一億光年の恋 23話
一成が時間通りに電話に出ないことは、度々あった。一成の性格から考えればらしくないけれど、状況が特殊なだけに仕方ないことだと天馬は理解している。
10月の夏組のことは、一成しか認識しない。だから倉庫で引きこもることがなくなってからは、ビデオ通話をしないようにしている。
通話だって、傍から見れば着信のないスマートフォンを耳に当てているのだ。場合によれば、近くにいる人に怪しまれる可能性はある。
劇団員という特性上、一人芝居の練習中だと思われる可能性が高いのは僥倖だけれど、さすがにここ2週間以上ずっとこの状態なのだ。
カンパニーのメンバーも不思議に思っているし、一成が奇異な目で見られることは本意ではない。
なので、なるべく人目を避けて電話を受けられるよう、周囲に人がいる時はすぐに出られなくても構わないと言っている。
それに、一成とて10月の夏組との電話以外にも多々用事がある。元々何かと忙しい人間なのだ。倉庫にこもっている時だって、用事があって電話に出られないことはあった。
そういうわけで、時間通りに一成が電話に出ない場合、時間を置いてかけ直すことにしている。
一成は常にスマートフォンを持っていてチェックも怠らないので、出られないだけで着信には気づく。大体10分もすれば電話はつながるのだ。
今までの経験からそれはわかっているので、一成が電話に出なくてもそこまで焦ることはなかった。
心細さと心配はあるけれど、何もこれが初めてのことではないのだ。10分後に再び掛け直せば、恐らく一成は電話に出てくれる。今までずっとそうだった。
もしかしたら、そのまま用事があることを告げられて通話は終わりになるかもしれないけれど、少なくとも10分待てば一成の声が聞けるはずだった。
だから今日も、天馬は時計の小部屋で取り止めなく10分を過ごしている。
何かをするには短すぎて、何もしないには長すぎる。中途半端な時間だけれど、天馬はとりあえず夏組のLIMEへ目を通した。
隙あらば送られてくるLIMEは、一成との会話の記録のようになっていて今まで話した内容を思い返すことができる。
明日はとうとう事件当日ということもあって、夏組は特に一成の様子を気にしていた。
もっとも、何も危険な目に遭っていない本人は至っていつも通りだし、むしろ夏組のほうがよっぽど気をもんでいる。明日の夜一成と話をするまではどうしたって気が抜けないのだ。
夜まで一成と話をすることはできないとわかっていても、夏組は朝一番から洋館を訪れる予定になっていた。
事件当日なのだ。呑気に一日を過ごすことなど到底できないのだから、それなら朝から洋館に来たほうがいいという判断だろう。
幸い、夏組の調子は以前と比べてだいぶ良くなっている。
一成と再び顔を合わせて話ができたから、という理由は言えないものの、周囲から見ても回復傾向にあると思われているのだ。だから洋館へ赴くことにもあまり難を示されなかったらしい。
すぐに出発できるよう、今日は全員MANKAI寮に泊まっているはずだ。三角が嬉しそうにそれぞれを出迎えていたと聞く。
そういえば、運転は誰に頼むかという話をしていたな、と天馬は思い出す。最有力だった丞は用事があるようで運転は頼めないと聞いていた。他に車を出してくれそうな人は誰かいただろうか。
その辺りの話がLIMEにはあるだろうか、と思ったけれど特に話題にはなっていないようだった。
一通りLIMEを確認し終えても、まだ10分は経っていない。
一成が時々聞きたがるので持ち込んでいるラジオからは、ニュース番組が流れている。今日の彗星情報がいつもより長いのは、核が分裂して光量が増したかららしい。
一成が聞いたら喜びそうだな、と思った天馬はしばし耳を傾けていたけれど、彗星の話題は存外早く終わってしまった。
別の暇つぶしになるような番組を探そうか、と天馬は思うもののすぐに思い直した。ラジオの電源をオフにする。
視線を向けるのは、アンティークソファの前に置かれた机。そこには、天馬の不調により撮影が一時中断になっている映画の台本がある。
最近の天馬は、暇があれば台本へ目を通している。休養期間が終われば撮影が再開されるから、という現実的な理由もある。ただ、一番大きな理由は天馬の胸に小さな予感が芽生え始めているからだ。
台本を手に取った天馬は、目的の箇所に差し掛かるとじっと内容を見つめた。天馬の台詞が3分近く続く、一番の見せ場。天馬はしばしその文言を眺めてから、台本を閉じる。小さく深呼吸をして、口を開く。
「……『お前が来るのはわかっていた』」
天馬の唇から、言葉がこぼれ落ちる。それは確かに、たった今目の前の台本に記されていた台詞だ。
今までどうしても形になることはなかった。文章としては理解できるのに、台詞として口にしようとすれば跡形なく消えてしまう。
しかし、たった今天馬の唇は、確かに記された言葉を口にした。
天馬は逸る気持ちをおさえながら、次の台詞を頭に思い浮かべる。
良き理解者として主人公を支えてきた親友が、全ての黒幕だったと判明したあと。初めて主人公と対峙する場面で、これまでの笑みに似て決定的に違った微笑みを浮かべて親友は言うのだ。
主人公に向けて、今まで何度も繰り返してきたくだらない話を持ち掛けるような素振りで。
「『少し話を――しようじゃないか』」
一文が声になり、空中に溶けていく。
言えた。台詞がちゃんと形になった。頭の中から消えてしまわない。ちゃんと残っている。
演技という意味では、まだまだだ。ただ台詞を口にできた、それだけでしかない。だけれど、これが大きな一歩であることは間違いなかった。
台詞を言う。求められた言葉を口にする。今までは難なくできていた。一成がいなくなって以降、全てがばらばらになってできなくなっていた。だけれど、今ならできると思えたのだ。
洋館で過ごす間に、天馬は少しずつ自身の歯車がかみ合う音を聞いていた。
三角のエチュードで呼び覚まされたもの。夏組のエチュードで、当然みたいに天馬を芝居に迎え入れてくれたこと。
不調を知っている彼らが、それでも天馬ならできると真正面から芝居をぶつけてくれた。
その度、天馬は錆びついていた回路が開かれていくのを感じていた。奥底に眠る衝動を、深くに沈んだ芝居への熱を、呼び覚まして取り出してくれたのは、他でもない夏組の芝居だ。
まだ本調子とは言えないだろう。だけれど、それでも、きっとまたオレは芝居をできるようになる。その予感は、天馬の胸に確かに息づいていた。
天馬は台本を手に取りながら、続きの台詞を口にする。以前と同じとまでは行かないまでも、最初のほうの台詞はある程度頭に残っている。
何度か繰り返せば、恐らくきちんと記憶にとどめることもできるはずだ。
次は実際の演技プランと、それを芝居に乗せなくてはいけない。初めて芝居に臨むような気持ちで台本を読みこめば、10分はあっという間に過ぎていった。
台本を閉じた天馬は、慣れた調子でスマートフォンを操作する。
いつものように一成へ電話を掛ければ耳慣れた呼び出し音が聞こえる。電話がつながらないことを告げるアナウンスではなく、確かに一成を呼ぶ音だ。
10分後に掛け直すと、大体一成は2コール程度で電話に出る。天馬から再度かかってくることを見越しているから、恐らくすぐに出られるよう待っているのだろう。
明るい声で天馬を呼んで、「さっきは出られなくてめんご~」と言うのが常だった。だから、今日もそうだろうと思ったのだけれど。
いくら呼んでも、一成が電話に出ることはなかった。
延々と流れ続ける呼び出し音。しばらくの間それを聞いていた天馬は、一度電話を切った。
予想外の事態に自分が混乱していることはわかっていたから、冷静にならなくては、と思ったのだ。しかし、とても落ち着いていられなかった。
心臓がうるさいほど鳴っている。手足から血の気が引いていくのが自分でもわかった。一成が電話に出ない。それは、最初に一成と電話がつながって以降はじめてのことだった。
電話ができそうにない時は事前に連絡をくれたし、たとえ出られない状況になっても再度掛けなおせば一成はきちんと答えてくれた。
「今日は無理かも!マジごめん!」だけで終わってしまうこともあったけれど、少なくともきちんと電話には出てくれたのだ。こんな風に、延々と呼び出し音を聞くことはなかった。
何か立て込んだ用事があったのかもしれない。だから、10分では終わらなくてまだ出られないだけかもしれない。
ひとまずその可能性を考慮して、天馬はもう少し待ってからもう一度掛け直すことに決める。一成は忙しい人間だから何かややこしい用事があるのかもしれない。そうであってくれと思う。
さらに10分が経ってから、天馬は電話を掛ける。祈るような気持ちで、どうかと願いながら。しかし、電話は呼び出し音が鳴り続けるだけで一向に一成が出る気配はなかった。
心臓がせわしなく鳴り続けている。天馬は眉間に深い皺を刻んで、呼び出し音を吐き出し続けるスマートフォンを握りしめていることしかできない。
一成から電話が掛けられないことはわかっている。だから、10月の天馬が9月の一成へ電話を掛けるしか、一成とつながる手段はない。
だけれどそれも、一成が電話に出てくれなければ意味がないのだ。いくら呼び出し音を鳴らし続けても、一成が答えてくれなければ言葉を交わすことはできない。
天馬はどうにか自分を落ち着かせようとする。
一度電話を切って、時間を置いて再度掛け直す。どこかのタイミングで一成が電話に出るかもしれない。祈りながら繰り返すけれど、一成が電話に出ることはなかった。
一体どうしたらいいのか、天馬にはわからない。思い出すのは、一ヶ月前のあの夜だ。撮影を終えてMANKAI寮に帰ってくると、誰もが緊張した面持ちで言葉を交わし合っていた。
一成が帰ってこない。一成と連絡がつかない。そう聞かされたあの夜の、何もかもが崩れ落ちていくような感覚。
夏組へ連絡することも考えたけれど、天馬は一瞬でその選択肢を打ち消した。自分たちができることは何一つないとわかっていたからだ。
同じ時間に生きているのなら、一成のために走ることだってできる。だけれど、10月の自分たちは9月の一成に何一つしてやれることがない。
それなら、今夏組へ一成と連絡が取れないことを教えるのは得策ではないと思ったのだ。
もしかしたら、もう少し時間が経てば連絡がつくかもしれないという可能性を考慮したということもある。
だけれど一番は、いたずらに夏組の彼らの心を波立たせたくはなかった。何一つできることがないのに、焦燥や恐怖だけを与えたくはなかった。
それから一体どれくらいの時間が経ったのか。
約束していた時間なんて、もうとっくに過ぎている。今の天馬にできることは、ただ一成へ電話を掛けることだけだとわかっていたから、天馬は何度も答えることのない呼び出し音を聞いていた。
こんなことははじめてだ。心臓の音がずっと響いて、喉がからからに乾いていた。何か異常事態が起きていると思うには充分だった。それでも、今の天馬には電話を掛けることしかできない。
何度目かのコールを繰り返す天馬は、泣きたいような気持ちで呼び出し音を聞いている。一体何度電話を掛けただろう。無意味なことをしているだろうか。
それでも、どうかと祈っている。頼む。何でもないと言ってくれ。いつもみたいにオレの名前を呼んでくれ。一成。
心の中で何度も名前を呼んで、天馬はスマートフォンに向かって祈る。何度目になるかわからないコールを繰り返しながら、眉間に皺を刻んでただひたすら電話をかけ続ける。
すると、不意に。何の前触れもなく、突然呼び出し音が途切れた。はっとして耳を澄ますと、小さな声が流れた。
「――ごめん」
ともすれば聞き逃してしまいそうな、ささやきのような声だった。だけれど、天馬の耳は確かに拾い上げる。
いつもの明るさは微塵もなかったけれど、天馬がこの声を聞き逃すはずがない。
「……一成」
名前を呼べば、電話口の一成はもう一度「ごめん」と言った。一成が発したことが嘘みたいな、硬い声だった。
「いや、平気だ。悪い、何か用事があったんじゃないか」
今まで何度も電話をかけ続けていた事実を思い出して、そう答える。一成の謝罪は恐らく、なかなか電話に出られなかったことに対してだと思ったからだ。
しかしそれは、一成が謝ることではないだろう。一成には一成のすべきことがあるのだから、むしろ何度も電話をかけ続けたこと謝罪するべきかもしれない、と思った。だけれど。
「ごめん、テンテン」
もう一度繰り返された言葉が。震えるように吐き出されて、天馬の耳に届いた声が。あまりにも悲愴な、痛々しい声をしていて天馬は悟った。
違う。これは、電話に出られなかった謝罪じゃない。何かもっと別の意味が隠されている。
瞬時に理解した天馬は一成に尋ねる。できるだけやさしい声で、焦燥も不安も全てのみ込んだ、ただ穏やかな調子で。
「どうした、一成」
恐らく何かがあったのだ。一成がこんな風に痛みをこらえるようにして謝らなければいけない何かが。天馬は注意深く一成の答えを待つ。一体何があったのか。どうして一成が謝るのか。
一成は天馬の言葉に、小さく息を吸ったらしい。何かを言葉にしようとしてためらうような、そういう沈黙が流れる。
しかし、天馬は急かすことをしないでただ待っている。一成がきちんと言葉にするまで待っていようと決めたのだ。
一成は天馬の無言の意味を正しく受け取ったのだろう。しばらくの沈黙のあと、泣き出しそうな声で告げた。
「ごめん、オレ、見ちゃったんだ」
何かの罪を告白するように、一成は言う。
いつもよりも帰りが遅くなって、天鵞絨駅に降り立つと辺りはすっかり暗くなっていた。普段の一成なら、気にすることなく寮までの道を辿るけれど、10月の夏組との約束がある。
それに、最近では寮内でも、夜遅くの帰宅時は迎えを寄越すことが決定しているので、一成は連絡をして駅まで迎えに来てもらうのを待っていた。
一人でいるよりいいだろうと、ストリートACTを見ている人混みに紛れて、たった今始まった芝居を見る。
広場の端っこで行われる芝居は、夜にふさわしい、しっとりとした演技だ。ただ、時々品の良い笑いが挟まっていて、こういう方向性の笑いも参考にできるのではないか、と一成は思う。
動画を撮っておこうかな、とスマートフォンを取り出して掲げた時だ。
集まった人たちの一人が鞄を落とした。中の物が散乱して、慌てたように拾い出す。その内の一つ、丸い缶ケースがコロコロと一成の目の前を転がっていった。
自然と足が動き、当たり前のようにそれを追いかけた。傾斜のある道ということもあいまって、案外速度がある。
小走りであとを追いかけた一成は、不意に視界が陰って悟る。駅前の明かりが遠ざかる。路地裏に入った。入ってしまった。
まずいと思ったのだ。だから、すぐに引き返して、明るい場所へ出ようと思ったのに。
その時ちょうど路地裏から人が飛び出してきた。
フードを目深ったにかぶった男性と真正面からぶつかる。鋭い視線が一成をとらえて、びくりと肩をすくませる。しかし、すぐに走り去っていった。
ほっと息を吐いた一成は、そこで気づく。路地裏の奥に誰かがうずくまっていること。怪我をしていること。
まるでデジャブのように一成は理解してしまった。見てしまった。何を? 未来の夏組が必死で遠ざけようとしていた。一成が死ぬ全てのきっかけ。通り魔事件の現場。たった今ぶつかったのは、犯人だ。
結局一成は、怪我人を見捨てることなどできず駆け寄った。
そこからは、天馬たちに話を聞いた通りだ。救急車を呼び、事件性があるとの判断で警察が出動。そこで怪我人が通り魔事件の被害者であることと、ぶつかった男性が犯人である可能性が示唆されたのだ。
「ごめん。オレ、犯人のこと見ちゃったんだ。逃げる時にぶつかったから、オレの顔も見られてると思う」
一成の声が震えていた。それを聞く天馬は、世界の全てが崩れていくような感覚に陥る。
どうして。なんで。
一成が事件を目撃してしまったあの日を無事に過ごすことができたのに。目撃者になることもなく、事件に何一つ関わることなく過ごしていられたのに。一成が死ぬきっかけを遠ざけることができたはずなのに。
どうして。やっぱり一成は目撃者になってしまった。犯人を見てしまった。犯人に見つけられてしまった。
一成が死んでしまう。一成がまたいなくなってしまう。9月の世界で時間を止めてしまう。未来まで夏組がそろっている光景が、なくなってしまう。
混乱に叩き落とされながら、それでも天馬はどうにか言葉をかき集める。
「――お前が謝ることじゃない」
一成が泣き出しそうなのは、通り魔事件を目撃してしまったショックもあるのだろう。だけれど、一番にあるのは自分たち10月の夏組への申し訳なさなのだろうと思ったのだ。
目撃者にならないように、あらゆる手段を講じてきたことを一成はよく知っているからこそ。
「でも、だって、テンテンたちめちゃくちゃ頑張ってくれてたのに、オレが全部台無しにしちゃった」
「違う。一成のせいじゃない。自分を責めるな」
一成は、こんな時も夏組のことを考えて胸を痛めるのだ。ショックも混乱も一番感じているのは、他でもない一成自身のはずなのに。
怖かったのだと泣きわめいても、ショックを受けてふさぎこんでもおかしくはないのに、それよりも一成が気にかけるのは夏組のことだ。
目撃者になってしまった、その事実を知った夏組が傷つくことを恐れている。
一成だ、と天馬は思う。
天馬の好きな、誰よりも大切な。当たり前みたいに自分の心を差し出して、誰かの痛みに敏感で、いつだって寄り添おうとしてくれる。天馬の好きな一成だ。
「オレたちを頼ってくれ。絶対に一人になるな。一成を死なせたくない。頼む。オレたちにお前を守らせてくれ」
何もかもが崩れていくような恐怖が忍び寄っている。
どれだけ努力しても、未来は変わらないのかもしれない。一成が死ぬことはすでに決まっていて、どんなルートを選んでも辿り着いてしまうのかもしれない。
それでも、一成を死なせたくなかった。だからもう、天馬にはただ祈ることしかできない。
電話の向こうの一成に、9月の自分に、ただ懇願するしかない。どうか、今度こそ一成を守ってくれ。何が何でも、一成のことを守ってくれ。
一成は天馬の言葉に、涙のにじむような声で「うん」とうなずいた。それから、慌てたように誰かに向かって「今戻るね!」と声を掛けていた。恐らく、話の途中で抜け出してきたのだろうと察した。
「ごめん、テンテン。今までずっと警察に行ってて、さっき帰ってきたとこなんだ。これから寮で会議あるから、たぶんもう電話出られないかも……」
申し訳なさそうに一成は言うけれど、これからのことを決めるのだろう。大事な場面だということはわかっているので、「ああ」とうなずいた。
ただ、もしも電話に出られる状態なら出てほしいと言うことは忘れなかったし、そのために電話を掛けることを許してほしいと告げた。
一成は少しだけ笑って「そんなの全然平気だよん」と言ってくれたので、天馬は少しだけほっとする。ただ、それも一瞬だ。
どうやら一成は、本当に隙を見計らって電話に出たらしい。「ごめんね」という言葉とともに、すぐ電話は切れた。
通話の終わったスマートフォンを、天馬は握りしめた。
一成と会話をしている間は、どうにか自分を保っていられたはずだ。みっともなく取り乱すことはしなかった。だけれど、本当は怖くて仕方がない。
一成を守れると思った。通り魔事件を目撃しなければ、一成が襲われる理由はない。だから一成を天鵞絨町から遠ざけた。目論見は成功して、一成は何一つ怖い思いなどせず事件当日を迎えるはずだった。
それなのに、まるでそれら全てを嘲笑うように一成は目撃者になってしまった。遠ざけたはずの死が再び近づいてくる。
どうして。なんで。一成が死ぬ未来を回避することはできないのか。一成が死んでしまう未来は、どうしたって変えられない結末なのか。またオレたちは、一成を失うのか。
まるで世界が全て崩れていくようだった。確かだった足場が消えてなくなり、何もかもが暗闇に飲み込まれていく。天馬はどうすることもできず、ただスマートフォンを握りしめている。