ほんのわずかな糸が、犯人と一成を結んでしまったら。
 思ってしまったら、もうだめだった。いくら理性が可能性は低いと訴えても、常識的に考えれば有り得るはずがないと頭ではわかっていても、素直に「よかったな」なんて言えなかった。
 危険なことをしてほしくない。通り魔事件になんか、欠片だって関わってほしくない。一番遠い場所で、何も知らずに過ごしていてほしい。
 入り混じった感情が腹の底でうずまいて、上手く答えを返せない。電話の向こうの一成は、その気配を敏感に感じ取ったのだろう。

「――オレ、余計なことしちゃった感じ?」

 恐る恐る、といった調子で落とされた言葉。天馬はとっさに「いや」と答えた。
 余計なこと。何一つ事件と関わってほしくない天馬からすれば、それは確かに余計なことだ。だって天馬は、身勝手にも思っている。
 たとえ傷つく人がいるとしたって、一成の死につながる可能性を全て排除できるなら、見捨ててしまってほしかった。他の誰かが傷ついたって、一成のことを守りたかった。

「――お前らしいなって、思った」

 どうにか声を絞り出して、天馬は言う。
 通り魔事件に何一つ関わらずにいてほしかった。わずかでも接点を生まないでほしかった。一成が助かるなら、誰かが傷ついても見捨ててほしかった。
 だけれど、天馬の知る三好一成ならそれを選ばないことなんて、本当はとっくに知っていた。
 誰かが傷つくとわかっていて、放っておける人間ではないのだ。自分にできることがあるなら、何だってやりたいと思う人間なのだ。
 通り魔事件が起きると知っていて、誰かが被害者になるとわかっていて、何もしないでいられる人間のはずがなかったのだ。天馬の知っている、天馬の好きな三好一成とはそういう人間だ。
 それは、一成のやさしさであり、同時にしなやなか強さでもある。
 誰かの助けになることを、手を差し伸べることを、ためらわないでいられること。当たり前みたいに、誰かが傷つくことのないよう振る舞えること。
 一成のそういうところが天馬は好きだったし、何度だって助けられてきた。だけれど今だけはそのやさしさがもどかしい。
 もっとずるくなってくれればいいのに、と天馬は思う。
 自分を守るためなのだと、誰かが傷ついても見て見ぬふりをしてほしい。身勝手に、自分のためだけに全ての行動を取ってほしい。一成がそれを選ぶことは決してないと、わかっていても。

「そういう時も、ちゃんとオレたちを頼れよ」

 せめて、という思いで天馬は言葉を継いだ。
 できるなら、事件の日まで一成をどこかへ閉じ込めてしまいたい。何一つ事件と関わらないように、何もかもから遠ざけてしまいたい。
 そんな風に思ったことは、一度や二度ではない。だけれど、現実問題として不可能だったし、何よりも一成を閉じ込めて縛りつけておくことはできないのだとも思っていた。
 一成はもしかしたら、受け入れてくれるかもしれないけれど。それはきっと、一成の何かを失わせて成し遂げられることだから、選んではいけないのだろう。
 それならせめて願いたいと、天馬は思っている。10月の自分では決して手助けができないから、せめて9月の自分たちが一成の助けになるよう心から祈っている。

「めっちゃ頼ってるよん! みんな結構、オレと一緒に行動してくれててありがたいよねん」

 夏組メンバーは一成の行動にハテナマークを浮かべつつも、比較的すんなりと受け入れてくれているらしい。元々まとまって行動することが多い、という前提があるので一緒に行動すること自体にためらいがないのだ。
 最初こそ不思議がっていたものの、今では当然のように、どこかに行くなら一成に声を掛けるし、一成から声が掛かるのも自然なことだと思っている。

「迷惑かな~?って思ったけど、テンテン最近だと『どうせならお前も乗るか』って車一緒に乗せてくれるし、ありがとねん」

 あ、10月のテンテンに言ってもだめか、と続く声に、天馬は唇を結ぶ。
 9月の自分。一成が隣にいることを当たり前だと思っていた。いなくなるなんて、これから先の未来に一成がいないなんて、欠片も思っていなかった。
 今、ここにいる自分とは違い、一成のいる世界を生きている9月の自分。
 天馬は無意識の内に、スマートフォンを持たない左手を強く握りしめていた。
 できるなら、一成を守るために何だってやりたい。だけれど、10月を生きている自分にできることなんてたかが知れている。
 どうしてオレは一成を直接助けにいけないんだ、と何度も思った問いが胸によみがえる。
 奇跡みたいにつながって、またこうして話ができることが嬉しい。一成を助けるために、未来からできることがあるのが嬉しい。それは全て間違いのない感情で、天馬は本当に嬉しかったのだ。
 だけれど同時に、直接一成を助けられないことがもどかしくて仕方がない。できるなら、一成の隣で自分の持てるもの全てで守りたい。同じ場所で、同じ時間で、同じ世界で守ってやりたかった。

「……いや、お前のためになるならいいんだ。車に乗せるくらいわけないし、むしろもっと頼ってくれ。そっちのオレは素直に言わないかもしれないけど、お前に頼られるのが嬉しいんだ」
「そーなん? 初耳なんだけど、テンテンそんなこと思ってたの?」
「ああ。絶対素直に言わないけどな」
「未来の自分がばらしてんじゃん」

 おかしくてたまらない、といった様子で一成が笑う。ほころぶような声に、握りしめていた左手から力が抜けた。
 同時に唇に笑みが浮かんで、これくらいの意趣返しをしたって罰は当たらないだろうと思う。一成と同じ世界を生きられる9月の自分にこれくらい。

「じゃあ、雨降った時とか頼んでみようかな~。荷物多い時とかは助かるかも」
「別に晴れてても頼めばいいだろ。時々一成が大荷物担いでることは知ってる」
「にゃはは、画材とかいっぱいになっちゃう時があるんだよね~」

 基本的に身軽な人間ではあるものの、さすがに実習やら制作の時はあれこれと大荷物を持って大学へ出掛けていることは天馬も知っている。
 気づいた時には声を掛けることもあるけれど、一成本人から頼まれたことはない。

「でも、オレ画材担いで歩くのも好きなんだよねん。これからいっぱい描くぞ~って気合い入れる感じで!」

 途中で後悔することもなくはないらしいけれど、特に晴れの日に絵を描く道具を持って歩くこと自体は好きなのだと言う。
 それはとても一成らしい言葉だ。些細な瞬間も、面倒だと思う瞬間も、何かとても素敵なものに変えてしまう。

「とりま、雨の日とかに頼んでみよっかな! あ、でも、しばらくは晴れか~」

 残念そうに告げられた言葉に、天馬は目をまたたかせた。一成が取り立てておかしなことを言ったわけではない。ただ、「しばらくは晴れ」という言葉に虚をつかれたのだ。
 ラジオの天気予報は、今夜から全国的に天気が崩れると言っていた。明日はおおむね雨模様のはずで晴れるはずがない。
 だけれど一成が「しばらくは晴れ」と言うのは何一つおかしなことではないのだ。
 なぜなら今天馬と言葉を交わしている一成は、9月の世界を生きている。同じ時間を刻んではいないのだから、天気予報が違うことだって当然だ。
 天馬は窓の向こうへ視線を投げた。カーテンの向こうでは、真っ暗闇の夜を映した窓ガラスに、雨粒が伝っているだろう。
 今頭上を覆う雨雲は、どれだけ経っても一成のところへ向かわない。どれだけ今、言葉を交わして声を聞くことができるとしても、二つの世界はどうしようもなく遠いのだ。
 この雨雲が一成のもとに雨を降らせることもないし、明日一成が見る太陽を天馬は見ることができない。
 時間を超えてつながった、この瞬間は奇跡だ。一成とまた言葉を交わせること、顔を見られること、未来から一成を守れること。それら全てを幸福と呼ぶのだと天馬は知っている。
 だけれど、どうしたって遠い。決して埋められない断絶があるのだと、窓を叩く雨音を聞く天馬は強く思い知らされる。