一億光年の恋 26話




 部屋の入り口が騒がしくなった、と思うのと同時に、夏組が入ってきた。

「わ、ドアないじゃん!」
「もしかしてボクたち、お邪魔だった……!?」

 九門が目を丸くして壊された扉を見ているし、椋はバルコニーの二人に気づいて目を白黒させている。

「いちゃつくのはあとにして」
「サンカク要る~?」

 冷めた目で幸が言い捨てて、三角はにこにこと嬉しそうだ。
 二人は我に返ったように体を離すけれど、天馬は遠ざかってしまう温もりが寂しい。
 それに気づいたのか、立ち上がった一成は天馬の手を引くと、少しだけ考えてからベッドに天馬を座らせた。自分も隣に座って、夏組もめいめい部屋の椅子など自分の位置を確保した。
 その様子をぼんやり眺めていた天馬は、改めて夏組の6人がそろっているという事実を確認する。
 幸と椋は椅子に座っていて、九門は二人の近くに立っている。三角はバルコニーを背にして床に座っていて、一成は天馬の隣に腰かけている。
 夏組だ。誰一人欠けていない。大事だった。大切だった。全員がそろっていれば、どこまでだって行ける。何だって乗り越えられる。全員ここにいる。
 その事実に、天馬の視界がぼやける。みっともなく泣き出しそうになって、慌てて涙をぬぐう。
 一成はそんな天馬の様子を、やさしいまなざしで見つめている。その視線を受け取った天馬は、恐る恐るといった調子で口を開いた。一成が生きている。その事実がどうしようもなく嬉しい。だけれど。

「でも、なんで……無事だったのか?」

 一成が死んでしまった。その記憶は、天馬に深く刻まれて消えない傷を残している。抗いようもない現実だったはずなのに、今隣に一成は生きているのだ。
 一体どういうことなのか、と尋ねると一成がくすぐったそうに笑った。

「テンテンが助けてくれたんじゃん」

 秘密を打ち明けるような、楽しそうな口調。しかし、天馬には何一つピンと来ないし、一成の言葉の意味がわからない。盛大に疑問符を頭に浮かべていると、ほほ笑みを浮かべた一成が手を伸ばしてきた。

「テンテン、オレの目見て~!」

 両頬をやわらかく包まれる。そのまま顔を引き寄せられて天馬がどぎまぎしていると、一成の美しい瞳と目が合った。
 きらきらと、まばゆい輝きを宿す緑色の目。二度と開かないと思っていた。この瞳を見ることは永遠に叶わないと思っていた。一成の目に自分が映っている。
 その事実を噛みしめながら、吸い込まれるようにのぞきこんだ。
 揺らめく光を放つ、美しい緑の瞳。そのきらめきに酔いしれるような気持ちでいると、突然。ぐらりと視界が揺れたと思った。
 眩暈でも起こしたのかと思えば、そうではなかった。天馬を襲ったのは、あらゆる記憶だった。

 脈絡なく脳内にばら撒かれるのは、ここに至るまでの記憶であり、思い出であり、天馬の刻んだ日々だ。
 洋館に着いた日。カンパニーのオーディション。初めての映画撮影。高校へ入学した。夏組の舞台。一成がいない。買い出しに行った。路地裏。CM撮影。両親がそろっていた。読み合わせ。電話。カレーを食べた。円陣。主演発表の記者会見。祭壇。夏組でプールに行った。誕生日。スタジオに入る。夏組。千秋楽。
 記憶の渦に叩き込まれて、天馬は溺れるように混乱する。だけれど次第にそれらが収束していって、一つの記憶に結びつく。




******

 最近、一成は電話をかけていることが多い。
 元々スマホ依存気味なところがあるので、スマートフォンを終始気にしていることはいつも通りだ。ただ、そういう時は大体SNSの類を更新しているとかであって、電話をかける頻度はそう多くない。
 にも関わらず、ここ最近の一成はやけにしょっちゅう電話をかけているし、着信を気にしている。
 一体何をしているのか、と聞いてものらりくらりと交わしてしまうし、どうやらあまり突っ込まれたくないらしいというのは天馬も察した。
 ただ、それは何か後ろ暗いことをしているとか、気まずくて隠しているといった類ではないようだった。何だか悲しそうな、痛ましい気配すら漂わせているものだから、天馬はあまり深く尋ねることができなかった。

 それ以外にも、一成の行動は最近なんだかおかしい。やけに倉庫に引きこもりがちだった時と比べて外に出てくるようにはなったけれど、なぜなのか一人行動を避けようとしているのだ。
 誰かと何かを一緒にすることが好きな性分なので、そこまで奇異なことではないのかもしれない。実際、どこへ行くにも連れだって出かける様子は、珍しいなと思うものの一成の行動の範疇内のようにも思えた。
 しかし、帰りが遅くなった際「誰か迎えに来てくんね?」と連絡があった時は夏組だけではなく、MANKAIカンパニー全員が驚愕した。
 なにせ、あの一成だ。誰かを助けることにはためらいがないくせに、自分から助けを求めるのが下手くそで、人の迷惑になることを恐れる。
 そんな一成が、誰かの手を煩わせることを避けようとする一成が、「迎えに来てほしい」と告げるだなんて。
 帰宅した一成を出迎えた夏組を筆頭に、熱でもあるのか体調が悪いんじゃないかと散々心配されて、一成は困ったように笑っていた。
 ただ、最近通り魔事件が起きていて物騒ではあることも事実だ。被害者は無差別なのだから、劇団員が狙われないとは限らない。
 むしろ、一成の言葉をきっかけにして「確かに夜遅くの一人行動は危険なのではないか」という共通認識ができあがり、一成だけに限らず誰かが夜遅くなる時は迎えを寄越すことが決定された。
 一成は「それのが絶対いいよねん」とうなずいていた。
 心から安堵する様子に、天馬は不思議な気持ちになっていた。
 単純に劇団員の安全度が上がった、というだけにしてはやけに現実味を帯びた安堵だったからだ。まるで、実際に誰かが傷つくことを防げたような、妙なリアリティーがあった。

 不思議に思いながら日々を過ごしていた天馬だけれど、一成が通り魔事件を目撃した段になるとさすがに何かがおかしいと思い始めていた。
 最初にその一報を聞いた時は、一成への心配とともに何を知っているのか隠していることは一体何か、聞かなければならないと思った。
 迎えに来てほしいと告げたことだとか、カンパニーとして迎えを寄越すことが決定した時の安堵だとか。まるで、一成はこうなることを知っていたみたいじゃないか。詳しい話をちゃんと聞くことは自分の義務だとさえ天馬は思った。
 だけれど、警察から帰宅した一成を玄関先で出迎えた天馬から、そんな考えは一瞬で吹き飛んでしまった。

 すっかり夜遅い時間帯だ。警察まで迎えに行ってくれた左京や監督とともに帰ってきた一成は、出迎えた夏組にびっくりしたような顔をしてから笑った。
 いつもの明るい口調に似て、「警察とか初めて行ったし!」と告げるけれどそれが強がりだなんてこと、誰の目にも明らかだった。
 すっかり血の気が引いた顔で、震える指先を隠して、それでも笑おうとする様子に、天馬の胸はざわざわと騒ぐ。
 こいつは、こんなに弱々しく笑うやつだったろうか。こいつは、こんなに細い体をしていただろうか。こいつは、こんなに今すぐ消えてしまいそうだったろうか。
 一成は元々がっしりした体格ではないし、筋肉がつきにくい体質のようで線が細い。だけれど、今目の前にいる一成は、現実的な体格云々ではなくひたすら弱々しかった。
 いつもの笑顔を浮かべれば明るい雰囲気で隠してしまうけれど、今ここで上手に笑えない一成からは、全ての生命力がそぎ落とされてしまったようだった。
 消えてしまう、と天馬は思った。捕まえておかなければ、ここにつなぎとめておかなければ、こいつはオレたちの前からいなくなってしまう。
 馬鹿げた話だけれど、玄関で一成を出迎えた天馬はそう思ったのだ。
 だから、詳しい話を聞くだとかましてや問い詰めるなんて発想は、天馬の頭から吹き飛んだ。
 そんなことをしたら、それこそ一成は何もかもを閉ざして自分の前から消えてしまうのではないか。今のオレにできることは、できるだけこいつの近くにいて、その手を捕まえておくことだ。
 理由も根拠もないけれどそう思ったのは、恐らく天馬だけではない。夏組も、もしかしたらMANKAIカンパニーのメンバーも同じように感じていたのだろう。
 単純に、一成が初めて通り魔事件の有力な目撃者となったことで、危険が迫る可能性が高い、ということもある。ただ、それを差し置いても一成を守らなくてはいけないと、誰もが思っていた。






 だから、一成がどこかへ行きたいというなら一緒に行くことは、天馬にとって当然の決定事項だった。

 夕食も済み、各自がくつろいでいる時間帯だ。
 宵っ張りのゲーマー組はこれからが本番といった調子で、酒飲みの大人たちも酒の肴の話を始めていた。談話室ではドラマ製とスポーツ観戦勢でチャンネル争いが繰り広げられていて騒がしい。
 談話室をあとにした天馬は、部屋へ戻る。すると、201号室の前でためらいがちに扉をノックしようとしている一成に出くわした。
 声を掛けると、大きな目をまたたかせて振り返り、天馬の姿を認めると気の抜けた笑みを浮かべた。

「どうした、何か用事か」
「えっとね、テンテン時間あったらでいいんだけど」

 おずおずとした調子の一成曰く、制作に取りかかろうとしたところ、画材を切らしていることに気づいた。この時間ならまだ商店街の画材屋が開いている。
 だから、もしもよければ、なんだけど、と前置きをした一成は言ったのだ。

「テンテン、付き合ってもらえないかな~って。あ、用事あったら全然いいからねん!」

 申し訳なさそうな顔で口にされた言葉に、天馬の気持ちがふわりと浮き上がる。
 商店街の画材屋に行きたい、なんて別に天馬ではなくても構わない用事だろう。だけれど、一成はわざわざ天馬の部屋を訪ねた。他の誰でもなく天馬を頼った。その事実が、天馬には嬉しい。
 一成に言ったことはないけれど、天馬は一成に頼られることが好きだった。
 普段はあれだけ軽いノリで過ごしているくせに、一成は当たり前のような顔で天馬を守ろうとする。その愛情は感じているし、嬉しいとも思う。
 だけれど、本当は頼ってほしかった。抱え込みがちな重荷の一つを分けてほしかった。少しでもいいから、心の負担を軽くしてやりたかった。
 だから、人に頼ることが苦手な一成が、天馬を選んで自身の望みを口にしてくれたことが嬉しかったのだ。

「用事は特にないから平気だ。支度するから待ってろ」

 きっぱり告げれば、一成が嬉しそうに笑うので天馬の心は否応なく弾む。
 あまり夜に出歩かないほうがいいのかもしれないけれど、一成にとって絵を描くことは気分転換にもなるし、自分がついているなら問題はないはずだ。
 結論を出した天馬が部屋にいた幸に向かって「一成と画材屋に行ってくる」と言えば、「ちゃんと仕事してきてよね」と返ってきた。